内海聖志、漂流の末雪回帰への布石を打つ
繋いだ手から伝わる心底の恋慕、偽絆を断つ決意を下す
~上辺の蜜月、本心に悖反し互いに傷つけ合う愚行

▼気を失っている雪の震える手を握りしめる聖志は、彼女への熱い想いが惹起されるのを感じ、晶への節義と重ねて激しく懊悩する。しかし、晶に対するひとつ の答えを出した聖志は晶の家に行く。聖志の話を拒むようにキスをせがみ、身を重ねようとする晶を窘める聖志に、晶は泣きながら別れ話をするつもりかと叫 ぶ。

目を背け続けたツケが伸し掛かる

総論としては、鷹岑も当文書で警告してきたように、聖志と晶は互いの本心にきちんと向き合わず、因縁のある相手と腹を割って話し合うと言う事からも逃げて交際関係になり、性的関係にも至ったことは非常に危ういと言う事が現実となってきたようである。
ただ、鷹岑は聖志と晶が肉体関係を結んだことで、聖志の中ではやっと晶は雪と同列に位置づけたと評しているのだが、結果として晶自身が自らの立位置を更に 昇華させようとする努力が見受けられず、聖志自身の雪への収斂効果を止めることに至らなかったことを考えれば、聖志が雪へ回帰することになったことを、一 方的に聖志が悪いと断ずるにはいささか乱暴であると考える。晶にも多大な責任があるものだと考えている。

ユキももう限界だ(聖志)~背けられぬユキへの思慕

手を繋げば無意味に裸を晒したり、媚びるような目線や言葉を投げつけるよりも、今回のGEのように、ただ眠っている人の手を握りしめる。というところにぐっと来るようだとまた深いような気がする。鷹岑がそうである。
聖志は雪を想い続けている。自分の意識の中では晶を恋人と思い、雪への未練は断ったと思っているのだろうが、心裡は全くそうではない。

様々な精神的苦痛に疲れ果てて眠る、未必の恋人の震える掌を、そっと握りしめた途端に安心するかのように穏やかな寝息に変わる。
このシチュエーションが何とも言わず、深い。下手なエロを前面に押し出すラブコメもどきやエロゲーやギャルゲーなどよりも、十倍エロいと言っても過言ではあるまい。

手を繋ぐというのは、キスと同様に精神の繋がりを如実に示す行為であるといっても良いだろう。心の底から想い合っていればこそ、互いの心が伝わり、また安心するものである。

断る権利なんてないんだから(晶)~多弁に信なし

多弁に信なき晶はとかく多弁である。聖志を失いたくないという思いが先行しているかに見えているのだが、晶としては単純に聖志から別離を宣告されるのが口惜しいという事かも知れない。
ここで聖志を引き留めていても、晶にとってのメリットはひとつもない。別離の宣告を数日延ばしたところでなんの意味もないのである。
いかに言葉で互いを「好きだ」と言っても、まさに実態が伴っていない。非常に空虚である。身体を重ねていても、互いの見る先に別の人間の姿があっては無意味であろう。
GEにおいて、たとえ聖志と晶が100回の性交渉描写を描こうとも、今回見せた聖志と雪の一回の手を繋ぐことに及ばない。
確かに既成事実は大切なのだが、表面だけの蜜月関係に依っては砂上の楼閣に過ぎない。

また、晶は非常に多弁だ。相手の出す言葉に怯え、言葉を乱用することは既に敗亡していることなのだ。言多きは信足らず。相手の言葉を怯えると言う事は自分の意識としてそれがあり、一度そう思ったことを覆す術は容易ではない。疑心暗鬼というものが必ず残るからである。
ここに来て晶に出来ることは何か。
ある。言わずもがな、聖志と距離を置くことだ。別離の是非を棚上げして一度彼との蜜月関係をリセットしてみる冷却期間を要する。沢田健人への思念も残したままでは自分自身を見失ってしまうだろう。

いずれにしろ、聖志は自分の本心に対して覚悟を決めた。雪へ帰趨する切っ掛けを自ら掴んだことは大きい。晶にとって仮に聖志を選ぶにしろ、彼の心を本気で自分に向けさせることは極めて困難な情勢になったことは間違いがない。