タカミネコウのTOD的こころ
尾崎豊・德永英明の世界 観に共鳴する深遠且つネイキッドな恋愛譚
~惡の華(©講 談社・押見修造氏/2009~)

タカミネコウのTOD的こころ。今日はハナガサイタヨ…ミタコトノナイハガサイテイルヨ。惡の華についてかんがえる。
講演:鷹岑 昊、原作:押見修造(講談社刊)、お囃子:ASA-CHANG&巡礼。

ブルーレイとして買いたい気持ちになった問題作

アニメのDVDを買ったというのは幸村誠さんの原作で、NHKで放送された「プラネテス」以来なく、その他は基本レンタル程度で済ませているんですね。
勿論、鷹岑は今日時点でブルーレイプレイヤーなるものは持っていないのですけれども、本気でBDプレイヤーを買いたいなあと思わせる作品に出会いましたの ですよ。
それはネット界隈で大きな話題となっている、押見修造氏原作の「惡の華」のアニメである訳ですが。
監督は長濱博史氏。漆原友紀氏の名著『蟲師』のアニメを手掛けた奇才と言うことで、原作の世界観とも加味し非常に高いクオリティを期待しながら、しばらく アニメの視聴から離れ、また視聴作品を峻別する私にとって、本当に久し振りに楽しみになっている作品なのであります。アニメなのに実写をトレース? 実写 をわざわざ絵に直してアニメにするなんざしちめんどくせえ!っとは思うのですけどね。まあ、監督からすりゃ、そんなことをするリスクを求めておるのか、新 しい魅力がそこにあると踏んだのか、作品の世界観も含めて、気になること一入なんですわ。

と、そんなわけで今日は「ハナガサイタヨ」。尾崎豊、黄金期を迎える契機となった德永英明が追求した、真実の心を垣間見る、惡の華のついてのこころだ―。
実写版「惡の華」仲村佐和(佐々木南)◀実写版「惡の華」仲村佐和(配 役:佐々木南)

ニ コニコ動画の生放送で流されたという、ロトスコープの原板。鷹岑がこの映像を初めて見た時は邦楽の映画・ドラマ調のプロモーションビデオでよく見かける雰 囲気であるなという感想を持った。正直な話、アニメバージョンもさることながら、これならば実写パートでの全編放映でも十分なクオリティがあると感じる。
モデルの質も高く、ヒロイン・仲村役の佐々木南君は鷹岑の琴線に触れる演技・映像を見せてくれている。
“惡の華”の本質――――「forget-me-not~勿忘草」
forget-me-not(春日と常盤の抱擁)常盤と共に共有する世界(惡 の華・第45話)

主人公の春日高男はタイプこそ若干違うものの、尾崎豊の世界観に共鳴するキャラクタとして存在しているように思える。
高校編に移行してより、また第45話における春日の名言「僕と生きてくれ、僕がきみの幽霊を殺す。降りよう、この線路から。きみが好きだ」は尾崎豊がアル バムを通じて表現しようとしていたファンダメンタルに通じる。「I LOVE YOU」「OH MY LITTLE GIRL」と言った求心性の強い恋愛と言うよりも「群衆の中の猫」、「ふたつの心」のようなプログレスな叙情をイメージとした展開を見、「中二病」という 俗語による狭義的な範疇に留め置かれない、尾崎の追求した純粋な「真実」の一片を示しているようにも思えるのである。
 マルチタレントの中川翔子君がこのアニメについて首を傾げているというそうだが、固定概念に囚われた意見で、私は中川君の意見には賛同はしないんですわ。反対という意味ではないんだけどね。
押見氏がこの「惡の華」に限らず、いわゆる押見流として発表されている読切りや他連載作に共通するコンセプトは、絵柄による萌えや秀美さを第一義とするチープさではなくて、やはりその強烈果敢なストーリー性にあると、私は読んでいるんですよ。仲村佐和(邪魔だからどけよクソカス)
なんて言うかなぁ。要するに、押見さんの絵柄って、いわゆるラノベとかに蔓延しているような画一的な萌え絵ではなくて、デッサン風のリアリティに比重があ る訳でして、私は漫画は絵柄よりもまず内容・基本が大事であると言い続けているだけあって、惡の華はそのドロドロとしつつもどこか清冽な一途さを見出すよ うな物語に、必ずしも萌えや可愛らしさといった、大衆受けの要素は必要ないと思うのであります。

中川君は「惡の華」のアニメ版を批判しているとされているのですけど、私はむしろ逆でしてですね、ブルーレイに実写パートが収録されているとするならば、プラネテス以来、アニメの媒体を、ブルーレイとして初めて手にする作品として購入したいと思っているんですよね(笑)
仲村佐和のモデル・佐々木南君は、「見た目」としては私は不細工だとは全く思わないし、むしろツボにはまる普通さ。中川君と較べれば、私は佐々木南君を選ぶけどな(笑)
と言うと何か小手先の話題に終始してしまうから。という事で、またこの作品が求めている何かが見えてこなくなってしまいますやん。佐伯菜々子(実写・演:三品優里子)

長濱マジック、見事的中

押見氏の発信・発言を勘案すれば、アニメ版の「惡の華」は、ある意味思惑通りになったと言えますな。
長濱博史監督が“篩いにかける”的な事を示唆し、実際にその技法も加味して物議を醸してしまったんですけど、結果としては押見・長濱両氏の求める「萌えより中身」が的中したと言えるかもね。
仲村佐和(アニメ版)私 は、アニメ版に限って言うならば、惹き込まれている理由はやっぱり「惡の華」そのものが持つコンセプトに共鳴しうる価値観に他ならないと考えているんです が、萌え絵が蔓延する数多のアニメ作品の中で、それこそベルトコンベア的に視聴しては記憶に残らない作品の存在も否定できない中にあって、賛否を鮮明に分 ける話題の提供はやっぱり素晴らしいことなんではないかと思うわけなんですわ。

この作品を見ていて、私は尾崎豊と第二期德永英明の世界を連想させることが容易だったわけです。
今にして言えば、こじらせた「中二病」とでも言うんでしょうけど、尾崎が「正義と真実」をキーワードとして、世界を斜に構えて見ていた(一般論として)の に加えて、第二期の徳永英明は、「JUSTICE」から「Nostalgia」にかけて、「飾らない本質」について、惡の華のように混濁とした葛藤に似た 世界観を語っている。

德永英明「Nostalgia」と共鳴する世界

「思春期になると、身体と共に心に至るまで、人は今までの価値観を変える端緒になる。妥協・依存・順応。社会を生きていく上で必要なことを知ってゆく。それは、生まれてからそれまでに感じてきた、ありのままの世界をがらりと変えることになる」仲村佐和(実写パート・演:佐々木南)
徳永はNostalgiaツアーのインタビューでそのようなことを述べているわけですけど、徳永の言う「ありのままの世界」こそが「真実」であり、「惡の華」で仲村佐和や佐伯奈々子が藻掻き苦しんだ、真実と現実との激しい葛藤と衝突の一片を表していると言えますね。

尾崎豊のようにある意味純朴な、「大人の世界に対する反発」ほどハイスケールなものではないのだが、仲村佐和の「クソムシ」や佐伯奈々子の「許せない…」 は、徳永が言った自分自身の価値観の変化と、現実との懸隔に苛むJUSTICE・Nostalgiaの清冽であり過激さを裡に秘めて、自分自身を焼き爛れ させたいという一種の願望を表現されているのです。
この物語の中核となる、主人公・春日高男と、メインヒロイン仲村佐和、佐伯奈々子はそれぞれ現実に敷き詰められたレールの上を進むことに大小なりに疑問を 懐いている思春期特有の葛藤を抱えていることは言う迄も無いのだが、三人とも極めて穢れなき純粋さを持っているのですわ。それが、読み手側やアニメを観る 側を惹き込んでゆくのです。
佐伯奈々子(アニメ版)
社会に出れば呑み込まれてしまう。正義や真実、鬱積をぶちまける事で飯を食えるのならば苦労はしないですわな。
仲村佐和が「ドロドロのグチョグチョ」と汚物をこねくり回すような言い方を春日や佐伯に吐きつけるその心底は、まさに穢れなき彼女の心に最期まで残った、ノスタルジアなのであろうと、私は解釈しているのです。
型枠に嵌められ、自分自身を隠して周囲と妥協する世の中を「クソムシの海」と投げつけながら、いずれ自分もそのクソムシになってしまうことへの抵抗。
春日高男に求めたものは、一片の縁であって、救われることではなかった気がします。春日高男が仲村を救うという言葉の「救う」とは、安らかな社会への順応。最後の最後で、春日と仲村は道を違えたと言えます。
尾崎豊の「15の夜」よろしく「窓ガラスを壊して回った」ならぬ、「教室をクソムシの海にした」までは良かったが、春日は佐伯にも触れながら、穢れ無き仲村との歩みを諦めていたような気もするのです。

佐伯奈々子、春日とは相容れず

春日が想いを寄せていた佐伯奈々子もまた、汚濁とした内面を秘めているのだが、彼女の場合は敷かれたレールの上から抜け出す程の気概はありませんな。
と言うよりも、春日を自らの世界に取り入れようとする。佐伯にとっては「真実の答え」の意味合いが、敷かれたレールの枠の中で得た、自分自身の疑問の「答え」であるように思えるわけであります。春日×佐伯
そうでなければ、本編劇中で、彼女が春日の事を教えて欲しい、打ち明けて欲しいなどというのはありません。春日は世間で敷かれたレールを、仲村によって外 された。外れなくても良かったレールを自ら外したのだから、レールの枠の中でそんな彼を理解しようとしても、無理なのは分かりきったことなんです。
優等生という偶像に疑問と葛藤を懐き続けているものの、そう言われること、そう見られることを許容していた狡猾さを、仲村佐和は見抜いていた気がします。
そして、春日高男自身も佐伯奈々子がレールを越えることの無いことを悟り、世界を共有する理想を持った仲村に依存してゆく事になったのでしょうけど、仲村 が彼女のことを「蠅より爛れている」と評したのは、そうした彼女の狡猾さを哀れんだものであったと考えることも出来ますよね。
仲村は言葉では口汚く罵詈雑言を吐きまくってはいるのですが、本質的な意味で、相手を貶めるようなことは言ってはいないんです。そういうところが、春日高男を惹き付けて止まないのでしょうね。

と、まあ今回はアニメ版の惡の華に触れてちょっとだけ、押見ワールドの傑作・惡の華について触れましたが、またいずれ、各キャラクタについての考察を賭ければ良いなと思っています。
いやはや、本当にもしもブルーレイ版に、実写パートが全編収録されているとしたならば、本気でブルーレイ版を買ってみようかなと思うこころだー!