恋愛漫画家・中野純子氏追悼 鷹嶺家文書考察 ②
NTRを超えて研澄まされた恋、帰結へ
~価値観と固定概念を打破され、愛欲に酖溺せし恋人

◇相手に少しでも情あらば、それは「寝取られ」である

近年、ネット上でも良く聞く恋愛分野の一つ「NTR」いわゆる“寝取られ”は、単純な解釈では、恋人が第三者の人物(性別は関係ない)と性的関係を持たれ てしまうと言うことらしい。
強姦、いわゆるレイプとは類似しているようにも思えるが、一般論であるレイプと寝取られというのは若干違うようなのである。

鷹岑は事細かい情報やネタを基にして言わないからハッキリと言うのだが、鷹岑的には性的関係を持ってしまったその第三者に対し、ほんの少しでも“情”(同 情心も含む)があれば、それは完全な「寝取られ」であると考えている。
強姦・レイプというのは、相手に対して“情”は無い、犯罪行為そのものであるので論外ではあるわけで、そう言う意味では渺々とした情の有無ひとつで、天と 地の差があるものであると考えているのである。
勿論、「寝取られ系」を肯定するという意味合いでは無いのだが、ラブコメディーとしての寝取られを全面否定するつもりもないのである。
滝川 秀基 ◀滝川 秀基

千砂のアルバイト先の同僚で同学年の少年。継母と小学6年時代から関係を持っているという特異な家庭事情を抱える。
恋人がいる女性を決まって狙い撃ちにしてきた、寝取りの天才とされた。
彼の存在が、順風満帆だったポンタと千砂の関係を大いに揺り動かし、功罪両立する関係深化に寄与することになる。
ちさ×ポンの物語を大きく転換させたキーマンであり、彼に対する主人公とヒロインの感情が、起爆剤的な意味合いを持っていることは皮肉でもある。その存在感は物語の後半においてまで隠然たるものがあった。
加藤諦三先生の分析ではないが、そもそも「寝取られる」と言うことは、そこに至るまでの根本的な原因がある訳で、少なくともその相手を嫌っていれば、「寝取られる」下地そのものの発生が無いと考えるのが普通だ。それが無いと、単なる強姦・レイプとなる外道そのものである。

滝川秀基の存在は、ポンタと千砂の関係に大きく関与する事になる訳なのだが、そうなりうるのも、根本的にヒロイン・千砂が彼のことを嫌っておらず、寝取ら れる要因の一端として行動していた部分があることを考えれば、滝川の出自経歴に拘わらず、彼を一方的に批判し、またポンタをヘタレと烙印を押してしまうこ とには一抹の疑問があると言えよう。

寝取られから、真の恋愛へ発展する

ポンタと千砂は、プラトニックな恋愛感情から、不慣れなりにも肉体関係へと進化させる過程において、突然千砂が滝川に寝取られてしまうことは、改めて言う。
それまで順調に培ってきた互いの関係が、脆くも崩壊する瞬間であった訳である。

鷹岑は、この寝取られの瞬間、非常に気分の悪い思いをしたのであるが、それこそが本作の真髄であったことを考えると、なるほど確かに、中野氏の術中に嵌まってしまったものであることに苦笑すら浮かぶのである。

青年誌での強み、恋愛の本質論

「ちさ×ポン」は、青年誌畑の強みもあって、主人公とヒロインの性描写の自由度が高い作品であった訳だが、単純なエロという低俗さではなく、それを基点に置いて重要な意味をもたらしてきた。
主人公が、長く熟成させてきた千砂との関係を寝取られたことによって一夕に瓦解し、これが結果的に「ちさ×ポン」の本質であり、真のストーリーコンセプトとして具現化してゆくことになった。
童貞・処女という概念が、より強く反映されるのは、学生カップルにとってはやはり重要である事は人間そのもののロジックとも言える。
肉体関係の成就に向けていた主人公・ヒロインが、寝取られたという形で台無しにされ、いわばマイナスからの再起とトラウマの克服という、天国から地獄に落とされた境遇は、ある意味悲愴でもあり、またこの作品の最大の醍醐味と言えるだろう。

トラウマを克服し、マイナスをプラスに転じたその後

寝取られという最大の不幸と物語の山場を乗り越えた主人公とヒロインは、箍が外れたように、性交渉に没頭するようになる。
主人公の人生設計に影響を及ぼすほどに、ヒロインとのセックスに依存するところだけを見れば、依存症とも言える時代であると考えるが、この物語ではエピローグに向けて、それまでの過酷な描写とは打って変わってポジティブさが気持ちよいほどに展開されてゆく。

中野氏が「ちさ×ポン」を通して示したテーマというのは、「それでも、あなたは愛せますか」ということに尽きるのではないだろうか。
人は、口では綺麗事や立派なことを言える。だが、実際に目の前に土壇場や逃れられない選択に直面した時、果たしてその言葉の通りに意志を貫くことが出来るのかどうか。それを考えた時、鷹岑はこの作品を通じて、人の本質を見ることが出来るのではないかとさえ考えている。