鷹岑はここ数日、萠華蘂には投稿していなかった。政治関連の動きを、様子見をしていたと言えば聞こえがいいか悪いかは別だが。

さて、小沢一郎元民主党代表の党員資格停止が常幹で決まったという報道がされている。
民主党政府・党役員執行部の無能無策、傲慢さはもはや鷹岑が言うまでもない。

一連の感想を言う前に、小沢氏を袋だたきにしている彼らを見て思ったこと、感じたことがある。
支持者や反菅勢力が言う「連合赤軍」の様だというのは、考えてみれば身内や宮廷内での権力闘争そのものである。鷹岑の今の立場からすれば、そんなことははっきり言ってどうでも良い。何でも良いから政治をしっかりやって欲しい。そうでなければ鷹岑の生活が保たなくなる。
おっと、脇道に逸れそうになった。閑話休題。
鷹岑は「連合赤軍」という見方ではなく、歴史の轍というか、法則のようなものを感じた。
つまり、古今東西歴史は皇帝、国王、宰相ら一国の指導者が無能であり、傲慢であることが国民蒼氓にとって最大の不幸である、と言うことだ。

教科書や文献では「無能な帝王の治世で衰退を早めた、程なく帝国は滅亡した」と言ったような簡単な記述で済まされるが、実際そのような無能な帝王の下で生きて暮らしてきた人々は、どんな塗炭の苦しみを味わってきたのだろうかという考えが、今になって初めて考えさせられる。
人はその立場になってみなければわからないというが、今の日本の指導者たち(朝廷)が無能であることを毎日見せつけられ、その治世下で鷹岑も今のような状況に陥っている事を考えれば、後漢の霊帝や、陳の後主、明の神宗万暦帝(日本は有史以来総じてであろう)の治世下での蒼氓たちが悪政のツケを払わされて荒廃し、犯罪行為に奔るという過程が解るような気がしてならない。
今でこそそんな昔のように疫病や飢餓に苦しみ死屍累々とした悲惨な光景すらないとしても、無能な君主の下で逃れる術もない末端の蒼氓たちの辛苦と言う点では、同じロジックではないだろうかと考える。
「無能な指導者が、権力を握ると碌な事にならない」と言う。確かにそうであり、重ねて「傲慢」というのだから、こんな事を言えば語弊著しいが、まさしく「鬼に金棒」というものだろう。

さて、本題に入ろう。・・・入ろうなんて、相変わらず偉そうなことを言う程の文ではないが。

如何に無能傲慢な指導者とはいうものの、民主党はあれをトップに戴いたのである。
濡れ衣を着せられた、潔白無罪の小沢さんのことを、本来あるべき立場に立たせられなかった、民主党自身に大きな責任がある。
何を言いたいのかというと、検察問題等の取り組みやマニフェスト貫徹などで最近ネットでも評判の高い、森ゆうこ参院議員や、川内博史衆院議員たち、いわゆる小沢氏を支持する民主党国会議員たちの行動を見ていて、正直鷹岑はイライラを隠せない。
小沢氏処分に対する抗議文や、徒党を組み無能な執行部に直談判をしたり、ツイッターで支持者たちとやりとりをしている姿を見て、鷹岑は正直な話、怒りを通り越して、呆れている。

現在、直近の生活がそれなりに出来ていて困ることのない人たちは、長期の展望を見据えて色々と計画を立てることが出来るだろう。検察審査会の問題なども、地道に集まって運動することも出来るだろうが、今の鷹岑から見れば、そんなのは楽観的なパフォーマンスにしか見えない。
如何に政権の長期展望を見据えたところでも、今日明日の生活に困窮するかも知れない人たちからすれば、親小沢派・反小沢派ともに「何をやってんの?」としか思えず、それが「内ゲバ」だと揶揄され呆れられ、さしもの鷹岑も両方に辟易として仕舞いかねない。
今は良い。鷹岑自身はそれでもまだ、民主党内の親小沢派と呼ばれる人たちに一縷の期待は残っている。だが、このままそんなパフォーマンスを続けているようだと、正直もうダメである。

親小沢派と呼ばれる人たちは、パフォーマンスよりも実際に行動して欲しい。綺麗な言葉や格好いい言葉はもう良いから、無能な指導者を一刻も早く倒すために、政治家としての行動を起こしてもらいたいと思う。
党内政局や国会政局はもううんざりである。無能な指導者でずるずると国民の不幸が重なる歴史の轍をこれ以上踏まないための様々な政治行動は、決して悪いことではない。それは政治停滞などではなく、政治を前に進めるための行動であると、鷹岑は考える。
与党の席、民主党の籍に恋々として政治家としての生命を終えるだけならば勝手だが、国民までそんな議員たちの保身の人身御供にはしないでもらいたいものである。国会議員が支持者同士の馴れ合いやツイッターなどのネットアイテムを駆使している暇は、今日明日の生活に汲々としている末端の国民のことを考えているとするならば無いと思うのだが、いかがなものであろうか。