硝子と対極せしメインヒロイン格、悪役に徹せられず活躍狭まり凋衰す

本編時系列最後に特筆した植野、将硝への想い秘して物語の終幕を俟つ

~〝結局はいい人〟が色褪せたヒロイン格。大きな翼を持ちながらも飛翔の時宜を計りかねて舞台袖に消える

■硝子の東京行きが正式に決まったある日。帰宅した将也が自分の布団に侵入していた植野を発見する。自らも東京に行くことにしたと告げた彼女は、将也の硝 子への想いを建前に東京に行こうと誘うが、将也は地元に残ると決める。硝子が理容師志望、そして将也転落事故の際に助けたのは島田らだと伝え、自らも荷担 した小学時代のことを詫びる。将也への想いを告げられぬまま走り去る植野、とうとう将也は彼女の想いを知るよしもなかった。そして硝子に自分の夢を語る将 也は、来年の誕生日も一緒にいたいと伝える。そして卒業。東京に行く硝子に、肝心なことを言いそびれた将也は気になっていた誕生日プレゼントとしてもらっ たものの使い方を聞く。更に時は進み、2年の歳月が流れる……。

総合評価★★★★★

総じて〝非悪〟の相関に収斂し、特色が沈淪した魅力高き「ヒロイン」の悲恋

聲の形も残すところ後1回。最終話を目前とした第61話では、真のヒロインと一部で囃された植野直花がその活躍を終えて終結する話である。
植野直花ま あ、考えてみればラブコメとして捉えた場合のこの作品は、どう足掻いてみても植野が主人公と結ばれる、という展開はないというのは判りきってはいたが、改 めて物語全体を俯瞰してみると、植野は第2ヒロインの立場での最終逆転というラブコメの一法則にやや適わなかった原因の方が多かったような気はする。
まずはその立位置だが、西宮硝子がメインヒロインとしてのテンプレートを蹈襲している中で、植野はラブコメディ色は当然ながら、物語のコンセプトとしても 車の両輪だった。硝子というある意味正統派のヒロインに適わないにしても、硝子の存在そのものに対する健常者としての言い分的な何かを期待していただけ あって、〝悪役〟に徹することが出来ずに存在価値が中庸となったことは、個人的には残念な面はあるが、まあ当然の帰結ではあるように思える。
親植野派の読者の諸卿からすれば残念とも言える植野の終結ではあったが、まあラブコメというのは総じてこういうものである。気に入ったキャラクタは必ずしもメインヒロインではない。というある意味ひねくれた捉え方をするが故の宿命と思って諦めるしかあるまい。
いやはや、それでも順当な西宮硝子への帰結で良いのか。
まあ、そこを語る前に根本的な『聲の形』以前のロジックが存在するのを忘れてはなるまい。それはこの作品は紛いなりにも〝少年誌〟畑で連載されている。ヒロインが男子の理想形になるのはむしろ自然の流れではある。
植野はそのモノローグで小学生時代から石田将也に惹かれ続けていて、高校に到ってもその想いは廃れることはなかったとされる。将也昏睡篇での彼女の行動行為もそうした真意を裏付けるものに間違いはあるまい。失恋の瞬間
だが、植野は島田達による将也排斥から将硝虐遇に到るまで柳に風とされながらも将也への想いは脈々と続いていた。と言うのはいかにも少年誌特有の〝ヒロイ ン格〟に与えられた御都合主義の設定のようだ。現実の女性、特段植野のような(将也を引き摺るという部分を除く)性格ならばもっと強かである。
将也に想いを寄せるというのは良いとしても、物語的にそうした強かさを持つ〝悪役〟に徹することが、植野直花という美少女キャラクタに本来課せられた設定 であったようにも考えられる。まあ、全62回という短い期間の中でこうした物語の本質や相関図の収斂を完璧に求めることは酷というものではあったが、メイ ンヒロインに〝心攻〟され、結局は「実はいい人だった」というのであれば、それは沈淪するだろう。
植野は確かに物語の中では存在感はあったが、ついにそうした「反硝親将」からのぶれが、植野は一体何だったのか。という一縷の疑問の払拭には到らなかったのだ。

聲の形は確かにラブコメではなかったものの、事ここに到って植野からの遠回しの告白と、それに気がつかないままの将也というお約束の二人の恋愛的終結が、 もっと深く植野の立場をぎらつかせるほど強くしつつ将也も何時までも朴念仁ではなかった。植野の気持ちに気がつきつつ硝子のことをどう考えているのか、と 言ったような掘り下げをしてからでも良かったような気はする。まあ、大今氏には大今氏なりの信念があってのことだろうから、構わないのだが。

事実上の告白から、最終帰結へ~将硝の青方変移、尚続く

告白とその返事そういう訳で、鷹岑が実は強かな性格だと論じた西宮硝子。植野直花の完全敗北の直後に、そうした彼女の想いも知らず、聲の形のサイレントウィナーとなった訳である(対将也争奪戦)
将也の心には、硝子しかいない。瀬尾公治氏の君のいる町で、主人公のメインヒロインへの想いをそう指摘していたときとは若干違いはあるが、将也が初めて硝子に出逢った日から、彼の心の中には「一個の人間である西宮硝子」が居続けたことは間違いがなかっただろう。
心の縁として「硝子のために生きてゆく」と、盲目的に硝子の傍らにありたかった将也の気概を、硝子もまた徐々に氷解していったのだろうと思うと、そうした ラブコメディとしての見方を超越した、鷹岑が当初から唱えていた「心の青方変移」。決してひとつになることはないが、永遠に近づき合う関係。だからこそ、 二人でひとつの宇宙を繋いでいる。という感覚があったのかなあと思ってやまない。
それにしても、将也からのプレゼントのお返しに眩れた猫じゃらしは、実は『鉢植えの飾り』だったとはお釈迦様でも気がつくまい(笑)
まるで伏線やターニングアイテム然としながらも、謎を解けば特段将也の〝猫カフェ〟通いやら鯉関連とは関係の無い、硝子独自の世界観からの産物であったのであるから、いやはや将也もそりゃあ悩むというものだったろう。
しかし、それでも硝子からのプレゼント返しの正体が分からないままでは死んでも死にきれなかったのかなと言う、今なら言える冗談を語るとするならば、ある意味その猫じゃらしが、将硝の心の距離を推し量るアイテムであったと言えるだろう。

そして、最終回へ

時系列は飛ぶ。どんどん飛んで硝子は東京へ。そして、舞台は2年後へと進む。最終話は多少大人になった将硝を見ることが出来るだろうか。硝子のビジュアルも変化しているのではないかと容易に推察が出来る。
まあ、島田らとの融和を残し聲の形はまとまるのだろうが、将硝青春記として、この作品が語りたかったことは何だったのか。次号最終回の大今氏の記事を見てから、鷹岑として聲の形、また週刊少年マガジン最後の考察感想記事を書いてゆきたいと思っている。



どかなかったら どーする? (植野直花)
植野からすれば、最後の期待(?) まあ、妄想だが。
ちょっとは自分で考えろバーカ バーカ! (仝)
植野直花、想い実らずついに舞台袖へ。植野ファンにとっては辛いところではある。
違うからね (石田将也)
最後まで、素直になれなくて。
来年の誕生日一緒に祝いたいし! (仝)
事実上の告白だ。来年も君と一緒にいたいとは、なかなか言えんぞ?
去年くれたのって何……? (仝)
猫じゃらしの正体は、将硝の心の距離を測る〝物差し〟であったという例え。