突出する聖志の本心、正しき道を左右する
聖志、再告白を以て雪を大いに惑わす
~抜けがけた内海聖志、雨宮透流の暴発に懸念

▼風呂でのハプニングなど、楽しい合宿の夜をよそに、深夜沙織から雪がいなくなったと慌てて駆け込まれる。愕然とする聖志は、雪を捜すために施設を飛び出 す。雪を失う事への恐怖、そこから改めて聖志は雪が好きだと言うことを自覚した。海岸沿いの道路にいた雪は電話をするために出てきただけだと告げ、聖志達 を安心させる。その場で聖志は雪のことが好きだと改めて告白し、雪は聖志の手を握って答える。しかし……。

聖志の想いが雪の判断を惑わし、悪しき結果の惹起を懸念

2話連続掲載の後編は、流石氏自身もツイッターで述べていたように、肝煎のサービスカットを提起している。テニス部合宿の場面を想定していなかったので、河野哲也のサービスカットは外したが、氷室結仁とは一部のマニアや女性ファンのニーズに応えているといえるだろう。
氷室結仁の尻◀氷室結仁の尻

今回の2話連続掲載の中で、流石景氏肝煎の渾身の場面。鷹岑は河野哲也の尻丸出しを想像したが、見事に外れた。
ユートはGEのサブキャラにおいて、聖志と雪の間を中和させる清涼剤的な役割として活きたキャラとなっているところが印象深い。
鷹岑はラブコメにおいて、特にヒロイン達が見せる裸の場面の多用は厳しい批判をするのだが、GEに限ってはその批判の範疇にはないと考える(まあ、某作品があまりにも多用しすぎているとも言えるのだが)。
今回はそういう意味において、雪たち美少女達のシーンよりも、流石氏肝煎の男性陣のサービスカットが多かったのは、ある意味斬新であると言える。

“何でもない日々が”~理解出来る聖志の逡巡

平穏な日々聖志が求めたその言葉は総じてラブコメの主人公やヒロインらが懐く最大の感情である事は間違いが無い。
だが、ラブコメの世界において主人公となったからには、連載が終わるまで叶わない願いである事も、また避けられない事実である。

聖志にとっては雪への想いが昂じて晶との訣別を決断した訳であるが、前にも言ったように拙速だとするならば少々、聖志としては答えを急ぎながらも、前進を躊躇するというジレンマがあることが理解出来る。
雪の答えをただ座して死を待つことしか出来ない筈の聖志と雨宮透流だが、その透流の方が積極的に雪の心情を刺激して止まない故に、聖志も本来の冷静さを欠いて答えを急いでしまっているというような感じがする。
それは必ずしも雪にとって良いことではないのだが、それによって雪自身が本当の心に気づくことが出来るというのであるならば、鷹岑としてはそれに越したことは無いのである。
聖志が望む何でも無い日々は、伴侶として雪がいることなのか、別な人なのか、或いは全ての恋愛から解放されることなのかは、今なお暗中模索と言ったところだろう。

“勇気が出たの”~自らの決断を失わずに

雪のために何かをしたい。という勇気が出たの聖志の想いは雪や、雪との帰結を望む読者諸卿からすれば大いに力となることには違いがない。
だが、同時にどうも聖志にしろ雪にしろ、どこかしか安直に流される部分があるような気がしてならない。
雪は本来、直近の決意として聖志とは第一話以前の関係になることを冀望したが、いつしか沙汰止みとなった。

存外、雪も情に流される部分がある。それを思えば聖志の誠心が却って仇とならないかと気を揉むのも否定出来ない話ではある。
いずれにせよ、雪はその瞬間だけは情に流されないで、冷徹な決断を示すべきだろう。

“騎士気取りで”~優遊敦厚の好転

聖志が晶と別れることを決断し、心裡に根付く雪への指向に回帰したのは、鷹岑をして聖志を評する「優遊敦厚」の良い部分を示した結果であるとも言える。
本来、一般的なラブコメの主人公は“優柔不断”を大原則として複数のヒロインの争奪戦がベターだったとされているのだが、複数のヒロインに懸想をすること が「ヘタレ」「クズ」と位置づけされるようになってからは、紛れもなく聖志もその範囲に置かれていることは間違いが無い。
だが、彼は内心を除いてみれば雪と晶をきちんと区別をして交際をしてきた。女の子全てに対する優しさは変わらないのだが、相手を慮って要所要所で辛い決断を下す、という拙速さは率直に認めて然るべきだろう。
生真面目に鷹岑が評し、深く恋愛の要諦を考慮する必要は無い。聖志の言うように、騎士気取りで良いのである。それを判断するのは相手なのだから。