奴隷から五胡の覇権を競う皇帝となった梟雄
 
石勒石 勒 /字:世龍 (274~333)

袁紹の領地だった并州上党郡出身の羯族で、呉の孫皓が降伏する6年ほど前に周曷朱の子として生誕。三国志の終盤になって続々と五胡の主役達がこの世に生を受けてゆきます。
上党郡は首都圏である司隷に近く、司馬一族の本貫・河内郡と隣接していることを考えれば、石勒も祖父母の代から魏・晋の変遷を目の当たりにしてきたと考えられます。

西晋朝廷は、司馬昭や王元姫らが己が器、己が役割を見極めながら作り上げて来たわけですが、「子上殿‥‥」ならぬ「炎‥‥はぁ」などと言った感じで王元姫 がため息をつきながら将来を案じたであろう、当の武帝・司馬炎の不肖ぶりが徐々にツケとなって返ってくる。それが八王の乱と呼ばれる西晋最大の内乱です。
考えてみれば、曹魏の時代は箸にも棒にもかからなかった連中が、宗家の御曹司が皇帝になったからと言って領地の他に軍権まで与えられたもんだから、そりゃ勘違いもすると言うものでしょう。

并州刺史である司馬騰は人身売買のマニアで石勒も流浪の途次にこの男にとっ捕まってしまい、売り払われてしまった。ところがそこが出世の足掛かりだったわけで、賊将・汲桑の下ではご存知、劉禅の末裔たちを皆殺しにするなどいやはや鬼をも怖れぬ所行。
それでも西晋は腐っても何たらで、苟晞(こうき。じゅんきじゃないよ)という名将にボッコボコにされてからは流石の石勒も命からがら逃亡するしかなかった。
でも、帝王になる男ってのはつくづく運が開けるもので、間もなく前趙の開祖・劉淵に拾われるときたもんだ。
前趙にあってめきめきと頭角を現し、因縁ある苟晞を殺し、王弥、さらには司馬昭の腹心で、高貴郷公・曹髦を裏切った王沈の嫡男で、幽州に割拠し、皇帝なんぞになろうとした身の程知らずの王浚を討つなど、まさに虎に翼。

劉淵が死して劉聡の代になると徐々に言うことを聞かなくなってきた。「匈奴の小童が!」みたいな感じだったんだろう。
司馬炎の子で二代皇帝の司馬衷の皇后だった羊献容をNTRった5代皇帝・劉曜と組んで謀反を起こしたプチ王莽の靳準をボコボコにした直後にちゃっかり独立 し、遂に後趙を建国した。国都は、名族・袁紹の本拠地でもある鄴。じゃけど袁紹なんかと比べものにならんよ、「石勒十八騎」が支えていたんだもんね。
その後はその旧主・劉曜をぶった斬るなどして前趙も接収し、こうして華北に袁紹よりも強い国家を樹立したんだとさ。

無骨荒くれ無法者のイメージがあるけど、名僧・仏図澄を手厚く保護するなど、熱心な仏教びいきでもあったみたいね。名前に弥勒の「勒」の字を当てるほどだし。