竹丸・ごん両氏への返信その2です。

▼ハッピープロジェクト

終演が近づくこと自体は構わないのですが、竹丸さんの言うように、誰もが予想に聞こえる終わり方では庸愚というものでしょう。
私は一応、単行本は買いましたが、本屋では平積みはされず、入荷数はほんの数冊でしたからね。君町・GEの足下に及びませんでした。正直な話(笑)

鷹岑は一応、最悪のイメージで新連載を評価した手前、西倉琴音編で見せたストーリーの豹変を高く評価してきましたが、恋愛バトルロワイヤルという精神的殺戮地獄の世界設定が、途中から希薄となって宗太を取り巻く単純ラブコメに矮小化せざるを得なかった構成の苦労が窺えます。
打ち切りが決定していなければ、この世界設定は現代社会の非婚化等の諸問題に対する訴求力に連繋しうるものがあったのですが、急速に世界観が凋萎していく様は、正直鷹岑も擁護の限界は感じています。

ラブコメに限らず、どんなジャンルでも言えることなのですが、初期設定があまりにも壮大(大きな花火を打ち上げる)であればあるほど、ストーリー展開は難しくなってしまいます。読者は話数が進むたびに、それ以上を期待しますからね。
特にこうした恋愛作品は出逢いから結実というスタートとゴールこそ同じであるものの、落語や舞台のように、同じ演目でも独自の世界観・演出の優劣によって面白さは雲泥の差となります。
上手い人は、出だしを惜しみ盛り上げ方を上手く調整しながら進めてゆくもので、これぞ言うが易し、行うのが難しなのですが、ハピプロの場合は、新連載で設定された世界が「ハピプロで脱落すれば社会的死」という、極めて大きな花火を打ち上げてしまったために、話が進むたびに期待以上の展開が望めずに来てしまったと言えるかも知れません。

ストーリーというのは、必ずしも右肩上がりでなくても構わないのですが、右肩下がりの展開は絶対にあってはいけません。
ハピプロの場合、鷹岑は先述のように西倉編で化けた作品になったと期待した以上、最後まで擁護することにはなりますが、ようやくヒロイン格として存在感を示し始めてきた君島紗英を退場させるという鉈を振り下ろしてまで展開を図ったにも係わらず、世情の評価で打ち切りにさせられるというのであれば、誠に残念で仕方がない。

結局、ハピプロという制度に関与する既得権益という政治的な設定があっただろうが、生煮えにもならずに黒河龍也にはしょぼい根回しの役しか与えられず、宗太と二人のヒロインの三角関係という、“普通のラブコメ”になってしまっては、この作品にとっては致命的とも言えるでしょう。それでも、鷹岑は良い点は挙げてゆきたいとは考えています。

私の愚見を聞きたいとのことなので、不肖ながらお答え致します。
その前に。
考察でも挙げているように、ラブコメの主人公を一括りに「優柔不断」としてしまっては、個性が全くなくなります。
鷹岑は、ラブコメの主人公には同じ優柔不断とされる性格の中にも特徴があるものだと考えているので、独自の言葉を使用して表現しています。すなわち、君町の桐島青大=至誠忠義、GEの内海聖志=優遊敦厚、ハピプロの宮野宗太=誠温行意。広義としては優柔不断で構わないと思います。

鷹岑は宗太や青大、聖志に限らず、ありとあらゆるラブコメの主人公をして一般論としての「最低野郎」と思ったことは一度もありません。君町論評をして某所で鷹岑が叩かれている理由が、彼らを支持できるとしたからだと言われています。
優柔不断がヘタレの最低野郎と思わないのは、まず自分が主人公と同じ立場に立ったとき、果たして批判する側のような行動を果断に取れるのかと考えます。
正直、鷹岑はそう言う行動を絶対に取れるという確信は持てません。実際に美少女二人の間にあれば、自分だったらきっと混迷の土壷に嵌まりそうな気がするからです。自分自身が最低ヘタレ野郎という可能性を認めているからこそ、鷹岑は彼らを最低ヘタレと断じることは出来ないのです。
まあ、それはともかくとして。
宗太はなお二人からの逃避を図っているので非常にもどかしい。片方が好きで、もう一方にも懸想しているという伊藤誠タイプではないのですが、差し迫る自らへの決断の時に、ハピプロの場では最後まで逡巡してゆくと思われます。

ごんさんの提示した②にお答えすると、考察でも挙げているように、遥はハピプロの場での多弁饒舌、千言を用いての惚れた腫れたという言葉よりも、宗太の誠温行意の真骨頂を見たいと思っているのではないだろうかと考えます。
つまり、彼が一度ハピプロを脱落し、第一話で登場した“悟さん”のように社会的死を経験する。打ち拉がれてなお遥への想いを伝える姿を見せること。文字通り身体を張った遥に対する誠温行意を求めているものと考えるのですがね。
そうすれば、日本のトップ女優と、ハピプロを脱落した“社会的落伍者”との究極の大恋愛として、ハピプロの世界設定そのものの意義を問えることにも繋がり、画期的だと考えます。
ハピプロ期間の中で楓との帰趨で決着すれば、普通のありきたりなラブコメとして終わることになるでしょう。

落合ヒロカズ氏への苦言はいちいちご尤もですね(笑)
ここまで筆致が短期間で変化を遂げてゆく作家も希有です。
鷹岑は筆致が気になる分、せめてストーリー性での突出を期待して考察していますが、果たしてラストがどういう形になるか。第一話から付き合ってきた手前最後まで付き合ってゆきたいと思います。