全てのキャラにとって幸福を招いた文字通りのグッドエンディング
156回を経て訪れし、夫々のプロローグ
~刮目するべきは、晶と透流の今後

最終評価:(★5+∞)EXCELLENT



GE第156回(最終回)「グッドエンディング」イメージソング
遅れてきたプロローグ (稲 垣潤一)


教室の窓辺から憧れの晶先輩の背中を眺めていた、非モテ男子の内海聖 志。そんな彼に恋愛のアドバイスをしてあげようと声を掛けてくる黒川雪。そんな情景から始まった週刊少年マガジンの双璧ラブコメ、GE~グッドエンディン グ~も、2009年末の連載開始から約4年歳月を経て全ストーリーに収斂を見た。まずは、作者の流石景氏に敬意を表したいと思う。

鷹岑が当鷹岑家文書でGEを批評を始めたのは、君のいる町の批評開始とほぼ同じタイミングだったが、頻度としてはそんなに多くはなかったような気がする。
週刊少年マガジンの定期購読もしばらく止めていた手前、単行本ベースでの解説になっていたわけだが、振り返ってみれば中後半、ほぼ全話解説のような感じに なっていたので、我ながら驚いていると言うことだ。

彼らは幸福になれたのだろうか

最終回は文字通り、エピローグとしての色彩を前面に出し、十年後の彼らを描くことによってフェードアウトさせた。
GE・第一話聖志と雪、晶と健人、河野と瑛理……と、それぞれの伴侶を得てそれぞれの幸福(グッドエンディング)を迎えることに なったのである訳だが、個々の読者にとってそれがグッドエンディングだったかどうかは遂に議論の収斂を見ることは無かったようである。

そもそも恋愛に共通した答えというのはなく、十人十色で価値観もまた多様化している中で、今回描かれたGEという作品の収斂が良かったのかどうかは、一概 に断定できるものではなく、また果てしない論議のテーマであるだろう。

ラブコメというのはそう言う無尽蔵の論議が一種の醍醐味であって、今回、流石氏が提唱したのは、一貫して登場人物達にとってのグッドエンディングだったわ けであり、そう言う立場に立ってみれば、非常に無難で、かつベストな収斂であったと言えるのである。

黒川雪のグッドエンディングについての考察

黒川雪鷹岑も当初から指摘していたように、ユキにとっての心の枷は“透流"であったこと。彼とは本当の意味で胸襟を開い た話し合いを持ち、心底から決着を付けなければならない。と、言い続けてきたわけであるが、急転直下の透流の“暴走"によって、怒濤の如き決着を見た。
確かに拙速ではあったが、“透流"らしさがあって静観を続けていたならば、おそらく聖志にとっては更に苦悩の日々が続いていただろう。
それほどに、ユキにとっては透流の存在は、このGEという作品を構成するに当たってのアクシスであったと言えるのである。

途中の経緯で、ユキは透流への想いを断ちきったという感想や見方も少なからずあったわけだが、鷹岑は一貫して彼女と透流のけじめはついていないと指摘して きた。
聖志か透流か。選択肢はユキにしか無いと鷹岑は提起しつづけ、最終的には雪自身が聖志を選択。やや強行的な印象はあるのだが、彼らにとってはそれで良かっ たのだろうと考える。

全156話を通じて、ユキと聖志は親疎のリズムが目立った。彼女は当初は恋愛指南と称し、聖志と池谷晶の接近を斡旋するなど、上から目線、恋愛達者の心象 をひけらかして聖志に接近したわけだが、徐々にユキは心の闇を聖志に見せてゆくうちにしおらしくなって行った。心を覆う鎧やヴェールを外していった所以だ が、ユキにとっては利用できる男、程度に思っていただろう聖志に、無意識に惹かれていったこと。そして聖志と晶の近接を肝心要のところで邪魔をするなど、 ユキのイメージが読者にとって徐々に落魄していったというのも理解は出来る。
内海夫婦内海夫婦

10年後、ユキは小児科医、聖志は駆け出しのフォトグラファー、更には一子・光の存在という、絵に描いたような円満家庭像。
大学卒業後辺りに結婚し、子供が生まれたと推測されるが、このご時世にあって、両親とも専門職ということは傍目から見ても勝ち組と言える。社会的環境から しても、彼らはグッドエンディングなのである。
ユキは聖志に対して依存はしてはおらず、透流という影から逃避する傘の役割としてあった訳だが、聖志自身がユキに対して想いを寄せ続けていたという至極単 純な想いによって絆されてきたということであろう。
ただ、透流への残念を心裡に秘め続けている分、常にユキが恋愛的主導権を持っていたことは否定できない事実である。
主人公なのに、終始「グッドエンディング」への主導権を持たなかった。という異例尽くめのこの物語が、賛否両論の際立つ俎上にあり続けたというのも、理解 の範疇にあって憚らなかった。

○透流とユキ、聖志と晶。貞操概念に一石を投ず

いわゆる処女厨と呼ばれるクラスターが、ユキや晶は非処女でけしからん、などという実に些末な話で攻難していたことを聞く。双璧のひとつ「君のいる町」に ついても、枝葉柚希が東京にいる男に寝取られたなどと言う、根拠無きナンセンスに憑拠し、ヒロイン攻難の旗幟を振り翳しているようだが、GEはそうしたヒ ロイン処女絶対論というアブサードな考え方を覆してきたと言える。
つまり、ユキにしろ晶にしろメインヒロインはいずれも処女ではなく、場数を踏んでいる。その上、経験を踏んだもの同士が相関図の身近にあるという点からし ても、非常に高度な関係であったと言える。
それを上手く捌き、また押し寄せる波乱を乗り越えてきた聖志の勇気、そしてユキの決断には恋愛論としてリスペクトするべき点は多い。

池谷晶のグッドエンディングに対する考察

池谷晶晶については、やはり当初から聖志と結実するだろうという環境に乏しかった。初登場からしてそれは容易に想像できたことである。
彼女が先輩「沢田健人」の強い影響下にあると言うことは、単行本第一集からして既に判明し、鷹岑はここを読み進めた時点で、晶の健人への想いは一筋縄ではいかないものがあると断定してきた。

後半、晶は聖志と肉体的にも結実したわけだが、聖志のことを想っているとするならばこの時点で漸くユキと肩を並べる位置に立ったと指摘。だが、聖志はまた別として、晶自身が必ずしも聖志だけに目を向けていたというわけでは無かった。
つまり、晶もまた終始沢田健人への想いを貫徹させていたと言えるのであり、淫蕩かつ軽佻で晶を度々泣かせてきた健人も、結局は晶の心裡に滔々と続く想いに気がつき収斂した。
見方によっては、女版の内海聖志的立位置が、彼女・池谷晶であったとも言えるのである。
沢田健人・沢田晶(旧姓・池谷)夫妻
「内海聖志に想いを寄せられている」という設定上、物語の世界では檜舞台にあり続けた池谷晶だが、劇中で唯一、主人公と濡れ場を演じたキャラクタとして絶大な影響力を維持したことは間違いが無い。
晶にとって、沢田健人と最終帰結を迎えたことについては、彼女にとってそれが本当に良かったことなのか、という意味にもなるのだが、仮に透流の暴走がな く、ユキが聖志との暗闘に辛勝して結ばれた透流と幸福を得たとして、聖志と晶が結ばれたとしても、それはそれで同じことを思っていただろうと考える。
恋愛のプロセスや通過儀礼の一般的変移はともかくとして、物語の中で主人公と身を重ねた場面を持ったことの意味は、それくらい大きかったという事なのである。

○沢田健人への餞

晶は意外と意志が強く、また気が強い。良い意味での女性らしい強さを持ち、なるほど聖志も惹かれただけのことはある。
紆余曲折を経て晶は健人の元に帰結したのだが、健人にとっては絶妙なバランスの中での幸福感に飛び込んだと言える。
恋愛と人間的信用は別物であり、晶が健人を心裡に秘め続けていることと、帰趨したとは言え、健人の浮気性に対する不信感は晶の裁量次第という、常に崖っ縁の上にあって彼女を愛し、見つめ続けなければならない。まあ、健人のような人物にはそれくらいが丁度良いわけだ。
内海聖志と深い関係になった晶と縒りを戻し、今になってぎこちなくも挨拶を交わした健人と聖志。健人自身も幾ばくかは人間として成長した証であり、佳き飲友達として昇華してゆくことを憚らないだろうと、鷹岑は思う。

雨宮透流のグッドエンディングに対する考察

雨宮透流雨宮透流は最終回に於いて、唯一「グッドエンディング」には至っていないキャラとして描かれたが、これが実に絶妙であった。
沈着隠忍である彼の突然の「暴走」によって、物語が釣瓶落しの結末を迎えたことを考えると、やはりヒロイン・雪からすれば、雨宮透流の存在は終始物語の帰趨を決める最重要キャラであったと言うことを裏付けたものであった。
流石氏が彼を敢えて「グッドエンディング」の対象から外したという技法が、まさにこの作品がラブコメ、そして恋愛漫画として奥行きのある存在感を発し、最終回に至って雨宮透流が主人公並の待遇を得た、と言っても過言では無いのである。

GEでは終始、キーワードとして、また相関関係を左右する存在として登場回数は少ない割に多大な影響を齎したことは率直に評価できる。鷹岑が、ユキの選択 の場面に於いて、透流が暴走をしなければ、ユキが透流に回帰する可能性は否定できなかった。としたのはまさにそこであり、ユキのために東奔西走する聖志の 甲斐甲斐しい努力を尻目に、常に優位を保っていた透流の処遇を、暴走という強攻策を用いてしまったことは、流石氏もおそらく苦渋の決断だったのではないだ ろうか。
透流独伝
GEアナザーストーリーの主役として可能性も秘めていた雨宮透流。
今の透流を忖度するわけではないが、彼が莉子の言うようにユキの事を忘れられないで結婚をしないと言うのならば、「何であの時、ユキの事を拉致ってしまっ たんだろう……」と自問自答の日々を送っているためではないだろうかと、詮無き邪推だ。自分で自分の行動が解らないのでいるのか。創世神(流石氏)の指示 で問答無用で動かされた暴挙に自問自答か。

ともかく、“彼らしさ"を貫いて行ければ、最終的な勝者となり得ただけあって、最終回を迎えてなお「暗中模索」の透流の姿は非常に印象が強いし、やはり影の主役は彼だったのか、という事を実感させられたのである。

遅れてきたプロローグ、クオリティの高い恋愛譚

賛否両論の高かったGE~グッドエンディング~だったが、盲信的なGE並びに流石氏信者とは一線を画す鷹岑としては、いずれのキャラクタにも、またいずれにストーリーに於いても嫌悪感というのは一度も懐いたことは無かった。
ラブコメにしろ何にしろ言えることなのだが、物語というのは客観的にまた相対的にそのコンセプトを捉え、キャラクタ個々の立場の上になって読み進めれば、 嫌悪感というものは懐くことはない。キャラクタの個別の言動や、立場の変遷に一喜一憂して作品並びに他者の考察を駁撃すると言った了見の狭さを、鷹岑は持 ち合わせていないので、終始主人公・内海聖志から、晶の元彼・沢田健人に至るまで嫌いなキャラクタは存在せず、個々の立場からの解説を試み続けてきた、 GEの考察記事であった。
メインタイトルは、「グッドエンディング」として連載開始から登場人物達にとってのグッドエンドを目指してきたストーリー。その終結を彩るイメージソングは、稲垣潤一氏の「遅れてきたプロローグ」を以て他にない。グッドエンディングだからこその遅れてきたプロローグ。

登場人物達の年齢こそ高校生が主体で若かったが、内実は青年誌に於いてもレベルの高い心裡を追究したクオリティを維持し続けてきた。
物語はこれで終り、鷹岑家文書としても考察記事はこれが最後となるわけだが、作品を通じて鷹岑自身も勉強になることが多く、作品を提供し続けてきた流石景氏には、改めて感謝と敬意を表したいと思います。

では、またいつか。流石さんの新しい作品が生まれたならばお目に掛かりましょう。

2013年1月9日 タカミネ コウ