GE、時宜を見通した安定の終結へ
聖志・雪、貫き通した互いへの思念、
 峭峻の壁を越えて結実す

~黒川雪の母、体裁よりも真情を取り、雪聖志へと帰趨する

▼黒川家執事の多恵から雪の居場所を書いた紙を貰った最後の選択を迫られる。選んだ答えは、「雪の奪還」だった。聖志の登場に喜びにむせる雪。激怒する雪 の父親を宥める母。短い逃避行の先、夜明けの海岸で雪は聖志に本心を告げる。聖志は腕を拡げて、雪を受け入れた。


第155話イメージソング ほっとけないよ/楠瀬誠志郎

無難を求めた主要キャストの収斂、迂廻を経て完結へ


雪両親との確執を最後に設定したのは、君のいる町の同系のエピソードと比較すれば、順列としては非常に妥当であった。黒川家夫妻
急転直下の物語終結に向けた全体像としてみてみれば、ヒロイン・黒川雪のメンタルコアであった雨宮透流との関係終決が、物語「GE」としてのラストマター であった訳だが、両親編を連載としての取りに持ってきたことは、流石氏の技術的な意味も含めて、青年誌並の高度なストーリー性を秘めていたこの作品として は、文字通り「大人」との対決を経て完全に終結させたといえる。

まあ、此の期に及んで聖志と雪の関係が、たとえ両親の反対を受けても、それこそ昼メロや海外ドラマの如く、駆け落ちも辞さない覚悟であった二人にとって は、広義的な意味でのグッドエンディングを裏付けるものとなったことで締めくくられたと言えるだろう。

登場人物にとってのグッドエンディング

鷹岑がGE~グッドエンディング~を客観的に支持し続けられた最大の理由は、最初の言葉やはりそのコンセプトである。
この物語のタイトルベースである「グッドエンディング」というのは、登場人物達にとってのグッドエンディングであり、読者にとってのグッドエンディングで はない。鷹岑がこの作品考察の第一義に提示したものであるが、流石氏もそれが不変のコンセプトであると言うことを認めている。

当初は青少年に対する恋愛バイブルとしての定義付けをなされてきた訳であるが、基本的にラブコメというのは、キャラクタたちの心情変移こそが「恋愛バイブ ル」という位置に置かれるものである。恋愛には雛型というものはなく、最終的には「子供をなす」過程の中での通過儀礼のようなものであり、その形は様々 だ。
そう言った意味で、GEはラブコメとして位置し、登場人物達の心情描写が文字通りバイブルとして、客観的に読み進められてきた読者にとっては面白い作品で あったと言える。
故に、鷹岑はこの作品が批判のただ中に晒されていたという理由が最後まで理解できなかったのである。

拙速か巧遅か。聖志・雪、終結へ

蓋を開いてみれば怒濤の如き終結を迎えることになった終結GE。
終盤は主人公・内海聖志と池谷晶の最終的破局、黒川雪と雨宮透流との因果の終決など、やや駆け足気味であったような気はするのだが、聖志と晶の関係に比較 をすれば、やはり雪と透流の関係がこの物語にとって極めて比重が大きかったと言うことがよく解る。
聖志は池谷晶から雪へ、更に再び晶、雪と心裡の変遷があり、物語の枢要のひとつとしてあったのだが、雪の場合はやはり終始一貫して雨宮透流の存在が指摘し てきたように劇中では非常にインパクトのあるキャラクタとしてあり続けることが出来たのである。
ゆえに、仮に透流が暴走をすることが無かった場合は、雪は透流に回帰する公算は決して低くは無かったと、鷹岑は指摘してきたが、そこは流石氏の技術論とし て透流を暴走させた。連載を終結させるためとはいえ、その点に関してだけは、鷹岑としては疑問が残る点であった。

次回はGE~グッドエンディング~の最終回と言うことで、更に気合いが入る。