ラブコメの帰結・収斂の先に挑んだ、〝一夫多妻制〟

猪突猛進の既婚者ハンター、天衣無縫な伊達男の〝後宮〟に入内す

ハレ婚・第1集ハレ婚 第1集
総合評価★★★

「デリバリーシンデレラ」のNON氏が描く、ハーレム系恋愛譚。第1話~第7話を収録。
付き合う男は皆、既婚者で心ならずも不倫を強いられてきた主人公・前園小春が、打ち拉がれて帰って来た故郷は〝ハーレム結婚〟略して〝ハレ婚〟という、一 夫多妻制を認められた特区として変貌していた。
帰郷早々、謎の長髪男に抱きしめられ、また絡まれる小春。その男こそが彼女の運命の相手・伊達龍之介だった。

著者・NON氏のヒット作とされる「デリバリーシンデレラ」は知らなかったが、この作品はネットを徘徊していた時に見かけ、そのシャープな筆致で描かれる 秀麗なキャラクタに惹かれて、久しぶりに新刊単行本ベースとして購入を決意した。発売日2日前のことである。
そんな当該作のメインコンセプトは、メインタイトル然り1人の男に4人まで「妻」が持てるという、ハーレムの話である。
恋愛譚・ラブコメの類いに主人公に想いを寄せる美女・美少女キャラクタは多々あれども、最終的には1人に帰結すると言った常道を敢えてハーレムという形で 進めるという、ほぼ男性の願望向きな設定に賛否は大きく分かれるだろう。
今集に収録された7話までにおいては、そうした舞台基本設定を丁寧に説明し、冒頭や2,3話程度でいきなり本題である主人公・小春と伊達龍之介の結婚とい う形に持っていかなかったのは良かったのではないかと考える。

また、こうしたハーレム系の恋愛譚では、不可抗力的な心象として主人公の男性は最低・クズと言うレッテルが貼られまた性悪の女性が必然的に登場し、雰囲気 を悪くしたりするのだが、伊達龍之介は当初のイメージとは違って、あまり毛嫌いするような所作は見受けられなかった。女たらしというよりも、主人公・小春 に想いを寄せるという内面表示を感じさせる切っ掛けを見せた、と言ったところだろうか。
また主要キャラの1人であろう龍之介の妻・ユズも興奮すると、都会然とした容姿とは裏腹に方言丸出しという親近感が悪印象を中和させる効果を得た。

この作品を読み進めるためには、あくまでもファンタジーという基本を以て読む必要がある。一夫多妻はあくまでも幻想であり、男女の恋愛の推移を純粋に楽し むという柔軟性がなければついて行けないストレス性も秘めているので、お堅い保守的な恋愛観を持っている人や、極端なフェミニストにはお勧めは出来ない。
筆致も好みで、キャラクタ設定もそう言う意味から嫌悪感もなく、世界設定が丁寧なので、期待を込めて星評価は5です。

青年誌特有の〝大人の少女〟主人公・前園小春、伊達宮に往く

作者・NONの出世作とされる『デリバリーシンデレラ』は鷹岑は知らない。ネットを探ると、風俗業に従事する主人公が、 矜恃を持って働いている、と言うことらしい。最近政界では『SMバー』が何かと話題となって、野党の議員が『SMバーは口にするのも汚らわしい』などと職 業差別を国会の場で吹聴したと言う。デリバリーシンデレラのキャラからすれば、腸が煮えくりかえる思いだろう。前園小春
閑話休題。
さて、そんなNONの新作とされる当該〝ハレ婚〟を何故、新刊単行本ベースで買う気になったのかというと、まあ御多分に洩れず、そのシャープな筆致と、キャラクタ設定なのだろう。
週刊少年マガジンで『巨匠』の高名を持って知られる、「GE~グッドエンディング~」、「ドメスティックな彼女」の流石景。鷹岑は「流石組」と言っている巨匠・流石然としたシャープな筆致が好きで、いわゆる萌え絵とされる作品は正直、食傷気味という意味も含めて初見から気になっていたのである。

2000年代前中期だったならば、鬼のようにいわゆるジャケ買いをしていた時分、この作品も紛れもなく買っていた事は確かだが、2,3度に亘る本棚淘汰の 波によって処分された数多の漫画本の中で、新たに買い進めることになった作品は本当にごく僅かだ。直近では、「聲の形」の大今流。「鬼灯さん家」の五十嵐藍流、「よつばと!」、そして冬目景流くらいだ。
ハレ婚はサンプルで読む第1話無料サービスに与っただけあって、そのコンセプトの斬新さには目を瞠ったのである。

■一夫多妻制特区だからと言って、非モテは非モテだろう

まあ、鷹岑がこの作品をファンタジーと即断したのは作品第一話冒頭で、小春が見たモブキャラの男とそれに寄り添う女2人と、その1人が赤ん坊を抱えて歩いている情景。
ひとりの男が何の所以あってか二人の女性を伴って歩いているという状況に、非現実的な世界と捉えた。魔法やモンスターがいないパラレルワールド。まあ、ハレ婚の舞台設定の基本原則がそうだから良いのだが。伊達龍之介

鷹岑は思うわけですよ。いくら少子化晩婚化対策という名目の政治特区で、一夫多妻制が認められているとしても、金が無けりゃあ絵に描いた餅。チビ・デブ・ハゲ・メガネの4拍子揃ったキモオタが多妻を抱えるわけがない。それどころか、結婚云々以前の問題だ。
モテなけりゃあ何ら意味が無い訳で、いわば恋愛自由競争特区という奴。非モテはとことん地獄の、勝ち組の陶酔高笑いを臍を噛み切る思いで聞かされ続け、憤死も多々ありとばかりだ。

この作品のコンセプトである、ハレ婚特区というのは恋愛至上主義の勝ち組が栄耀栄華を極める制度であって、非モテを救済するものでは全くない。恋愛的格差 を広げ、非モテの4拍子野郎は悶死し、イケメン金持ちの勝ち組だけが支配する。現実的に考えればそんなもんである。経済的格差に苦悩苦心している現実社会 に於いて、更にこの漫画のような制度が出来れば、非モテは生きているだけ罪、勝ち組の奴隷としてただ生かされよ。とばかりだろう。

まあ、伊達龍之介は第1集時点では謎多き奴だが、そうした恋愛勝ち組という印象の中でも特異である。現代的な持家をあっさりと売り払って金を工面するなど、主人公・小春に対する想いというのは表面的ながら感じ取れるだけ救いがあるというものである。

家庭の事情。そして入内へ

ツンデレ、と言うのには語弊がある。それでも、主人公にとって伊達龍之介はなくてはならない存在。
ハーレムというのは少なからずも男性が一度は夢見る事だから、この漫画は紛れもなく男にとって都合の良い作品に仕上がっているのだろうが、恋愛を扱う諸作 の中で、3人の妻を平等に愛する、という考え方は鷹岑の創作活動の中に於いても、大いにリファレンスされるものがある訳だ。
伊達龍之介は、少女漫画やレディスコミックの男性キャラのような完全無双な存在ではない。後先を考えずに小春のために動こうとする姿勢は純情に近いものがある。彼には嫌味の余韻が一切無いのが不思議である。設定の妙技であろう。

漫画にブサイクはいない。と言うのはまあ当然の仕儀だが、それでも伊達龍之介のハレム、つまり後宮には既に美女二人が在している。ジャリンコの小春を求め る龍之介の真意はいかに。と言うところに恋愛のロジックを見るのだろうが、この伊達後宮は淫靡な装いと言うよりも、当主の龍之介そのものが意外と節操を 持って小春ら夫人達に接しているような気がするのである。
前園小春入内。前園家の危機的状況をひけらかし、選択肢がない中での政略結婚とは心悲しい気もするが、恋愛という視点から見れば、龍之介と小春の成長そのものが楽しむべくもあり、またユズや〝マグロ女〟まどかとの四角関係を楽しむべくもある。

まあ、4人までと言う条例から分かりやすいように、小春の次に龍之介の妻になるだろう新キャラ登場も本編連載ではカウントダウンだろうが、鷹岑は単行本 ベースで、楽しませて頂くとしよう。しかし、これを見ると、側室などを持てた有史の貴種たちを考えたとき、恋愛的格差というのは古今東西のものなのだなと 言うのを、改めて実感させられるのである。