奇 を衒わず、物語の基本原則に遵った、有史に名を残す傑作

聲の形・第4集 聲の形 第4集

総合評価★★★★★(+10) / 筆致評価★★★★★(+5) / 構成評価★★★★★(+10)

第24回~第32回、ならびにマガジンSPECIALの14年第6号に掲載された番外編が収録された。
勧善懲悪、恋愛関係といった波瀾万丈のラブコメディや、学園ドラマとは一線を画し、障碍者虐遇と言った、一般論として暗黙のタブーに切り込んだ社会的に高 い注目を集めている待望の第四集。

悪役や善人役という色分けに潔しとせず、主人公石田将也、メインヒロイン西宮硝子を基幹に位置させて、西宮結絃や植野直花、永束友宏・佐原みよこなど、脇 を彩る主要キャラクタ個々に対してもその人物設定の幅や奥行きの深さというものがこの第4集に至って更に顕著となる。無駄なキャラクタや設定がひとつもな い、実に丁寧な相関図の構成が、作者・大今良時氏の作品に対する確固たる基本理念を如実に示していると言える。
硝子と上野が会した遊園地での葛藤、西宮家を支えてきた大母様の存在。いずれも焦点を当てられたキャラを中心に縦横に繋がったキャラクタの動きが連動して 僅かながらにも他者に作用を及ぼしている。
石田将也をメインキャラクタとして、注目するべきは硝子の妹・西宮結絃の存在感が増したことであろう。
硝子はそのキャラクタの設定上、直接的な感情表現を難しくしているのだが、そのトランスレーター的な役割を必然的に担われて劇中「西宮家」としての「第3 の主役」と云っても過言ではない地位を確立させた。

聲の形の最大の特長は、あくまでもヒューマンドラマとして善悪の色分けを付けず、障碍・健常両者の融和性から、そうした色分けに拘らず各キャラクタが持 つ、読者である自身や周辺環境に自然とより現実性の高い言動思考が侃諤の議論を巻き起こして、ある意味自己弁護も含めた甲論乙駁の根本となっていると云え る。
つまり今集で、硝子虐遇の急先鋒であった植野直花や川井と言ったキャラに対する見方の変化や、将也を排斥しようとする西宮母の境遇などに焦点が当たり、単 純に「嫌な人」や「いい人」と云ったひと言では収まりきらないテーマを、大今氏は実にコンスタントかつカジュアルに表現されているのである。
また新キャラという要素もそれほどなく、少ない登場人物でここまで深遠なテーマを描ける源泉は、やはり奇を衒わない大今氏のしっかりとした基本理念と、物 語を構成する上でのファンダメンタルの忠実さに尽きる。
将也が悔悛を重ねて積み上げてきた硝子と、友人や仲間たちの蜜月が何故か心を騒つかせる。

語るには字数が足らない程、非常に高難度な技術を遺憾なく発揮する大今氏には末恐ろしい大器の片鱗を見る第4集だった。次集もこれまで以上に期待したいの である。

10年先に、その名を残す名作たり得るか

聲の形の本誌連載の個別話については細々と乍ら当鷹岑家文書に於て考察をしているので、第4集の与太話は少し捻くれた事を言ってみることとしよう。
さて、何も聲の形に限らず、どんな作品でも言えることなのだが、この作品そのものが10年先に弛まない支持を得られ続ける作品たり得るかどうかによって、その作品の真価は問われるものではないだろうか。少なくても、鷹岑の持論はそうである。
漫画ならば連載期間中、ドラマやアニメならば放送期間中はホットトピックとして様々な色合いが加味され、相乗効果もあってそう言った真価に輪を掛けた過大 評価になりがちなものである。ところが、総じて作品そのものが終わると、一挙にその話題が薄れてゆく。流行が冷めた後の寂寥感というのは実にこそばゆい。
鷹岑は自他共に認める変人であり、流行ものやメジャーなものには興味が無い。マイナーな作品やとうの昔にブームが去った、或いは旬が過ぎた作品にスポット を当てるのが好きであり、正直な話「聲の形」もここまで話題性に富みメジャーになった以上は、個人感想・考察において鷹岑のしゃしゃり出る幕ではないと心 得ているのである。
まあ、それでも冷静になってみれば、この作品は連載終了の10年後にまで、読者の記憶に残り続ける作品であり得るのか、と言う点で穿った見方をして飽きないものであろう。

●筆致と流行アイテムの存在

作者の大今良時氏は現在から10年経っても30代半ばの働き盛りである上に、かつては冲方丁の薫陶を受け、今作「聲の形」で揺るぎないプレステージを得たのだから大今氏の地位は気鋭の作家としてマガジンの連名陣を牽引するに足るだろう。
鷹岑が10年先に「聲の形」という本作の名を残す根拠は、やはり衆目が見るに合致するそのタイトな筆致がひとつに挙げられる。人物は後述として背景の小物ひとつひとつまで丁寧に描かれた筆致技術には目を惹く。同じ硬質な筆致でスケッチ調で描かれる冬目景を想起させながら、冬目流よりも更にそのタイトさが聲の形の醸し出す雰囲気とコンセプトに絶妙に合致された。本来ならば敬遠されるべき線の太さが、不思議と惹きつけられてしまうのである。
さて、人物もいわゆる「萌え絵」とは完全に一線を画している。確かに西宮硝子や植野直花、そして悪役により近い川井みきですらも美少女に描かれているのだ が、劇画ではないのだから理に適っている。また、特定層に阿諛迎合していないそのキャラクタデザインは、一般層にも受け容れやすい中和性であり、これが大 今氏の最大の魅力である事は間違いがない。

そして流行の取り入れだが、聲の形には際物を思ったよりも導入されていない。スマートフォンはまあ時代の流れだとして、本編掲載時に社会的話題を得た事柄 や、一過性ブームのトレンドアイテムなどを起用していない。植野が披露した猫耳などはその源流は一回り昔以前に遡るコスプレ等のコンテンツであるから、際 物とは言えるものではなかった。しかも、大今氏は面白いことにそうした些細な設定も実に大切に扱っているのである。背景の細かい部分まで描くことが、そう した設定を大事にするということの証左であるのだ。
と、まあ流行を多く取り入れると、総じて時代を感じるものである。だが、人間というのはそのロジックは普遍的なものであるので聲の形に留まらず、人間ドラマというのはどんなに年数が経っても心に響き、新鮮に映るものであろう。

なんだ、鷹岑は聲の形が10年後に名を残す作品だと断言しているじゃないか。と思われたかも知れないが、正直、今のところは五分五分である。

石田将也と西宮硝子、そして植野直花の三角関係にシフトを置くラブコメではあまりにも陳腐。非ラブコメ路線で将硝を中心とした宥和をテーマにした人間ドラ マ特化では、そこはかとなく煮え切らない。将硝を初めとして登場人物たちがこれで本当に良いのか、と思われるような宙ぶらりんなままの終結では納得出来な い。
まあ、大今氏は白黒を付けると言った王道的手法を脱却して、一般論としての問題作(本人はあまりインスピレイションを得る言葉ではないとしているが)から全体像を決めた連載を決行している(ここが素晴らしい)。
ひとえに常道の視点からすれば大今氏は自らハードルを上げて週刊連載という過酷なスケジュールをこなし、今のところは寸分の蹉跌を知らずに来ている。
しかし、ゆえに竜頭蛇尾の危機感は一読者として常に備えて作品を捉えている。鷹岑が考察においてキャラクタで喩えるならば真柴智により近い(もしかすれば真柴以上にドライな)立ち位置で作品を見続けることを心がけているのはそのためである。
未来に名を残す作品というのは、出だしではない。如何にして終われるか。読者に惜しまれつつも蛙鳴蝉噪に満ちた中で毅然と作者の伝えたかったことを全力で伝え終えることが出来たという達成感に他ならないのである。
将硝の幸福や、植野や川井、永束佐原の今後というのはコンセプトからすれば枝葉末節だが、それでも10年先にそうした世界観に熱くなれる作品は、名作であると言えるのである。