広がりゆく将也を取り巻く宇宙。硝子への距離遠きて過去良く近し

隣り合いて互いを向く世界、近くて遠きそ れぞれの想い

~植野の周旋がもたらす過去の栄華、その残照は将硝を大いに震撼す

総合評価★★★★

■島田との邂逅は、植野の周旋だったことを知った将也は、植野に対する不信を再発させてしまう。硝子を巡る将也の行動と同じ事を植野がしていることを知っ た将也は自己嫌悪に陥る。将也の悩みの根源は硝子にあると指摘する植野は、それでも自分は佐原と仲良くなれたから将也もきっと島田と仲直り出来るという。 もう一度ちゃんと硝子と話せと言う将也に、硝子と仲良くなれたら島田とも話すことを約束させ、硝子と共に観覧車へ乗り込む。降りてきた硝子の顔はうっすら と染まっていた。

島田一旗、将也排斥に寄せる心の深奥と現在

島田一旗島 田の真意が読めない。小学時代の西宮硝子事件を契機にいじめの対象を将也に向けたとされるのだが、そもそも島田が主導して将也に対していたのか。何よりも 将也視点のモノローグ調で進められ、島田がどういう経緯で将也に対して件の仕打ちをしてきたのか、語るも何も全てが憶測の領域である。
小学時代に石田将也が硝子虐遇の首魁とされてパニッシュメントを受けるのは、個人懲罰か全体懲罰かという定義において議論評価の分かれるところだが、そも そもそう言った個別の善悪を判断するという事そのものが枢要を逸らすというものであることを考えれば、一概に島田や植野らも責任がある。と断言することは 乱暴に思えてくるのである。
しかし、全体視点として捉えた場合でも、やはり硝子事件の責任を結果として石田将也一人に背負わされたという現実は何よりも厳しく重く伸し掛かる。将也が 辛酸を舐め続けてきた年月を思えば、島田はもとより、単に周旋をしようとした植野に同調するというには相当な抵抗があると言える。

石田将也、今来比興の者。ぬるま湯に浸りて驀進を躊躇う

考えてみれば、植野や島田は良くも悪くも彼ららしい。将也にしてきた事への罪悪感という感情は一概に同じようなものであるとは言い難いものがあるが、少な くともそれが将也の対硝子と同じ質のものではない、と言うことは想像出来る。
植野の周旋冒 頭のあおりにもあったことを勘案すれば、将也は島田や植野らと連んでいた小学時代の「過去」こそが一番楽しかった、と言うことを無意識なりに感じていたか らこそ、意識的にその頃の想い出もろともに記憶の心底に無理矢理封じ込めて彼らを拒絶し、自分を痛めつける事で硝子への贖罪と成す、という事なのであろ う。
ところが、それは結果として自己満足の世界にしかならない。肝心の想いを伝えるべき相手、想いを分かち合うべき相手にそれが伝わらなければ何ら意味が無 い。西宮硝子との邂逅が将也の命運を上向きにさせ、徐々に心の宇宙空間が広がってゆき、硝子の大告白を契機に閉ざされた空間が晴れ上がる。見渡せば近くに 植野や島田と言ったかつての朋友があって、普遍的に周囲を照らしているのが見えることが何とももどかしい。

将也は硝子に対する「贖罪」を言い訳にして自らに対峙する事を懼れている。簡単に言えば、硝子への献身的な気遣いを持続させることによって将也自身のそう した心の本質を極限の境界線で掩蔽している。危うい綱渡りのようなもので、少しでも目を逸らさせるような言動行為をするようならば、それが全て台無しに なってしまうと言うのである。
心の晴れ上がりによって、将也自身の可能性が広がったのも事実ではあるのだが、それと同時に彼が本来秘めていた危うき心の不安定さが明らかにされたのであ る。

●再び付けた×印と、現実逃避

折角取った植野に対する×印を再び付けることになった将也だが、今回は過去の因縁でも、贖罪による硝子がらみのものでもない、自らの勝手な思い込みによる ×印であって同情に値しない×印である。鷹岑は元より植野に付けた×印は毒性があるから一刻も早く取り除かなければならない。と指摘してきたのだが、島田 との周旋を知るや再び付けてしまう。これは本当に良くない。
硝子のために生きるという気概を持って歩んできた将也は、広がり行く人との繋がりを改復してゆくうちに、そうした心地よさに次第にヘタレ化して行っている のではないかという危惧を強くするのである。
「死にたい」と思わず将也の中では母親に誓い、絶対禁句だった言葉を思わず吐露してしまったことで、自らに科した筈の絶対的覚悟の弛緩ぶりが顕わになってしまったとも考えられるだろう。
死にたくなる◀死にたくなる……

将 也の覚悟を大きく揺るがす、島田との邂逅と自己嫌悪を招く過去との葛藤。川井と真柴の笑顔が印象的だが、双方共に悪意は無い。と言うのも、真柴は単純に将 也が自分の提案したイメージを想像して入り込んでくれたと思い、ただの冗談・笑い話だと思っている訳であるし、川井は将也の過去を想起しているわけではな く(と言うか、彼女はそこまで考えていない)、真柴の話に乗って微笑んでいるという程度。結弦や植野辺りはドン引き気味で、自称・将也刎頸の友永束はここ ぞとばかりに気を遣う素振りという、それぞれのキャラの特長を活かしたカットとなっているのが実に丁寧である。
植野と島田を拒絶するという意味で×印を付けたと言うのは、正直見苦しい言い訳に過ぎず、結局のところはここに来て自らが変わるための分岐点において現実逃避を選んでしまったという、あまり良くない効果を招くことになりはしないかと、素人一読者の目線ながら心配している。

硝子が齎した関係毀壊、反硝派植野の確固たる対立軸

似ているよね「硝子が現れなければ、私たちの関係が壊れることはなかった」そう呟く植野に対する賛否は大いに分かれるところだろうが、それは正直、天に唾するようなものであろう。運命を恨んだところで何も始まるものでもない。
しかし、植野もある意味残酷な面もある。彼女は「硝子がいなければ」として全ての要因は硝子にあるとしているのだが、それは裏を返せば、硝子を虐遇する端 緒を作った将也の行動そのものを攻難しているとも言え、将也が硝子に対してかような行動を取らなければ、硝子の存在有無に拘わらず、植野の主張する「関 係」が壊れると言う事もなかったのである。
と言う事は、植野にとっては根本的に西宮硝子という存在が嫌いなのであって、取ってつけたような理由はあまり意味を成さないと考える。

●佐原との関係について

植佐関係修復植野は硝子は嫌いな一方で、佐原みよことは仲を良くしたとされ、その経緯について簡単な回想を示した。
まあ、植佐の関係が愛称で呼ぶ関係にまで改復されていたというのは、鷹岑としても意外ではあった。硝子を中軸にするというのならば、親反両派に区別した方 が良いとは思っていたのだが、技術的に植佐が良好状態にすることで、どう言った影響があるのか、正直よく分からない部分がある。
ただ、植野と佐原が親友関係にあるというのは少しばかり語弊があるように思える。その根拠は植野の佐原に対する見方に尽きるのだが、相手を見下し、その相 手は一種の憧憬に近い感情で対する。見上げる者と、見下す者という主従関係というと極端だが、植野のようにいわゆる強きのグループリーダー格、姐御肌から すれば佐原から「憧れていた」という言葉ひとつで嫌悪感が解消されるというのもあながち不思議なことではなかった。しかし、植野は将也が永束と友人関係で ある事を知った時、「硝子や佐原とか、昔のお前だったら絶対に連まないような連中」と悪し様に罵ったことからして、将友のように刎頸の友であるという形で はないと言う事が何気に感じるのである。

●滲む、将也への想い

反硝派・植野直花植 野の存在意義は、反硝派であり続けると言う事である。それがあるからこそ、物語の中で映え、存在感を保ち、読者の人気も一定するのだ。仮に、彼女が衷心か ら親硝派に転じたとするならば、即存在意義を失う。某恋愛系漫画のような浅薄な相関関係に陥らないようにと願うばかりではある。

そして、植野はそうした確固たる「反硝」を掲げることによって将也にとっても西宮硝子か、植野直花かというラブコメディ特有の三角関係を形成する最大の原理原則を備え、聲の形のヒール的立位置ながら、西宮硝子を食ってしまうと言う事も少なく異彩を放っている。
彼女から見れば変貌してしまった石田将也に対して、それでも好きだという想いを懐き続け、将也を支えようとする一途で健気な面が好感を持てる一方で、永束 にトラウマを植え付けるなど、暗黒の部分も含み、今のところメインヒロインの西宮硝子よりもディープな性格に肉付けされた真・ヒロインの様相すら呈してい るのが興味深い話である。

静かなる宣戦布告か~西宮硝子

西宮硝子植 野が西宮硝子をどう思っているのか。単に嫋然とした“悲劇のお嬢様風”のイラつく女。クラスをメチャクチャにした元凶。好きな理由よりも、嫌いだという理 由は何でも付けられるのだが、植野の中でそれでも佐原みよこよりは御し易い少女だろうと思っていたとするならば、それは大きな間違いであろう。
鷹岑は硝子について件から指摘しているように、見た目の嫋やかさとは裏腹に、硝子は非常に気の強い、負けず嫌いの烈女然とした芯を持つ少女である。気の強さからすれば植野もそうだが、西宮硝子の気丈さは植野の比ではあるまい。
もし、植野が「私が硝子と仲良くなってくれたら、将也も島田と仲良くなってくれるだろうか」という、然もない通過儀礼的な感覚で対したとするならば、手痛い竹篦返しを喰らうだろうと思うのである。

硝子は植野を出し抜き、往来でそのたどたどしき肉声で大きな声で将也への好意を叫んだ。そんな気丈な少女なのだ。植野の覚悟の程は幾ばくかは知らないが、適当に硝子を丸め込んでやる、程度の感覚で対せられては「聲の形」の沽券に関わる。
「私は石田が好きだから、それだけは覚えておけ」みたいなことを言ったとするならば、硝子も「私も将也が好きです。あなたには負けません」と敢然と切り返す。そうであれば、俄然この物語は面白くなってゆくものだとは思うのだが、果たして如何だろうか。



お節介みたいなの (島田)
植野が島田と話をしていて、将也の話題に触れていたことを裏付ける台詞である。島田からすれば、彼なりに一応将也の事を気に掛けていたとは思うのだが、一読者・第三者の感覚からすれば、何を今更という嫌悪感は否めない。
俺と同じことをしやがる (将也)
確かに、植野は将也と同じ事をなそうとしている。ただ、唯一の違いは将也は小学時代から悔悛と贖罪に血塗ろの努力を重ね現在に至る。植野は往来ですれ違ったあの時からか、それよりも前からなのか。そこが分からない。
死にたくなる…… (将也)
「死にたい」という言葉は、170万円を消費した彼の母親との堅い誓約による絶対的禁句だった。思わず吐露してしまったことは、彼の中で未だ解決出来ていない罪過と、知らずのうちに浸かっていた安楽への戒めのように思える。
ほっとかんし! (植野)
「言われなくても行くし!」と言ったメールの文言よろしく、口は悪いが植野が本当に将也の事を想っている、という事をさり気なく強調された言 葉。一般論からすれば、将也のような「ヘタレ化」した男には、植野のようなぐいぐいと引っ張ってくれるような姐さんタイプの女の子の方が似合いのようにも 思えるのだが、どんなものだろうか。
あんたと私って似てるよね (植野)
確かに似ている。違いはただひとつ、辛酸を舐めてきたか、来ないかの違いだ。
今日 一緒に帰るぞ (植野)
佐原との関係改復の端緒。仲が良くなった。というのは正直語弊で、植野からすれば佐原を配下にした、という感覚なのかも知れない。佐原がもし自己主張の強い人間だったとすれば、植野とは相容れぬ関係だっただろう。
どの口が言ってんだよ (将也)
どの口でも何も無い。将也はそうした自己嫌悪の姿勢をいい加減に改めなければいつまで経っても堂堂回りだ。自分の正しいと思うことを貫くべき。
私と観覧車に乗ろ? (植野)
この観覧車の中で、植硝は整然とした火花を散らしたのか。あおりでは傷という言葉を強調するが、個人的には未来に向けた宣戦布告であって欲しいと思っている。