細部に亘って矛盾と齟齬を露呈する瀬尾流旧ラブコメ
時宜的にも倫道的にも粗雑が目立つ逸話
▼青大は故郷・広島庄原の成人式ではなく、柚希と共に東京の成人式に出席しました。旧友に会いました。風間の話が出て感傷に浸りました。このことを計算し ていたように、絶妙なタイミングで風間のヘルメットを出しました。以上です。
最早意地で通す瀬尾流、ストーリーの縁取りはせず、ばりが目立つ内容
今回のストーリーは、瀬尾氏らしさが良く出ていた内容であると考えられる。
青大が一生に一度しかない貴重な成人式を、何故故郷である広島庄原において参加しなかったのか。紛いなりにも「君のいる町」は、その広島庄原の“観光振 興”を銘打っている手前、イニシエーションの舞台は少なくても東京ではなく、彼らの地元・広島庄原を舞台にするのが筋が通っているのではないだろうか。
それがなく、ただマガジン誌の発売時期的に1月初の成人式シーズンだから描いた。柚希の晴れ着を描いてみたかった。そろそろ風間ネタを描いてみてもいいか も。程度の認識なのだろう。
つまり、瀬尾氏はそうした構成(ネーム)を考えるにあたって、様々な設定や齟齬・矛盾・批判を全く考慮せず、ただ思いついたから描いた。あそこに取材(と 称した物見遊山)したからその場面を描いた訳であり、そうした素朴な疑問に対して傾聴せず、また解決するつもりもないので、結局主人公やヒロインたちの言 動・行動に対して様々なボロや批難が生じるのである。
いつも当考察で述べていることの繰り返しになるわけだが、今回の話が『ラブコメディ』というジャンルを称している上において、物語として一体どのような意味を持つのか。
「風間恭輔の想いで話」そのものは別に良い。個々の中身は、それぞれのキャラの持ち味を出していると言えるのだが、今、この時期に風間恭輔の話題を引っ張り出してきて何の得があるのか、という事である。
これによって、何か「ラブコメ」として再び波乱を呼ぶ要因になるのか、青大と柚希の仲が変化してゆく切っ掛けになるのか。鷹岑にはどうしてもよく解らないし、見えない。
当文書の考察でも言っているように、風間恭輔は本来、青大や柚希、明日香と言った東京組において、死亡退場という極めてインパクトがある方法で隠然たる影響力を保ち続けていると言った。
ところが、彼に関わる肝心の浅倉清美・御島明日香らが、青大・柚希と謎多き全面和解。せっかくの風間恭輔というキャラクタの死亡をもネタ的に立ち腐れになってしまい、たまに話題を上げる程度の、瀬尾流キャラクタロンダリングの一端に質が落ちてしまった。
重ねて言う。鷹岑はずっと指摘してきたが、瀬尾氏は「風間恭輔」という存在を「死亡」という極めて高度な手法で退場させたため、君町東京編において最も重要な存在感を保ってきたのにもかかわらず、瀬尾氏がその風間恭輔の重要性を自ら潰してしまったのである。
あまりにもキャラクタの使い方が下手と言わざるを得まい。
また、今回の風間の中学回想場面だが、鷹岑は何故に今更、こんな殆どストーリーに影響が無い時期に、単発エピソード的な扱いでやっているのか? と思い、非常に残念でならない。
同じ話を、青大・柚希・風間の三角関係が熱を帯びていた時期に入れていればどうだっただろうかと思う。
君のいる町で、最も重要な立ち位置にあり、主人公やヒロイン達にとって隠然たる存在感を放ち続ける彼が、瀬尾の技術力のなさでキャラクターロンダリング、自転車操業の一角として扱われていることに、当の風間恭輔も草葉の陰で号泣していることだろう。
死人に山梔子とは良く言ったもので
風間恭輔は特別な存在だから青大も言葉の裏返しで「柚希とつき合えたのは、お前が死んでくれたおかげだ」と言うことが出来て、柚希も本音がなお見えずとも風間の死に残影を引き摺ることは無かった。
それはそれで良い。確かに、風間の存在を今持ち出すことを否定することはしないのだが、だからといって、彼の存在を出すことで何らかの成長や進展があるの だろうか。ただ、ハイ成人式に出ました。ハイ風間も出るはずでした。ハイよ!ヘルメットを持ってきました。ホラ感傷的になりました‥‥。何か軽い。そこは かとなく軽い。
万が一、風間の話題が出なかったとしたら、青大はどう言う行動に出ていたのか。自分からバッグを開いて風間の話題を作ったのか。成人式で中高時代の友人に 会うことを想定して、あらかじめヘルメットを用意して話題に備えていたというのならば、それもそれで実にあざとくはないか。
いずれにしても、読者にとっては、風間を中心に置いた青大や柚希の行動に対して、そう簡単に払拭できない不信感と言うものがある。
死人に口無しとはよく言ったもので、瀬尾氏がヒロインの心理描写不要論をいかに唱えようとも、その柚希との馴初めを知る当の風間恭輔は心理描写不要以前 に、もう劇中では死んでしまって二度と出てこない。これではそもそも「ラブコメ」としての核心に触れることなど出来はしないのである。
まあ、要するに成人式の情景を描くのと、そこで風間の思い出話を引っ張り出して合わせることに何ら意味は無い。そのことを言いたいだけである。
時宜的にも倫道的にも粗雑が目立つ逸話
~草葉の陰で泣く風間恭輔を偲ぶ
▼青大は故郷・広島庄原の成人式ではなく、柚希と共に東京の成人式に出席しました。旧友に会いました。風間の話が出て感傷に浸りました。このことを計算し ていたように、絶妙なタイミングで風間のヘルメットを出しました。以上です。
最早意地で通す瀬尾流、ストーリーの縁取りはせず、ばりが目立つ内容
今回のストーリーは、瀬尾氏らしさが良く出ていた内容であると考えられる。
青大が一生に一度しかない貴重な成人式を、何故故郷である広島庄原において参加しなかったのか。紛いなりにも「君のいる町」は、その広島庄原の“観光振 興”を銘打っている手前、イニシエーションの舞台は少なくても東京ではなく、彼らの地元・広島庄原を舞台にするのが筋が通っているのではないだろうか。
それがなく、ただマガジン誌の発売時期的に1月初の成人式シーズンだから描いた。柚希の晴れ着を描いてみたかった。そろそろ風間ネタを描いてみてもいいか も。程度の認識なのだろう。
つまり、瀬尾氏はそうした構成(ネーム)を考えるにあたって、様々な設定や齟齬・矛盾・批判を全く考慮せず、ただ思いついたから描いた。あそこに取材(と 称した物見遊山)したからその場面を描いた訳であり、そうした素朴な疑問に対して傾聴せず、また解決するつもりもないので、結局主人公やヒロインたちの言 動・行動に対して様々なボロや批難が生じるのである。
◀センターカラー忘れた頃の風間ネタ、枢要の退場もロンダリングの一端に甘んず~風間恭輔
ただのCカラー輪番が廻ってきたと言うことであって、人気云々があって、ということではないような気がする。
「抑え切れない、跳ねるココロ♡」などと煽っているようだが、実際の所は飛躍している内容を踏まえて「抑え切れない、跳ねるストーリー♡」とでも言った方が正しいのではないだろうか。
いつも当考察で述べていることの繰り返しになるわけだが、今回の話が『ラブコメディ』というジャンルを称している上において、物語として一体どのような意味を持つのか。
「風間恭輔の想いで話」そのものは別に良い。個々の中身は、それぞれのキャラの持ち味を出していると言えるのだが、今、この時期に風間恭輔の話題を引っ張り出してきて何の得があるのか、という事である。
これによって、何か「ラブコメ」として再び波乱を呼ぶ要因になるのか、青大と柚希の仲が変化してゆく切っ掛けになるのか。鷹岑にはどうしてもよく解らないし、見えない。
当文書の考察でも言っているように、風間恭輔は本来、青大や柚希、明日香と言った東京組において、死亡退場という極めてインパクトがある方法で隠然たる影響力を保ち続けていると言った。
ところが、彼に関わる肝心の浅倉清美・御島明日香らが、青大・柚希と謎多き全面和解。せっかくの風間恭輔というキャラクタの死亡をもネタ的に立ち腐れになってしまい、たまに話題を上げる程度の、瀬尾流キャラクタロンダリングの一端に質が落ちてしまった。
重ねて言う。鷹岑はずっと指摘してきたが、瀬尾氏は「風間恭輔」という存在を「死亡」という極めて高度な手法で退場させたため、君町東京編において最も重要な存在感を保ってきたのにもかかわらず、瀬尾氏がその風間恭輔の重要性を自ら潰してしまったのである。
あまりにもキャラクタの使い方が下手と言わざるを得まい。
また、今回の風間の中学回想場面だが、鷹岑は何故に今更、こんな殆どストーリーに影響が無い時期に、単発エピソード的な扱いでやっているのか? と思い、非常に残念でならない。
同じ話を、青大・柚希・風間の三角関係が熱を帯びていた時期に入れていればどうだっただろうかと思う。
君のいる町で、最も重要な立ち位置にあり、主人公やヒロイン達にとって隠然たる存在感を放ち続ける彼が、瀬尾の技術力のなさでキャラクターロンダリング、自転車操業の一角として扱われていることに、当の風間恭輔も草葉の陰で号泣していることだろう。
死人に山梔子とは良く言ったもので
風間恭輔は特別な存在だから青大も言葉の裏返しで「柚希とつき合えたのは、お前が死んでくれたおかげだ」と言うことが出来て、柚希も本音がなお見えずとも風間の死に残影を引き摺ることは無かった。
それはそれで良い。確かに、風間の存在を今持ち出すことを否定することはしないのだが、だからといって、彼の存在を出すことで何らかの成長や進展があるの だろうか。ただ、ハイ成人式に出ました。ハイ風間も出るはずでした。ハイよ!ヘルメットを持ってきました。ホラ感傷的になりました‥‥。何か軽い。そこは かとなく軽い。
万が一、風間の話題が出なかったとしたら、青大はどう言う行動に出ていたのか。自分からバッグを開いて風間の話題を作ったのか。成人式で中高時代の友人に 会うことを想定して、あらかじめヘルメットを用意して話題に備えていたというのならば、それもそれで実にあざとくはないか。
いずれにしても、読者にとっては、風間を中心に置いた青大や柚希の行動に対して、そう簡単に払拭できない不信感と言うものがある。
死人に口無しとはよく言ったもので、瀬尾氏がヒロインの心理描写不要論をいかに唱えようとも、その柚希との馴初めを知る当の風間恭輔は心理描写不要以前 に、もう劇中では死んでしまって二度と出てこない。これではそもそも「ラブコメ」としての核心に触れることなど出来はしないのである。
まあ、要するに成人式の情景を描くのと、そこで風間の思い出話を引っ張り出して合わせることに何ら意味は無い。そのことを言いたいだけである。
コメント
コメント一覧 (9)
今週のは、面白いか面白くないかと聞かれれば面白くは無かったですね(^^;;
風間自体もう登場しなくなって長いのですから、今更と思う人は多いでしょうね。 来週はどの話を持ってくるかわかりませんが、ってか成人式ネタは今週で終わりですよね?
‥‥だから何? って感じ。
>今週のは、面白いか面白くないかと聞かれれば
いや・・・それ以前に、何か物語にとって意味のある話なんですか?って事ですよね。
意味のある話なら、別に面白くなくても良いんですよ。
>成人式ネタは今週で終わりですよね?
瀬尾さんの頭には時系列って言葉がないですから、来週辺りはいきなりバリェンタィンに飛んでるかもねw
瀬尾さんはせいぜい3話先くらいまでのことしか考えずに、その場の思いつきだけで描いているのだろうな。
> 瀬尾さんはせいぜい3話先くらいまでのことしか考えずに、その場の思いつきだけで描いているのだろうな。
全くもって、あなたの言う通りです。
一刻も早い連載終了を願うばかりです。これ以上晩節を汚すのはやめて。
> 一刻も早い連載終了を願うばかりです。これ以上晩節を汚すのはやめて。
今のままラブコメディーだと言い張るのならば、連載を終わらせた方が良いですね。
抑揚のない、みんな仲良し単なるハートフル日常コメディとするならば、300話だろうが3000話だろうが構わないと思います。
逆に言えばこの「すでに約束された結末」がある以上、途中で何をやろうが何ら影響しないとも言えるわけで(何が有ろうと時間飛ばしで全て解決可能)、成る程作り手の側が絵とエロを売るためにいくらでも話を延長、かつマガジンでは連載も終わった&終わる作品がある中、つなぎとして確実に一定量稼げる「エロ絵作家」は、そりゃ貴重でしょう。作者にしたってそれで金が入るんだから何一つ問題なし。
「晩節を汚す」なんて、発想すら欠片も出てこないでしょうね。そうやっていくうちに、まともな恋愛物、いやまともな漫画作品を描く技術さえ退化していかないといいんですが。人間誰しも本気出さないでいると、本気の出し方さえ忘れるものですから。
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瀬尾流というのは何故か、キャラクタの人生進路が極めて順調に推移し(進学・就職など)ているので、そう言う面での波瀾含みの展開は殆ど不可能。
あなたの言うように、物語の終決がある以上、その途中過程である現在において、いちいち七面倒くさい波乱を組み敷くほどのやる気を、瀬尾氏ら制作サイドは持ち合わせていない。
あなたが指摘するようにリーダーとしての「エロ絵」作家とする瀬尾があるのならば、鼻息を荒くしてラブコメのパイオニアとする瀬尾自身として、そう見られていることに矜恃があるのかないのか。
>まともな恋愛物、いやまともな漫画作品を描く技術さえ退化していかないといいんですが。
瀬尾は、まつもと泉氏や窪之内英策氏をリスペクトしているとしているが、それが果たして本意なのかどうかすら怪しい。私は、批判の声を聞く耳を持たないような傲慢なクリエイターに、人をリスペクト出来る器量があるとは思えません。
>人間誰しも本気出さないでいると、本気の出し方さえ忘れるものですから。
まったくもって、うなずくことばかりです。
「エロを描けば売れる」。そういう事を前提にする大原則は何か。読者が舐められていると言うことに他なりませんね。もう少し、読者側も作品の本質を捉えることが出来る眼力を備えることが大切なのではないかと思います。