破局に心停める透流と情を捨て決断出来ぬ弱さ
けじめは何時の時代でも非情に徹するもの
~宋襄の仁、透流を冷徹に切捨てられぬ雪の弱さ

▼氷室結仁の実家が経営するスナックのホステス達に勇気づけられた雪は、執拗に復縁を迫る透流に苦慮していた。精神耗弱状態の雪を心配する聖志は透流に雪のことを諦めろと迫るが、透流は意に介しない様子。そんな中で雪が倒れてしまう。

来週はGEが休載で内心ほっとしています(笑)
ま、それはともかくとして今週も恒例通り行ってみましょう。

怖がったりしないわ(雪)~実体が伴わない決意

雪自身、なまじ透流と身近な関係であっただけにその関係に一定の区切り(勿論、別離だけではなく、復縁も含む)をつけることについて相当の逡巡があることは言葉が先走る雪理解の域だ。
彼女にとって、雨宮透流という存在は一朝一夕に解決出来るほどの存在でないことは衆目の一致するところであろう。

だからこそ、劇中で彼女は「情」という言葉を用いたが、彼との関係を自分なりに清算をしたいと本気で思っているとするならば、大鉈を彼女自身が振り上げなければならない。
その大鉈というのは相当に重いものである。持ち上げると腕が痙攣し、涙を流してしまうほどに辛い。だが隣に聖志がいようが、聖志の力を借りてそれを振り下ろすものではない。少しでも聖志の力を借りたものでは全てが台無しになる。それを雪は理解しておくべきだろう。
また、その大鉈というは情があっては持ち上がらない。非情冷徹となって相手の残心を木端微塵に粉砕することである。極端な話、透流の心を殺しても構わない。また、透流に回帰したいのならば、その大鉈で聖志を打ち殺せば良い。
恋愛は情が無ければ成立しない。それはいちいち鷹岑がここで高説を垂れなくても誰もが判ることである。だが、鷹岑は同時に恋愛には非情さも紙一重としてあ ると考えている。情だけで恋愛がうまくいくものではない。非情さがあってこそ、無意識に人は危機意識を備え、良い意味で緊張感を持つことで花開くものだと 考えている。
雪と透流の関係は、その非情さが求められている。雪は口では透流からの執拗な接触を「説得」で収斂させようとしており、「逃げたり、怖がったりはしない」 と言っているのだが、そこに彼女の「非情さ」が全くない。たとえ恋愛といえども要所では果断に、冷徹さが必要だと言うことを、理解出来ていればなとは思 う。

早く前を向く気持ちになってほしいのよ‥(雪)

そのためには何が必要なのか、雪には自ら考えて欲しい。透流は何故、今まで雪に執心し、ここに至っているのか。雪が現実から宋襄の仁目を逸らしてきたからだというのであるならば、何故現実から目を逸らさなければならなかったのか。その根本的な理由を、雪は理解しているのだろうか。
鷹岑は透流にしろ、聖志にしろ、彼らにはどんな形であれ選択肢はなく、雪の決断を待つ。いわば座して死を待っているだけであると指摘した。
つまり、雪にしか選べない選択肢。それは途轍もなく非情であり、また極めて重い責任を持つ。片方に答えを出せば、大鉈を持ち替えて残りの道を断たなければならない。残酷だが、そうしなければこの柵は消えるものではないのである。
逃げると言うことはどう言う事なのか。相手に寸分の情が無ければ、人は逃げることはしないだろう。ハッキリとものを言ってけじめを付けるものだ。
それが逃げ続けていると言うことの本質は、何だかんだと言って、雪自身が透流に対して明確な答えを出す事にまだ怖れを抱いている、と言うことになるだろう。彼女自身も「情がある」と言っているが、情があるうちは必ず火種が残るし、心の破滅を招く遠因だ。
答えというのは情によって出されるものではない。恋愛であれなんであれ、情は答えをぼやけさせるものである。

ヨリを戻せばいいのに‥(透流)

それも含めて答えを出すのは黒川雪自身であると言うことをわかるべきだと、鷹岑がGEの世界に行けるとしたら透流に諫言したいくらいである。聞く耳を持つ ことは無いとは思うのだが、「君の行動は、雪にとっても君自身にとっても決してプラスには作用しない。聖志への訣別が無ければ、何ら意味が無い」と、一応 忠告はしておきたいほど。
縒りを戻す
現実社会においても、『縒りを戻す』ということもたまに聞く話だが、本当に嫌いになった相手には、顔も声も聞きたくは無いものだし、同じ空気を吸うのも嫌になるというものだ。
縒りが戻るというのは、文字通りに二人を繋ぐ糸は切れている訳ではないし、それはつまり、相手のことを本気で嫌っていないという事なのである。だからこそ、透流はこういうことを言えるのである。雪の責任が重いというのはここにあると言うことだ。

俺が見てきたユキは知らないだろう‥(聖志)

聖志には悪いが、そのような感情は無駄な対抗心である。冷たいようだが、聖志と付き合ってきた雪という存在は、雨宮透流への想いが心底奥深くに流れている上に乗ったものであるから、聖志が見てきた雪という存在も、結局は透流があってこそのものなのである。
透流が答えを急ぎ、禁じ手を次々と放って一見聖志が有利な状況になっていると思われるが、それは全く違う。俺の知らないユキ
前にも言ったが、まともに対抗したところで、雪との接触が段違いな分、聖志は透流に勝ち目が無いのだ。
では、聖志が出来ることは何かあるのだろうか。

鷹岑は良策は無し。彼もまた、座して死を待っているか、遠くない日にやってくる処刑までの間、それでも聖志らしい優しさで報いを求めずに雪に接してゆくこと。その程度しか無いのであると考える。
ここで透流を攻難しても何のメリットも無いし、それによって雪の導き出される答えが変わることも無いと思うし、仮に変わってしまったら、後に必ず後悔するだろう。
雨宮透流との邂逅は、それほどの大きな意味を持っているという自覚が、当事者である三人が果たして本気でわかっているのかどうか、鷹岑は懸念を禁じ得ないでいる。