雨宮透流、拙速に事を運び永年の絆を一夕に頽唐す
内海聖志、転機を得て大いに雪の赤心を獲る
~突出した至誠、不動の想望に挫折し竟に敗亡す

▼雪を監禁した透流。彼の行動に失望しまた憐憫の情を懐く雪。一方で、雪の危難を察した聖志は、透流の妹・莉子とともに山奥の廃工場に辿り着く。透流の改 心を願う雪も虚しく、透流の想いは暴走し、聖志を痛めつけてしまう。好きだったあなたを嫌いにさせないでと叫ぶ雪に我に返った透流は号泣し、敗北を悟る。 そして雪は、怪我を負いながら救ってくれた聖志の腕に凭れる。

透流の暴走を見極め、聖志大いに凱歌を挙げる

第50号が発売された週は、政治的に衆議院の解散が宣言されて大いに政局が動乱したために、政経ネタに深い興味を持つ鷹岑としては、ツイッター別アカウン トやFacebookなどでの論戦に参加するなど、考察を書く状況でなかったため、今回は先週号とまとめて考察記事を記させて頂く。
雪の言葉
流石氏にも言ったが、今回の聖志・透流の新旧対決の顛末は、技術論としていささか強引であったような気がする。誘拐・拉致や、鉄鋼を衝車として門を打ち破 る元デブの美少女などと言った非現実的な世界観でその場を盛り上げるのではなく、静謐ながらも深層心理をモノローグを交えて描写していっても十分だったよ うな気はする。
当初、雪は透流に対して「私の気持ちは変わらない、透流とは縒りを戻さない」としているのだが、それが雪としての誠心からの答えであるかどうかと言う疑念は、鷹岑からしても感じる部分なのである。
GE進行上のテクニカルな手法として、透流の暴走を描き彼が結果的に自滅の様相を描くことで雪の聖志回帰が決定的なものとなった訳であるが、単純に考えて 透流には雪をわざわざ拉致監禁という犯罪行為に及ばずとも、それまではじっくりと雪の存在を待つ余裕があった訳で、当考察でも都度指摘してきたように、そ のままで行けば(雪の中で)聖志との抗争に最終的に打ち克つほどの存在感があったはずである。
ところが、透流からすれば雪との接点が極端に少ない筈の聖志の存在に脅威を感じ、聖志との対決を忌諱するような行動を取り続ける透流に対し、不可解さを禁じ得なかったのは事実である。

その内海を作ったのが黒川なんだね(泉司)
~GE・内海聖志の大根本

その内海黒川雪を軸に置くと、大沼理沙は皮肉にも優遊敦厚である聖志の長所を引き立てるという、まあ本人にとっては非常に不本意な立ち回りを演じている訳であるが、ストーリーを彩る素材としては非常に型にはまっているキャラクタに落ち着いたと言えよう。
理沙は女性側から見た聖志の心象を代弁してきた存在であり、彼が「モテない」とされてきたラブコメではあり得ない主人公設定をモテる主人公と裏付けたものである。理沙が登場する場面というのは、概ね、内海聖志のキャラクタ像を熟視しているものであることがよく判る。
彼女が聖志を「かっこいい」と評したこの場面は、聖志とのリレーションとして雪の決断の暗喩を伴っていて、泉司が「彼を作ったのが黒川」と裏付けた言葉は、まさにGE連載当初からのコンセプトに沿ったものであることが分かるだろう。

俺を見捨てるのか!?(透流)
~焦燥の果てに

「透流は要求ばかりで、望む言葉に我が心はない」とした雪だが、透流実際は透流自身が雪が求める腹を割って話し合うことを拒んだ結果であると言えるだろう。
少なくても、雪は透流の言葉を聞く度量の広さを持ち合わせていたのだが、透流自身がつんのめって聖志を異様に警戒し、結果として雪の言葉をも警戒してしまうと言う悪の連鎖に陥ってしまったのである。

彼は聖志を何ら怖れる必要も無かったわけで、雪自身も心理的な比重は透流側にあったと、鷹岑は見ている。その根拠はこの考察でも長く述べていたように、雪 からしてその恋愛史が紛れもなく聖志よりも透流の方が深く長い。透流に対する想いが格別であったことは、如何に本編で彼女が聖志を想う言葉を並べても払拭 できない部分ではあったのである。

ゆえに、本当ならば透流は「動かざる事山の如し」というように、余裕綽然として雪の答えを待てば良かったのだが、そこは物語の流れ。流石氏は透流に特攻を命じたという訳であろう。

火事場の馬鹿力(理沙)

火事場の馬鹿力流石氏に思わず突っ込んだ場面。この手の鉄鋼はいかに元デブとはいえ、普通の女子高校生程度で持ち上げることは絶対に不可能である。
流石氏は「見せ場は多少盛らないと(笑)」としたが、大沼理沙の馬鹿力は、水滸伝の母大虫顧大嫂をも瞠目するものであることに間違いがない。

大沼理沙のような女の子は大きくして胆力が備わって夫を尻に敷く、という感じよりも剛胆な良妻となりうるタイプであろう。本編では今は断続的な出演だが、黒川雪や、池谷晶のタイプがアクが強いのに対し、比較的取っつきやすいキャラクタであることは間違いがないだろう。

時間さえ過ぎてしまえば(芽生)
~ところが男は未練な生き物でして・・・

ありがとう湯 浅芽生が精神的処刑を受けた透流に対して未来はあるという意味合いで言った言葉であるが、「時が全てを解決する。時が傷を癒やしてくれる」というのは実は 癒えたり忘れたりするものではなく、世間に揉まれ揉まれて耐性がつく、感覚が鈍くなる、と言った方が正しいかも知れない。
少なくても、GEのように僅か10代中盤辺りに重い経験を経て心的重傷を負い、それが「時間が過ぎれば解決してくれる」と一括りにしてしまうのはいささか短絡的な気がする。
時が過ぎて解決すると言うことは、その分別の何かを失うと言うことであって、それが恋愛に対する「ときめき」であったり、何かを綺麗だと感じなくなったりなど、良くも悪くも、無感動な大人になって行く契機であると言うことなのだ。
恋愛をするものにとって、時間というのは良いものに感じるのだが、人によってはとても残酷なものであり、またそういう意味からも、後者である場合が大多数であるといえるのである。