自己正統性を貫徹してきた人格者、傍観の果て識る自らの本質
総合評価★★★★★(+3)
客 観的に捉えてみれば、川井は教師を含めた大人達に対してはすこぶる評判が良い模範的生徒というステータスのお墨付きを得るに容易いタイプである。もしもこ の作品を別途にして、実際に川井のようなキャラクタが身近にいたとするならば、鷹岑ですら表面的に「あそこの娘さんは良い子だ」と評するだろう。
■兼末クラスタと、いじめ傍観者は悪なのか論
彼女と同じクラスタにあるのは、3年B組金八先生のあるシリーズで、風間俊介君が演じた「兼末健次郎」というキャラクタである。優等生然とした彼が実は陰
湿なイジメや学級崩壊の震源地であったという設定で、深い闇を抱えた家庭環境が後に言及され改心してゆく事になる訳だが、川井の場合は兼末健次郎ほどの心
的闇を抱えているという訳ではなく、将硝虐遇の黒幕という立ち位置でもないのだが、いじめの傍観者は果たして荷担していることになるのか、単なる自己防衛
なのかという善悪の議論にリプレースされはしないかという懸念も払拭出来ない。
■川井は性悪女ではない
川井をいわゆる性悪に分類してしまうのは性急のような気がする。永束に対する「気持ち悪い」発言は何も川井の性格がねじれているからだというわけではな
く、世の中往々にして男であれ女であれ、不用意に身体に触られることを気持ちよいと感じる人は特異な性癖を除いて、あまり多いとは言えないだろう。
むしろ、川井は性悪ではなく、本質的には悪くはない性格なのであろう。しかし、彼女の欠点は自分の言動行動がすべからく皆のためという風に自己解釈変更を してしまっていることにある。つまり、彼女は何かを提案するときや、行動を起こすことに対して他者の意見を聞かずに独断専行、正論を組み立てて道理が通ら ないことが多々あるのだ。逆にそうした彼女の言動行動を批判することを絶対に許さず、排撃の対象に持ち込もうと図る。ゆえに誰も川井のすることに楯突くこ とが出来ないのである。
彼女はそうした言動行動が、全て皆のためであって正しいことである。として悪いことをしているという意識がない。そこに問題の本質がある。
彼女の明晰な頭脳で様々な解釈と選択肢を作り、どれをとっても「悪いことである」という結果が生まれた瞬間、彼女は傍観。見て見ぬ振りをするのである。良い言葉を使えば機転が利くと言えるだろうが、狡猾で要領がいいと言った方が自然である。
それでも、川井は真柴に対してのように好きになった人に対しては一途で気を惹こうとする面もあり、一応石田将也に対しても上から目線ながらも気に掛けてい る様子も見られることから、からなずしもビッチという侮蔑を込めた言葉で断じてしまうのは時期尚早であると言う事になる。
永束のように格好つけないで素をさらけ出す。と言ったようなキャラは割り切って付き合うことも出来るだろうが、川井の場合は「出る杭」という表現こそ強い ものだが、なまじ人格者を装っている上に天然キャラ(前席女子のLINE会話から)をひけらかしているとするならばつかみどころがない、それでいて近寄り がたい空気を出している。裏表のある人間であると解釈されたのである。
千羽鶴にしろ、寄せ書きにしろ、川井のようなタイプというのは形式的なものを示すことで私は良い事をしている。という自己満足に囚われがちで、確かにそうした形というのはあまり意味を成さないわけであり、押しつけることでもない。
クラスをまとめるならば甲論乙駁の議論を収斂しまとめるという事が大切なわけであって、千羽鶴提案も川井が独断で発案しそれを教師に諮ってクラスに押しつけただけに過ぎず、それこそ川井個人のポイント稼ぎにしかならないのである。
川井にはクラスに自由闊達な議論を求めず、またさせず、独善的な押しつけが昂じてクラスメイトから「気持ちワルイ」という発言を引き出してしまったのだ。それは彼女の性格の本質的な部分に至り、自信のなさの証左でもある。
また、川井のようなタイプというのは同性から嫌われるのかも知れない。ぶりっこという言葉があるが、川井は悪意なきぶりっこであるが故に質が悪く見える。
積極的にアプローチを仕掛ける真柴智が非常にドライな性格をしているので、川井の言うことを何処まで真に受けているのかは不可解なのだが、真柴もまた川井 とは一定の距離を置いているように感じる。彼女のみならず、クラスメイトとの距離感もあるとするならば、川井が必要以上に真柴に接触するというのも同性の 嫌悪感を誘発する一因である事は間違いがないように思えるのだ。
「前の席の溝端」がLINEで川井を差して「まじ気持ちワルイ」と発信したことをのぞき見してそれで「いじめられている」という解釈は飛躍しているのだ が、自分の都合に合うように曲解して物事を捉える性格は、永束や佐原のように強い自己意識の中で変化を招くように物理的努力を課す、と言うわけには行かな いだろう。故に、川井の場合は変化することの至難さが見て取れるのである。
石田将也の本質を突いた言葉を受けて川井自身が気づかされた自己正義の矛盾と、それでもそうした自己正義に恃まなければ虚飾に気づかされてしまう。そこか ら脱却しなければ、自分自身でも感じていた「気持ち悪さ」を払拭出来ないはずなのに甘えてしまう。川井も内心では気がついているだけ悪い人間ではない。た だ、そうした虚飾の自己正義の積み重ねで築いてきた現在の地位をかなぐり捨てて本当の自分をさらけ出すことが出来るかどうか、繰り返すようだが川井自身な かなか難しいだろう。
ナルシスト。とひと言で断じてしまうのも可哀想な気はするのだが、永束や佐原、将也と真柴とは違って川井は心的な「どん底」を味わっていない。いかに「自 分自身をかわいいと思い込むことで頑張れる」とは言っても、LINEのひと言で「いじめられている」と思い込むような人間が、彼らのようなどん底を本当の 意味で理解しろと言っても無理な話ではある。
まあ、将也の病室を陳倉城に喩えて植野を城将郝昭に比すれば、川井は投石機のような存在なのかも知れないが、この女の戦いというのは将也目線からすれば冷めたるものである。少なくても、両者ともに掲げる大義というものが若干違うからであろう。
将也の病室を陥とす事が出来る者。将也との面会を実現出来る者という意味で、将也不在の話が続くのだが、そこに至るのは誰かというトトカルチョであってはならない。
将也が何故、昏睡状態に陥ったのか。硝子が何故、敢えて映画作りの再開を進める道を選んだのか。将也の病室入城を頑と拒む植野や、それに敢然と立ち向かう 川井。いずれもそう言った本質的な事に至らず、ただのいがみ合いに終始してはますます将也の失望を買うことになるだろう。
そして忘れてはならないのが、この対決がお約束的な互いの宥和ですましてはならないという事である。互いが示す信念があるとするならば、妥協は負けである。分かち合うこと、理解し合うこと。そればかりが心揺さぶるものではない。大今氏にはそこについては期待をしている。
“意識なき罪”を指摘された傍観者。相反する自己正義と保身からの脱却
~「キモチワルイ」心の深層に蟠っていた一縷の不安を抉り出されるも、最後まで虚飾の正義を貫かんとする信念
●主人公未登場のサブキャラモノローグ・川井みき篇。総合評価★★★★★(+3)
努力を重ねてきた完璧人格者、忌諱回避と慇懃無礼の本質を補填出来ず傷つく
川井みきについては、読切の時から注目していたキャラクタである。将硝虐遇の現場にあって、学級委員ながら行動を鈍くして結果将硝を震源としたクラス瓦解を傍観し、荷担していたと見なされてきた。客 観的に捉えてみれば、川井は教師を含めた大人達に対してはすこぶる評判が良い模範的生徒というステータスのお墨付きを得るに容易いタイプである。もしもこ の作品を別途にして、実際に川井のようなキャラクタが身近にいたとするならば、鷹岑ですら表面的に「あそこの娘さんは良い子だ」と評するだろう。
■兼末クラスタと、いじめ傍観者は悪なのか論
彼女と同じクラスタにあるのは、3年B組金八先生のあるシリーズで、風間俊介君が演じた「兼末健次郎」というキャラクタである。優等生然とした彼が実は陰
湿なイジメや学級崩壊の震源地であったという設定で、深い闇を抱えた家庭環境が後に言及され改心してゆく事になる訳だが、川井の場合は兼末健次郎ほどの心
的闇を抱えているという訳ではなく、将硝虐遇の黒幕という立ち位置でもないのだが、いじめの傍観者は果たして荷担していることになるのか、単なる自己防衛
なのかという善悪の議論にリプレースされはしないかという懸念も払拭出来ない。■川井は性悪女ではない
川井をいわゆる性悪に分類してしまうのは性急のような気がする。永束に対する「気持ち悪い」発言は何も川井の性格がねじれているからだというわけではな
く、世の中往々にして男であれ女であれ、不用意に身体に触られることを気持ちよいと感じる人は特異な性癖を除いて、あまり多いとは言えないだろう。むしろ、川井は性悪ではなく、本質的には悪くはない性格なのであろう。しかし、彼女の欠点は自分の言動行動がすべからく皆のためという風に自己解釈変更を してしまっていることにある。つまり、彼女は何かを提案するときや、行動を起こすことに対して他者の意見を聞かずに独断専行、正論を組み立てて道理が通ら ないことが多々あるのだ。逆にそうした彼女の言動行動を批判することを絶対に許さず、排撃の対象に持ち込もうと図る。ゆえに誰も川井のすることに楯突くこ とが出来ないのである。
彼女はそうした言動行動が、全て皆のためであって正しいことである。として悪いことをしているという意識がない。そこに問題の本質がある。
彼女の明晰な頭脳で様々な解釈と選択肢を作り、どれをとっても「悪いことである」という結果が生まれた瞬間、彼女は傍観。見て見ぬ振りをするのである。良い言葉を使えば機転が利くと言えるだろうが、狡猾で要領がいいと言った方が自然である。
それでも、川井は真柴に対してのように好きになった人に対しては一途で気を惹こうとする面もあり、一応石田将也に対しても上から目線ながらも気に掛けてい る様子も見られることから、からなずしもビッチという侮蔑を込めた言葉で断じてしまうのは時期尚早であると言う事になる。
■まじ気持ちワルイ~自分が言われて気がつく
人格者を装うこと、天然キャラを演じること。芸能人ならばそうしたキャラクタも作ることが出来るだろうが、一般人としてまた高校生活3年という長いスパンの中にあって、それをずっと維持し続けることは実に難しい事である。永束のように格好つけないで素をさらけ出す。と言ったようなキャラは割り切って付き合うことも出来るだろうが、川井の場合は「出る杭」という表現こそ強い ものだが、なまじ人格者を装っている上に天然キャラ(前席女子のLINE会話から)をひけらかしているとするならばつかみどころがない、それでいて近寄り がたい空気を出している。裏表のある人間であると解釈されたのである。
千羽鶴にしろ、寄せ書きにしろ、川井のようなタイプというのは形式的なものを示すことで私は良い事をしている。という自己満足に囚われがちで、確かにそうした形というのはあまり意味を成さないわけであり、押しつけることでもない。
クラスをまとめるならば甲論乙駁の議論を収斂しまとめるという事が大切なわけであって、千羽鶴提案も川井が独断で発案しそれを教師に諮ってクラスに押しつけただけに過ぎず、それこそ川井個人のポイント稼ぎにしかならないのである。
川井にはクラスに自由闊達な議論を求めず、またさせず、独善的な押しつけが昂じてクラスメイトから「気持ちワルイ」という発言を引き出してしまったのだ。それは彼女の性格の本質的な部分に至り、自信のなさの証左でもある。
また、川井のようなタイプというのは同性から嫌われるのかも知れない。ぶりっこという言葉があるが、川井は悪意なきぶりっこであるが故に質が悪く見える。
積極的にアプローチを仕掛ける真柴智が非常にドライな性格をしているので、川井の言うことを何処まで真に受けているのかは不可解なのだが、真柴もまた川井 とは一定の距離を置いているように感じる。彼女のみならず、クラスメイトとの距離感もあるとするならば、川井が必要以上に真柴に接触するというのも同性の 嫌悪感を誘発する一因である事は間違いがないように思えるのだ。
「前の席の溝端」がLINEで川井を差して「まじ気持ちワルイ」と発信したことをのぞき見してそれで「いじめられている」という解釈は飛躍しているのだ が、自分の都合に合うように曲解して物事を捉える性格は、永束や佐原のように強い自己意識の中で変化を招くように物理的努力を課す、と言うわけには行かな いだろう。故に、川井の場合は変化することの至難さが見て取れるのである。
■ナルシシズムを暗示する現実逃避
川井の心理描写は読者のコンパッションを惹起させると言うこととはまったく違う。石田将也の本質を突いた言葉を受けて川井自身が気づかされた自己正義の矛盾と、それでもそうした自己正義に恃まなければ虚飾に気づかされてしまう。そこか ら脱却しなければ、自分自身でも感じていた「気持ち悪さ」を払拭出来ないはずなのに甘えてしまう。川井も内心では気がついているだけ悪い人間ではない。た だ、そうした虚飾の自己正義の積み重ねで築いてきた現在の地位をかなぐり捨てて本当の自分をさらけ出すことが出来るかどうか、繰り返すようだが川井自身な かなか難しいだろう。
ナルシスト。とひと言で断じてしまうのも可哀想な気はするのだが、永束や佐原、将也と真柴とは違って川井は心的な「どん底」を味わっていない。いかに「自 分自身をかわいいと思い込むことで頑張れる」とは言っても、LINEのひと言で「いじめられている」と思い込むような人間が、彼らのようなどん底を本当の 意味で理解しろと言っても無理な話ではある。
■川井×植野、自己正義相搏つ
川 井と植野の関係を繙けば、友人関係とは言うものの、利害を基準に繋がっていたものであると言うことが良く分かる。損得利害は思案の外という、刎頸莫逆の友 というのは一生涯に一人いれば良いと言われるのだが、川井と植野の関係は現実の「友達」という関係の平均的な縮図のように鷹岑は思える。まあ、将也の病室を陳倉城に喩えて植野を城将郝昭に比すれば、川井は投石機のような存在なのかも知れないが、この女の戦いというのは将也目線からすれば冷めたるものである。少なくても、両者ともに掲げる大義というものが若干違うからであろう。
将也の病室を陥とす事が出来る者。将也との面会を実現出来る者という意味で、将也不在の話が続くのだが、そこに至るのは誰かというトトカルチョであってはならない。
将也が何故、昏睡状態に陥ったのか。硝子が何故、敢えて映画作りの再開を進める道を選んだのか。将也の病室入城を頑と拒む植野や、それに敢然と立ち向かう 川井。いずれもそう言った本質的な事に至らず、ただのいがみ合いに終始してはますます将也の失望を買うことになるだろう。
そして忘れてはならないのが、この対決がお約束的な互いの宥和ですましてはならないという事である。互いが示す信念があるとするならば、妥協は負けである。分かち合うこと、理解し合うこと。そればかりが心揺さぶるものではない。大今氏にはそこについては期待をしている。
- かわいいってことに… (川井みき)
- 自己変革というのは烏滸がましい。更に周囲から自分を上げます切っ掛けをアピールする。その暗示であろう。
- アツい男なんだぞ彼は!! (永束友宏)
- 恥を怖れずに将也を庇う姿勢は、クラスメイトからは後に評価されることだろう。
- 千羽鶴 (川井)
- 千羽鶴インボークは確かに形式張ったもので、強いてやるものではない。そういうのは自発的な誠意の結露にしか過ぎない。
- まじ気持ちワルイ (溝端)
- LINE会話の一文。他者に発していた悪気なき感情の一端が自分に降り掛かった時、気づく。痛い目に遭わないと分からない。
- 私や西宮さんを傷つけた罰 (川井)
- 硝子を引き合いに出すのは良いのだが、そこに自分自身を加える、というのが川井らしいと言えばらしい。
- いじめられてるの… (仝)
- 自己変革が出来ない、甘えの極みであろう。
- 死んじゃいたくなる (仝)
- しかし、いまいち川井に同情出来ない理由は、彼女が将也や硝子、佐原ほどの地べたを這いつくばった苦い思いに欠けていると言うところである。
コメント
コメント一覧 (11)
そう言う構図そのものは良いんですけど、聲の形全体の物語が少しシャープ過ぎる懸念があります。
自分の行動、言動が周りにどんな影響をもたらすのかを正確に把握できない
にも関わらず一定の行動力はある
自分は今回の川井さんは、実はこれ硝子とそっくりなんじゃないかと思いましたね
ポジティブかネガティブかの違いだけで
つか、川井が「天然」って、今話で初めて知りましたよ(汗)
あれって、わざとじゃなくて天然だったんですかそうですか。。。
> 自分は今回の川井さんは、実はこれ硝子とそっくりなんじゃないかと思いましたね
> ポジティブかネガティブかの違いだけで
なるほど、卓見です。
でも、聲の形。そう考えるとちょっとシャープ過ぎるほどシャープになってきてはいないですかね。
現実社会にプロジェクションするためには辻褄の合わせすぎも如何なものかとは思います。
誰も自分がいいところを見せるのが悪いのではない・・。本当に大事なのは、相手の気持ちを理解し合えるのが大切なのではないでしょうか・・・!
自分にはそうは思えないんですが…
このところ予定調和の最終回へと向かってキャラクターに急激なチューニングを施してないですかね
鷹岑さんが危惧してるのもそういうことではないかと思うのですがどうでしょう
今後、物語を畳むにあたって更に強引な手段を使ってこないか心配です
あ、もう知っているかもしれませんが聲の形は本誌51号にて連載終了が明記されました
> 誰も自分がいいところを見せるのが悪いのではない・・。本当に大事なのは、相手の気持ちを理解し合えるのが大切なのではないでしょうか・・・!
分かっていても自分自身でなかなかそう上手く行かない。そう言うもどかしさというのがあるようですね。
一般論で言う“天然キャラ”とは大分違っているように感じます。
ゆえに、川井が「天然キャラ」という表現には驚かされた次第。
> このところ予定調和の最終回へと向かってキャラクターに急激なチューニングを施してないですかね
> 鷹岑さんが危惧してるのもそういうことではないかと思うのですがどうでしょう
シャープ過ぎるほどシャープ。聲の形は読者に漠然とした部分を残すことで考える糊代が出来ていると、今まで思ってきたんですが、キャラクタの言動行動があまりにもくっきりとなってきていて、
現実味がなくなってきている懸念があるのですよ(;´・ω・)
> 今後、物語を畳むにあたって更に強引な手段を使ってこないか心配です
> あ、もう知っているかもしれませんが聲の形は本誌51号にて連載終了が明記されました
それは知りませんでしたが、終結をするのは良いとしても自縄自縛な事態だけは避けたいものです。
将也には、川井は優等生の振りして計算高く悪事を働く女子に見えた。だから、漫画内の川井はそのように描かれてきたのだと思います。
実際の川井は、かわいくておりこうさんな自分をアピールしたいだけの、精神的にやや幼さの残る少女でしょう。頭のよさが精神の幼さをカバーしていた…特に、小学校6年くらいまでなら上記の性格でも精神的にさほど幼くない、だから将也には性悪と思われ、佐原には恐れられたのでしょう。
大今先生は、将也には…極端に言えば、人間は他者の本当の姿を捉えることができないという思いをこめて、各自のモノローグ回を用意したのかもしれません。
私も川井がこんな少女だとは露ほどにも思いませんでした。
もっと冷酷で、自分に恥をかかせた将也のことも、目の前で恥ずかしい姿を見せてしまった真柴のことも切って捨てていると思っていました。
人の本当の姿はわからないものです。
キャラクタ設定がしっかりとしているからこそ、そうした縦横無尽の演出が可能ですね。
>実際の川井は、かわいくておりこうさんな自分をアピールしたいだけの、精神的にやや幼さの残る少女でしょう。
今昔問わず、彼女のようなタイプというのは必ずいるものです。これがまた本当に不思議なものですね。
>将也には性悪と思われ、佐原には恐れられたのでしょう。
頭脳明晰が精神をカバーしていたという例はやはり特異な面があると私は思います。
>大今先生は、将也には…極端に言えば、人間は他者の本当の姿を捉えることができないという思いをこめて、各自のモノローグ回を用意したのかもしれません。
そこが少しシャープ過ぎはしないかなと、繰り返しますが懸念しています。
>もっと冷酷で、自分に恥をかかせた将也のことも、目の前で恥ずかしい姿を見せてしまった真柴のことも切って捨てていると思っていました。
>人の本当の姿はわからないものです。
川井に対しては深刻な闇がまとわりついていると考えていた分、ある意味拍子抜けではありましたが、キャラクタ性を100%近く明白にしなくても良いと、鷹岑は思いましたね。
辻褄やキャラクタの立て方は隙がないんですけど、くっきりとし過ぎです。