良く「○○のファンです」とか言う。芸能人のファンとか、作品のファンとか。
作品のファンはともかくとして、その人のファンというのはどういうことなのだろうと、ちょっと思ってみた。
例えば、小生「鷹嶺 昊のファン」の人がいたとする。勿論、鷹嶺 昊はペンネームに過ぎず、このブログを見ていてくれる貴方からすれば、鷹嶺 昊の現物は見ることが出来ない。
つまり、鷹嶺 昊のファンというのは、鷹嶺 昊がこの場で発表する文章作品のファンと言うことになるわけである。
何だ、随分と当たり前の事じゃないか。そう、当たり前のことである。
ただ勘違いしてしまいそうなのは、鷹嶺 昊のファン=「自分が好き」と思ってしまうと言うこと。
そらそうだ。誰だって、「あなたのファンです!」と面と向かって言われればその気になってしまうこともあろう。
しかし、実際はそうとは言い切れないんだな。だって、今これを読んでいる貴方、今現在、鷹嶺 昊が何をしているか分かりはしまい。
現実の鷹嶺 昊がどんな人間か、どんな性格かなんて一概に判るわけはないだろう。私が小説やブログの文章から想像する像とは全くかけ離れているダメダメ人間かも知れぬし、政治家にでもなれる天才かも知れぬ。
何か自分を例に挙げてしまったが、要するに、ファンというのはその人のプライベートとは全く関係ない、その人の才能に対するものだと言うことじゃないのか。
だから、たとえ「タッキーのファン」であっても、それは彼の才能に対するものであり、メディアに出ない滝沢秀明の素、プライベートにまで足を踏み込んでしまえば、それはファンではない。ただのストーカーと言うことになる。
何でこんな事を言うのか……。ちょっとさるアーティストのファンサイトの掲示板が荒れていたから、思ってみた。
『アーティストが生み出す作品とそのコンセプトが好きなだけ。アーティスト個人の私生活は良かろうが荒れていようが興味がない』 少なくても、私はそう思っているし、例を挙げた以上、多分貴方も、蒼穹之亭の作品が好きでも、私タカミネ自身の私生活には寸分の興味もないはずだし、そう思ってもらわなければ困るということだ。
まあ、よくて更新状況を確認するために創作活動の状況くらいは知ってもらう程度か。
これはどんなアーティストやクリエイターにも共通すると思う。