今、改めてドラゴンクエスト5の創作小説を構想していて、不思議と心地良いことがある。
それは、世間一般が、ニンテンドーDS版で出された「ドラゴンクエスト5~天空の花嫁~」なるタイトルが、DQ5のデフォルトとして認識されていると言うことである。

私は随分と奇特なのかひねくれているのかも知れないが、このDS版で出されている「DQ5」なる作品は鷹岑は一切認めていないし、プレイ(どころか、内容すら把握)していないので、正々堂々とSFC版~PS2版までのドラゴンクエスト5を正当なドラクエ5であると、主張できるのだ。
仮に、鷹岑が世間一般、諸卿のおおかたのようにメーカー側がもたらした時流に乗ってDS版なるものを一度でもプレイしていたならば、私の描いている詮無き二次小説は即、サイトから削除していただろう。

まあ、これは以前の公記の記述でも熱くなるほど語っていたのだが、久しぶりのDQ5小説更新を期に、もう一度、適当に語ってみよう。

鎌倉幕府の末期から、日本は南北朝という時代に突入したことは、皆周知の事実であるだろう。

今上陛下(現在の天皇陛下)は、神武帝から数えて第125代に当たる。神話時代の実在・架空説はともかくとして、公式に第125代の今上陛下としての御代にあらせられる。
その125代という数字は、南北朝時代の、後醍醐天皇が吉野に開いた、いわゆる「南朝」が、明治政府によって正統・歴代に組み入れられた所以の数字であり、北朝の光厳天皇から、後円融天皇までの五代は、正統とは認められていないことになる。
議論はあろうが、現在でも公式には南朝正統論が当たり前であるし、教育でもそうだと教えられてきたことなので、我々としてはそうと受け止めなければならない。受け止めた上での議論は大切だ。
DS版のDQ5なるタイトルの暴挙というのは、言い換えれば、そうした認められていない北朝天皇を無理矢理に歴代に組み敷いたものと等しいものであり、かつ、南北朝の皇統をむりやりひとつにして「親兄弟だった」と言っているような、無理筋なる捏造なのである。
もしも、あの捏造・改変を正当とするならば、それを納得させ、納得できる説明が必要だと私は思っているし、それがなされない以上は、私自身、認められないし、かつそういう無理筋を強行してなお、いつ安易な改変をしかねない新作を創ろうとするメーカー自身の浅慮を憂慮する。

本来、鷹岑としてはDS版がどうだろうがこうだろうが、新作がヘタレだろうがクソだろうが知ったことではないんです。
しかし、PS2版までのDQ5は正当であったと主張している分、公式版権元が、矜恃を捨てて安易に世界改変・捏造を繰り返す様は、嫌でも目に入ってくるので、何かと物言いたくもなってくる訳ですわな。

それはそうと、そういったメーカーのお陰で、PS2版以前のDQ5は不正統であると言うことになったので、そういった意味である意味、鷹岑としては気負いが無くなった気がします。
DQファンたちは、5に関しては「DS版・DQ5」を中心に動く訳です。そんな中で鷹岑としては不正当なDQ5のサイドストーリーを“未だに”書いているのですから、取り残されているというのか。個人的には肩の荷が下りる気はしますけどね。
我がサイドストーリーに登場する、主人公リュカやヒロイン・フローラは、生みの親に捨てられた、PS2版までの「ドラゴンクエスト5」の彼らを描いているのです。現在の世間で極めて稀少な、非DS・反DS版DQ5の小説書きとしての矜恃は、誇らしくさえ思えます。

鷹岑は常に北朝の臣であらん。