必然性はあれども、重要性なき焦点の第200話
一言で言うならば、勿体ない。という事である。
多分、編集サイドとしては「200話」という、キリの良い話数に青大と柚希の初体験シーンを持ってこよう。という、構成面におけるただのテクニカルな手法 にのみつんのめって、事ここに至るための意味や布石、必要性を等閑にし、結果としてラブコメとしての立ち位置であった「君のいる町」そのものの品質を、更 に凋落の一途に貶めてしまったことである。
青大・柚希の関係そのものは否定するべきものではないのだが、恋人としての通過儀礼、そして終始一貫して恋愛作品の必然的要素である初体験・エッチシーン というのが、ラブコメとして活きていた時期に採用されず、話数稼ぎのためのキャラクタロンダリング・自転車操業のただ中に取り入れたことが非常に惜しいの である。
鷹岑はいつも言っていることだが、次はどうなるのか? などや、この場面はどうこうと言った技術的なことや個別の話の論評は基本的にしない。基本原則とし て話を繙き、それがどう言う意味を持つのか、どのような影響があるのか。と言うことを視点にしているので、今第21集の最大のコンテンツである初体験・ エッチシーンが、どうしてもそう言う意味において、あまり影響があるとは思えなかったわけである。
主要登場人物が全て青大や柚希に対して好意を持っているという、極めて異例の“ラブコメ”なので、本来重要なシーンであるはずの初体験が、単なる一場面として通過してしまったと言えよう。
瀬尾氏は構成技術が未熟だとは言わないが、少しだけ一般倫理とは違った感覚を持っている。
心理描写不要論を標榜しているとするならば、それを補完して余り有るストーリーを展開するのが大事なのだが、さて、初体験後の青大や柚希を中心とした周辺環境は何が変わったのだろうか。鷹岑はそこを注目してゆきたいと思っている。
▼君 のいる町 第21集真にもって惜しむべき肉体的結実の意味
評価★★
第195話~第203話並びに、マガジンSPECIAL等で単発読切として掲載された、保科美友主人公の番外編2話が掲載。
メインヒロイン・枝葉柚希へ回帰し、同棲生活を始めた主人公・桐島青大が、いよいよ柚希との初体験を迎え、一層、二人の絆が深まる様子を中心に描いていま す。
前々集の収録話以降、取りわけ目立つ、お色気・サービスカット・下ネタ(以下、そう言った描写)を濫用する技法は、作画を重点に置く読者の歓心を買い、瀬 尾氏の秀麗な筆致によって描かれる美少女・美女達のビジュアルを愉しむという意味・視点においては確かに素晴らしいものがある。
一方で、そう言った描写を偏重するあまり、本来「君のいる町」のメインコンセプトである、青大・柚希を中軸に据えた『ラブコメディ』としての役割を既に終 えたことを裏付け、決まるべき終着点を喪失し、ダダ漏れのそう言った描写に依存し、あざとさが顕著になるために、物語としてのデスクオリティの最大の要因 となっていると言える。
連載第200回という節目において、本誌ではセンターカラー枠を用い、今集最大の注目点であり、また読者間では青大と柚希の目下焦点であった初体験描写を 大々的に喧伝してきたわけだが、そうした話数のテクニカルな方法以前に、既に物語としての大勢が去った「君のいる町」にあって、遅きに失したという感覚が どうしても禁じ得ないというのが正直な話である。何故、200話にする必要があったのか、前後の個別の話の必要性・重要性・継続性があるとは思えないの で、そう言う意味で少し疑問に感じる。
柚希への回帰を果たしてからここに至るまでのミーニングレスな話の連続が食傷感を招き、そう言った描写の多用濫発が本来、主人公らにとって最大のイニシ エーションである第200回の重要性を翳めたとも言えるだろう。
また、“ラブコメディ”としての「君のいる町」全体を俯瞰したストーリー性は、人物相関・設定・ラブコメの枢機として捉えた場合は、前巻に引き続き最早焦 土と化してボロボロ。誰一人として主人公やヒロインに批判的なキャラクタが存在せず、浅薄さばかりが目立ち、物語としては既にその役目を果たしていない、 と言うことが実に顕著なのである。
恋人としての通過儀礼である初体験描写に囚われることなく、ストーリーそのものを追った場合は、そう言った意味で何ら進展していない。編集サイドが、何故 終わらせるべきものを終わらせられないのか。この作品をごり押しする意図が私には全く解らない。
そう言った意味で、本来星評価は1にも満たないのだが、一応目下焦点でもあり、私個人としても推進してきた初体験を終えたという意味で、今集は星評価は2 とさせて頂いた。
一言で言うならば、勿体ない。という事である。
多分、編集サイドとしては「200話」という、キリの良い話数に青大と柚希の初体験シーンを持ってこよう。という、構成面におけるただのテクニカルな手法 にのみつんのめって、事ここに至るための意味や布石、必要性を等閑にし、結果としてラブコメとしての立ち位置であった「君のいる町」そのものの品質を、更 に凋落の一途に貶めてしまったことである。
青大・柚希の関係そのものは否定するべきものではないのだが、恋人としての通過儀礼、そして終始一貫して恋愛作品の必然的要素である初体験・エッチシーン というのが、ラブコメとして活きていた時期に採用されず、話数稼ぎのためのキャラクタロンダリング・自転車操業のただ中に取り入れたことが非常に惜しいの である。
鷹岑はいつも言っていることだが、次はどうなるのか? などや、この場面はどうこうと言った技術的なことや個別の話の論評は基本的にしない。基本原則とし て話を繙き、それがどう言う意味を持つのか、どのような影響があるのか。と言うことを視点にしているので、今第21集の最大のコンテンツである初体験・ エッチシーンが、どうしてもそう言う意味において、あまり影響があるとは思えなかったわけである。
主要登場人物が全て青大や柚希に対して好意を持っているという、極めて異例の“ラブコメ”なので、本来重要なシーンであるはずの初体験が、単なる一場面として通過してしまったと言えよう。
瀬尾氏は構成技術が未熟だとは言わないが、少しだけ一般倫理とは違った感覚を持っている。
心理描写不要論を標榜しているとするならば、それを補完して余り有るストーリーを展開するのが大事なのだが、さて、初体験後の青大や柚希を中心とした周辺環境は何が変わったのだろうか。鷹岑はそこを注目してゆきたいと思っている。
コメント
コメント一覧 (8)
でも今回の内容読み返してみて改めて思いますね。
他の読者の方々がどう思おうと「君のいる町」はハルトとユズキの結実を皮切りに新しいスタートを切ったんだって。
主人公・ハルトとヒロイン・ユズキ、そしてそれを取り巻く友人達の各自の進路や恋人との今後、そして友人達との絆等、様々な諸問題と向き合って成長していく姿がこの物語の今後の見どころになっていくんだって。
だから、あなたが言うその“諸問題”とやらが、本編で全く“諸問題”という風にならないところに惰性感があるんだと指摘してるのさ。
諸問題となって見所があるんなら、苦言なんざ言わんて(´-∀-`;;;;)
前からも言っているように、俺の批評が正しいとか間違っているとかなんて言うのは、はっきり言ってどうでも良い問題なのさ。
俺はあなたと同じように単なる読者の端くれなのよ。そんな奴の批評なんか、正誤を論ずる以前に、何の参考にもならん訳。オッケー?
俺はあくまで、一読者の視点として客観的に感想・考察を述べているだけ。
>「ハルトとユズキが実は姉弟~ハッピーエンド」
どう思われますか?って、あなたの考えたアイデアをこれまた俺が良いとか悪いとか、論評する立場ではないです。
まあ、ただあなたはあなたなりに「君のいる町」はこうあって欲しいと思って考えたアイデアなんでしょうから、それを提言すればいいわけであって、自身が良い案だと思うのならば、俺ではなくて、メールなりSNSのメンションなり、手紙なりで直接作者側に言えば良いのです。善し悪しの判断をするのは、君のいる町の制作者サイド、だと俺は思います。
私が3.で提唱したアイデアについてではありますが、私的には「君のいる町」のストーリー展開に関しては「現行の順風満帆なストーリー展開に越したコトはない」と思っているんですが、どうも他のファンの方々としてはソレが御不満の様なので、「だったら3.で提唱したアイデアを考案・採用・施行していれば良かったのにな」とポツリと思っただけですので、現行の「君のいる町」には不満はありませんネ。むしろ満足してます。
「順風満帆」なのは別に良いんですよ。青大と柚希の恋人同士が、順調に愛を育んでいくのは構いませんが、公式でこの漫画を「ラブコメ」として位置づけている以上、全体を俯瞰すれば、ラブコメとしてはもう終わっただろ?って話。
何の生産性もなく、ただイチャイチャデレデレで、誰も二人に対峙するキャラクタもなく、抑揚ない話を延々と続けるのは「ラブコメ」の体を成していないでしょ?って、ただそれだけの話なんですよ。
公式で一言、「ラブコメとしての君のいる町は疾うに終わりました。後は(「みなみけ」や「ひだまりスケッチ」のような)青大と柚希と愉快な仲間達のエッチで何気ない幸せな日常風景をお楽しみ下さい」って、ジャンルが完全に変わったことを言えば済むんですよね。少なくても俺は、いつまでも瀬尾側が「これはラブコメだ」と言い張っている以上、それは筋が通らないと思っています。