気付かされた認めたくない真実と非常なる岐路

優遊敦厚赤心、哀しく泡 沫晶々

雪の決断を待つ聖志、苦渋の真実を前に幻想の関係にけじめ

雪を巡る真実。聖志はそれでも彼女を支えられない現状に懊悩する。
恋人の晶とあっても心ここにあらず。そして、晶から健人に会っていた事実を告げられ、確信する。
イメージソング:恋愛/aiko

座して死を待つしか出来ない聖志

雨宮透流の激白から聖志が心理に抱える懊悩を表現する。
彼が何故にここまで苦悩に満ちた様子を見せるのかは今までこの鷹岑家文書でも多く論じてきた通りである。
聖志自身が常に不本意な境遇を強いられていながら、雪の心中の究明を怖れてきた。
雪と交際出来た背景に何があるのか、また別離の原因は一体どこにあったのか。聖志に対しては鷹岑はずっとそれを考えてみるべきだと言ってきた。勿論、雪に 対してもである。俺しかいない
事態そのものは、雨宮透流の激白から発端し現在のような状況になっているのだが、本質論からすれば連載当初から燻っていたことなので、極端な話だが聖志は 何も今になって驚きおののく必要はない。透流と真正面に対峙した雪が、逃げないでどのような答えを出すか、結局は遅いか早いかの違いであり、聖志にはそれ についての選択肢はない。

誰かがくっついた離れた、どんな方法で告白すれば良いのか、どんな口実で別れれば良いのか、などと言ったテクニカルな話は別次元の問題であって、本質はど んな根拠をもって相手のことを好きだと思えるのか、と言うことである。
▲俺しか、いない

雪の真実(透流側)を知り、それでかつ支えられるのは自分だけであるという聖志の想いは確かにその通りである。
だが、それが雪にとっては聖志を選択するという約束手形にはならない。どんなに聖志でなければならないという事実を積んだところで、聖志に選択肢はなく、 雪が聖志を選ばなければ何の意味も無い。
聖志は晶と交際している。彼が晶を好きならばその根拠が必要である。「好きになるのに理由はいらない」とは良くきくフレーズだが、私はそれは間違っている と思っている。好きになるのに理由がない、いらないのではなく、最初はわからないが、交際を続けてゆくうちに自分の心の中でその人を好きでいつづけられる 『根拠』という物は必ず存在するはずだ。少しだけ冷静に自分と恋人・伴侶を見ていれば誰でも見つけられることだと私は思っている。
根拠のない恋愛は長続きしない。偕老同穴を標榜する恋人・夫婦というものは、互いに相手を好きでいつづけられる基本理念(根拠)が絶対にある。
聖志が、池谷陸から、姉の晶のどこが好きなのかと聞かれたときに「優しいし、かわいいから」と答えたが、上辺の言葉は理由にはならない。「優しい」という のは上辺の性格。人というのは、本心を隠して優しくも出来るし辛くも当たれる。「浮かれているだけだ」と指摘されて、本質を得たものだとは言えない。ま た、「かわいい」というのも一時の上辺、外見だけの話である。晶が70,80歳の老媼になっても果たして同じ気持ちで、同じ事を言えるのかどうか。何故、 可愛いと思えるのか。その場凌ぎの出任せならば全くお話にならない。

池 谷晶、沢田健人帰趨へ

心理に流れる雪への想いと、目下の池谷晶への節義に懊悩する聖志なのだが、不幸中の幸いと言えば語弊があるのだが池谷晶の沢田健人帰趨への布石は、渡りに 船とも言える。
彼女に対しても前々から鷹岑が指摘してきたように、沢田健人との別離が不本意であったものであるから、きちんと向き合って決着をつけることが肝要であると 思うのである。

沢田健人の性格や晶に対する行動が許せないとか、晶と聖志が一緒になれば良い、という見方も理解は出来る。池谷晶の残心
ただし、それはあくまで表面上における感情論に過ぎず、これもやはり恋愛的な本質として『好きの根拠』が無ければ、今回の聖志の言葉にある「傷の舐めあ い」などという言葉が出てくるのだ。
健人がどんなに軽佻浮薄でチャラ男で悪人であろうとも、池谷晶が心理に沢田健人を好きだという「根拠」が有る限りは読者であれ他の登場人物がどうであれ、 何ともなるものではない。
健人と晶が復縁し、再び過去を繰り返すような事象があったとしても、晶自身がそれでよしとするならば、それこそ晶にとっての「グッドエンディング」なので ある。

鷹岑個人としては、聖志は雪と結実して欲しいとは思っているのだが、それはあくまで鷹岑個人としての価値観であって、それがグッドエンディングでそれ以外 はバッドエンディングだ、などという決めつけはしていない。聖志や雪、晶らがそれで幸福だと思えるのならば、必ずしも下馬評通りの結実でなくても良く、極 論として誰も一緒にならないという終り方も可能と言えば可能である。ただし、後者の場合はそれに多くの読者が納得する描写を要するのでなかなか難しい手法 だろう。

晶についても当鷹岑家文書での考察でも結構語っていると思うので反芻はしないが、彼女が沢田健人へ帰趨する契機は、大分前から始まっていたと断言出来るだ ろう。
聖志の懊悩◀聖志の懊悩

晶か雪かで激しく悩み苦しむ聖志。
だが、こういう場面は遅かれ早かれ必ず聖志の前に直面するのである。
面白いことに晶・雪の二人に係わる過去のことに対して聖志自身には一切の選択肢がなく、二人が過去に真摯に対し、その決断次第に依るというところが非常にもどかしい部分である。自分に「どちらかを選ぶ」という選択肢のない三角関係というのも実に珍妙な光景である。

第140話 名言蒐懷

ありがとう‥(黒川雪)

聖志には雪に対して透流のことをとやかく言う権限は無いのがもどかしい。

俺しかいないのに‥!(内海聖志)

そう思わなければ、実際のところはやってられないだろう。

あたしにも責任(池谷晶)

恋愛感情とまではいかずとも、一点の未練さえ無い相手が勝手に起こした事故に対して、色々と憶測を並べて自分のせいかな?などという風には思わないものです。そうするということは、恋愛感情でなくても、未練がある事の証左です。

ただ 傷を舐め合っただけ(内海聖志)

これまで鷹岑が指摘した事の要約のセリフ。相手を「好きだ」という「根拠」が無いことを聖志は悟ったセリフであろう。誰であれ、人を好きでいつづけられる ことには、必ず根拠がある。一時の感情や同情ならばすぐに崩壊する。根拠があれば、「流される」なんてことは絶対に無い。