痛惜の別離の本質は一方的な我儘の固執
池谷晶の慟哭に一片の同情を能わず
~心裡を避けて保身に奔り、悲劇を演じた蜜月の末路

▼聖志の話を拒否し、別離の事実を烈しく責誚する晶。誰のせいでもない、自分の決断だとだけ告げる聖志に、晶は本気で好きだったと慟哭する。後日、学校を休んだ聖志を見舞う雪は、聖志が晶と別れたと聞き愕然となる。自分が決めたことだと言う聖志に、雪の胸が突き刺さった。

聞きたくない~竟に向き合えなかった自らの本意

おそらく読者の中には「聖志は非道い奴、晶先輩が可哀想だ!」と思っている人もいるだろう。
しかし鷹岑は残念だが、池谷晶に対しては一片の同情も感じない。
いかに彼女が慟哭し、心引き千切られそうな程の聖志への“想い”を語ったとしても、身から出た錆‥といえば語弊があるが、“身に出た錆”を取ろうとしなかった晶に対し、むしろ諫言を無視した行動を譴責するだろう。
話し合いを拒否
鷹岑は恋愛は切羽詰まった選択を迫られたとき、とどのつまりは合理的・理論的な判断をすることになると思っていると語っている。
晶は話し合おうという聖志の意思を聞こうともしなかった。それは何故か。
つまりは晶自身、聖志との話を拒否することで、自らの心裡を曝け出すことになることを暗に怖れたと言うことである。
自らの想いを血の吐く覚悟で語ることを拒み、一方的に聖志を責めたて、悲劇のヒロインを気取ろうという女性には、同情しようにも、その余地が見当たらない。
晶に対しては、雪が雨宮透流に対すると同様に、沢田健人との胸襟を開いた話し合いをするべきだったのに、その高いハードルを越えようともせず、逃げの姿勢でここに至り、自ら聖志を放棄する行動に出てしまったことはつくづく悔やまれてならない。

あなたのことが好きだって‥~ならば何故、逃げる?

晶の責誚流石氏の思惑の中で進む物語だが、鷹岑は感情を寄せながら常に彼らに対して諫言をしてきたつもりである。GEに限らず、君のいる町の世界に対してもだ。
聖志からの離別宣言に傷つき慟哭する池谷晶の様子は、単純に捉えれば同情に値し、聖志の非道さをなじるのに十二分なのだが、どうしても晶の言動が、ふられ たという自分を正当化し、自らの責任回避に終始している様相に見えて全幅の同情を寄せることが出来ない。かいつまんで言えば、自ら招いた破局。自業自得と まで言えばさすがに言い過ぎではあるのだが。

今となっては後の祭だが、晶に対してはこう言いたいところである。
「それくらい、あなたのことが好きだって‥というのであるならば、何故それを身体を張って証明しようとしないのか。何故、君は自らの心裡から逃げるのか?」と。
沢田健人と胸襟を開いて話をしなくても良い。本来ならばするべきであったのだが、まあ最低の下の下策として健人からは逃げても良いだろう。
ただし、聖志からの話し合いすらも逃げの姿勢で、別離の話を先取って悲劇のヒロインとはあまりにもあざとく、鷹岑からすれば逆に、晶は本気で聖志を好きだったのか? と、懐疑的な見方すらある。

本編では「これだけは忘れるな」として“被害者”であり続く自分の悲惨さを植え付けようとしたが、筋道が違うだろうとして、鷹岑は「ちゃんちゃらおかしいわ」とさえ思ったのだ。
号泣する晶の姿に、計算尽くされた悪女の片鱗すら邪推をしてしまいかねなかったのである。

私の‥‥せい‥‥?~それは違う

聖志との関係を肉体関係を持つまで深化したことで、聖志にとってようやく雪と並び立つ存在価値にまで高らめた晶だったが、その後の努力を怠り、結局雪に敗れた。雪には責任がない
雪は聖志と晶の破局を自分が原因なのかと自責するが、ここも鷹岑は言えるものならば直接言いたいところである。「雪には何ら責任の所在は無い」
当然である。
聖志と晶が交際していること、そのものには雪が影響しているなどと思っているのは、それこそ思い上がりというもので、雪が責任を感じて呵責する必要は全くないだろう。
むしろ鷹岑が心配するのは、それによって、雪がまた一時の感情に流されて正しい判断を見誤ると言うことである。
そういう事態が招く結果というのは輪廻の他ならない。本当ならば、今こそ聖志と雪は距離を置いて、感情的な冷却期間が必要なのだが、次週はGEの特集号なので、どうもそういうわけにはいかないようであり、個人的には嘆息の方が強い。
さて、鷹岑の不安が杞憂であれば良いのだが・・・。