嫌み無き前向きさと、明朗快闊さが魅力

我妻 亜衣 亜衣 (1996~)

原作者・蔵石氏の設定は定かではないが、彼女の家柄は俵藤太・藤原秀郷に発する奥州藤家の名門・吾妻(あずま)氏の庶流であり、本家は仙台伊達藩士・我妻氏という。

外見こそ、恋愛SLG「アマガミ」のヒロインの1人である、桜井梨穂子にそっくりだと話題とされてきた。マガジンSPECIAL時代を加味すると、彼女の人となりがよく判る。

馴初めの不可思議

ラブコメディーという要素がある時点で、鷹岑は未来に約束された、主人公・青島等の伴侶(妻)という設定こそが、彼は十二分にリア充なのであると指摘した。
まあ、漫画ゆえのご都合設定というのはともかくとして、才色兼備で水泳部のエース、学校のヒロイン級とされる彼女が、非モテの冴えない主人公とした青島等 とどうやって馴れ初め、タイムスリップ先では青島にゾッコンな美人若妻という、官能的な設定となっているのか、その過程がメインコンセプトなのである事を 考えると、傍目から見ても、我妻亜衣が“悪い女”であるはずがない。

青島等はともかくとして、彼の周囲は伊東志郎・小松正男といったいわゆるDX団に由来し、非モテ・ブサメンのクラスタに置かれているとされるのだが、青島等は妹・光の容姿からも察せられるように、必ずしも非モテ・ブサメンというわけではない。
人物設定だけを焦点に宛てるとするならば、青島と亜衣が結ばれるというのは、実にリーズナブルなのである。
週刊誌昇格後は、メインヒロインとしての活躍もストーリー構成の緊密さが影響して出番もそれなりに落ち着いてきているわけだが、メインヒロインとしての立 ち位置である亜衣の中心的役割は意外にも大きく、物語の枢軸要素であるタイムスリップは、基本的に彼女と結婚したとされる10年後という設定なので、やは り彼女の動向が物語の鍵を握っていることに違いがない。
10年後に主人公の妻となるための経緯が多岐に亘ることから本編の流れもまた自由自在に編成できる。ヒロインの最終帰結が明確になっている以上、亜衣の存在がラブコメとしての本作が活きていることの確固たる所以と言えるのである。

明日を信じ、努力する女子

週刊昇格後に、亜衣は未来を視て怪我を案じた主人公に対し、明日を信じて努力を続ける女子でいたい。と述べているが、この手紙が水泳部の先輩OBからではなく、青島等の言葉であるという事を亜衣は気づいているのである(亜衣は現時点では青島のTS能力は知らないから)。
先の愛犬の件を考えれば、青島が亜衣のことを考えているのだという“想い”そのものは、気づかない訳はなく、からオケボックスの件を総じて見れば、亜衣が青島を初めとして、いわゆるDX団に対しても必要以上の嫌悪感というものを懐いていないということがよく見える。

学年、広義的には在床高校随一のヒロインとされる彼女の人となりの本質はここでも見て取れるように、まさに物語のメインヒロインとしてはほぼパーフェクト な要素を備えていると言える訳で、伊藤・小松を中心としたギャグパートの視点に立ってみても、亜衣の担うシェアは隠然たる原則として機能しているのだ。

何よりも嫌みを感じさせないそのキャラクタ性は個性が強いマガジンの各ラブコメ作品の中ではあまり突出した存在感はないのだが、確証された未来の結末に あって、このヒロインならば良しと言う安定感を持たせると言う意味においても、亜衣というキャラクタは常に人物相関の中心に位置している。そう言う意味では、さすがは藤原秀郷を祖先に持つ我妻氏の子孫、家柄も良ければ性格も良いという飛躍的な発想も生まれるというものだ。

まあ、それでもタイムスリップというファンタジー要素を除外しても、実際に我妻亜衣のような女性が、非モテを前面に出す男性と幸福になるというのはあまり 現実的ではない。異性を想い慕う最大の要素は金銭ではなく心であるという考え方は、現代ではあまり通じず、ただしイケメンに限るなどや、やはり富裕勝ち組 の特権としての恋愛至上主義がまかり通っているのだから、我妻亜衣そのものが、ある意味ファンタジーなのであろう。
しかしそれでも非現実であると背を向けず、彼女は彼女として、「心」として青島等を伴侶にするというプロセスを、青島や伊藤・小松らに自らを投影させて読んでみれば面白い。
亜衣は、紛れもなく「俺の嫁」というオタク層の平均的偶像なのである。