テイルズオブゼスティリア。炎上する背景に過激派テロ組織の外道さの報道ありか


本来、メインヒロインであったとされる「アリーシャ」のアフターエピソードとされるDLCシナリオを完 走させましたのでレビューを寄稿致します。
私は事前情報は一切無く、ネット等のエンタメニュースからテイルズオブシリーズの新作が発売されるという情報だけで、デスティニーから始め、ファンタジア からプレイしてきた古参のテイルズオブファンの端くれとして当該作も予約購入を図りました。

テイルズオブシリーズは理想論(レフトウィング)に対する現実的な主人公達の苦悩と成長、俗に言う中二病を言えば「開き直った中二病」が持ち味のコンセプ トが連綿として続いていたと思うのですが、前作のエクシリアシリーズの前後編を鑑みるに、「永別こそがトゥルーエンド」というやや極端なドラマチックに傾 斜してはいないかと危惧する点は禁じ得ないところです。
映画調が魅力のひとつであるテイルズオブシリーズではあるのですが、ストーリー性に偏重し過ぎて、敢えて主要なキャラクタを別れさせるという高度な技法を 濫用し、テイルズオブシリーズの最大の魅力の源泉であった、「甘ったるい理想論で皆がそれぞれの道を歩んでゆく」という本来のロールプレイングゲームの基 本軸の蹈襲が殆どなされていなかったと言えるでしょう。これは、エクシリアシリーズから抱いていた疑義ではあります。

ゼスティリアに関しては、アリーシャが序盤で加入し舞台を移行する際に離脱するのですが、本来のテイルズオブシリーズならば中後半なりに再加入してエン ディングを迎える。という定石があったかと考えます。ところが、当該作では一部イベントでの再合流だけで再び離脱し、そのままフェイドアウトしてしまいま した。本編の終了、並びにDLCの終了も加味して思わず「ん?」と身を乗り出してしまったのは不覚でした。

テイルズオブファンならずとも、ロールプレイングゲームの基本を識るプレイヤー諸卿からすれば、(結果としてメインヒロインでなかったにしても)アリー シャの再加入を期待して止まなかったのは当然であり、DLC追加シナリオとされるストーリーも、殆ど外伝扱いでテイルズオブシリーズの根幹である理想ベタ ベタの中二病ぶりが消失していたと言われても仕方がありません。

そう言う意味で、私はロゼに関してはメインヒロインであったという認識は正直最後まで無く、加入時期も良く憶えていません(笑)
気付けば何だかんだと最後まで旅を共にして主人公や仲間達も侃諤と諧謔に満ちたチャットをこなしていたことに、不覚にも違和感を覚えてはいま
せんでした。

全体的なストーリーコンセプトとしても、いわゆる浄穢をキーワードに展開し、穢れを祓えない事の奪命の葛藤に関しても、テイルズオブシリーズにうざいと思 うほど附随してきた社会道徳や宗教観に対する一石ほどには感じず、「災禍の顕主」に関するエピソードも含めて消化不良は否めない。
また、途中で仲間の天族の一人が交代するが、その時に
絡んだ主要キャラとのやりとりも含めて必然性に欠ける(選択肢によって交代の是非という方法でも良 かったのではないだろうか)

まあ、いずれにしろ多くの諸卿が感じているように、歴代テイルズオブシリーズの中では極めて消化不良の多いシナリオだったように思える。
物事の結末を敢えて暈かす(プレイヤーの想像に任せる)、という手法は必ずしも否定するものではないのだが、その手法は基幹部分が明確な結論を迎えてい て、おまけのパーツのひとつとして敢えて結末を明らかにしない、というような方法によって得心されるものです。
ゼスティリアはそう言う意味で、ストーリーの主要基幹に関して漠然とした部分を必要以上に残してしまった。アリーシャの早期離脱とロゼの存在意義の正当性 と言ったものが、二大国の戦争殄戮回避といういち政治的動向によって左右されるというところがテイルズオブシリーズの歴史ではいささか矮小的な感じがする のである。

エクシリアシリーズを2作プレイしてみて懐疑的になったものの、当該作を完走させて確信を得たのは、そろそろテイルズオブシリーズも卒業か。と言った感じ である。デスティニーに感化されてファンタジアから追ってきた究極の理想論な冒険譚も、現実性に憑拠してしまっては個人的につまらない。
2週目を積極的にプレイしたくなるどころか、1週目の余韻が殆ど感じられなくなってきた時点で、既に機は熟しているのであろうと感じた今作だった。

映画調のストーリー性。別離こそが終結という高難度なる物語の副作用

木村良平・逢坂良太・茅野愛衣・小松未可子ら今を時めく若手声優陣に、子安武人・菅生隆之・故永井一郎などベテラン陣も錚々たるメンバーで演じられるとこ ろはさすがテイルズオブと言ったところだ。生半可な売り出し若手声優で固めることなく、全盛気鋭の重厚な布陣でまるで操作する映画である。
まあ、テイルズオブシリーズというのは、かく言う映画調の展開が見所のひとつでもあるわけだが、今回は正直、その映画調に特化しすぎたという感じがする。

「別離こそがトゥルーエンド」というシナリオは、フィクション的に総じて難易度の高い技法である事は判る。主人公とその相手役が永別、若しくは別 離するというのだから、受け手側が納得しなければ極めて不評を蒙ることは必然であって、ストーリー性に特化することによる弊害的なものがこの作品にあっ た、と言えるだろう。

ロゼの存在とISIL報道の搗合い

殺人をも正当美化するとされてきた、本作のメインヒロイン・ロゼ。鷹岑としてはネット界隈で痛罵されるほど嫌いというわけではない。まあ、執心的なテイルズオブファンロゼほど深い感情移入を以てプレイしているという訳ではないからだろうと言われてしまえばそれまでなのだが、批判を真に受けるとするならば、そもそもロゼは『暗殺団の領袖』という設定そのものが許容出来ないと言う事であり、存在価値そのものが問われる事になる。

そして、ロゼにとっては世情的に非常に不運が重なった。TOZがリリースされた時は中東の過激派テロ組織・イスラミックステート(ISIL)による日本人人質事件の報道が連日成され、ISILの非道行為への非難が世界中に拡散されている最中だった。
イスラム教の原理主義を標榜し、また曲解しての人質惨殺の映像をネットに公開するなどの外道ぶりを知らしめることになったのだが、ISILにとってみれ ば、そうした殺人行動を彼らなりの『正論』によって成されたものだと主張して憚らなかった。日本人の殺害もそうしたISILの一連の『主張による殺害』の 1つに過ぎないのだろう。

奇しくもロゼというメインヒロインは、劇中で「康寧たらん」と決め台詞を用いて人の命を絶つのだが、どうも彼女の主義主張が、ISILの戦闘員達が動画等々でつらつら述べる殺人正当論と重なってしまうことはある意味皮肉ではある。
確 かに世間の暗部を背負うという意味に於いての『処刑人』は、フィクションの世界ではハードボイルド的にストーリーの支柱として大いに有りなのだろうが、殺 害を正当化することはやはり人道的に殆ど許容出来る範疇にはないところであり、二大国の戦争殄戮回避、政治的混乱の回避のために殺人も已むなしと言うこと にはならない部分が多いと考える。
まあ、ロゼがISILのテロリスト、ジハーディ・ジョンと重なるというと言い過ぎになるのではあるが、ナイフを手にして殺害は避けられぬ流れであるという風潮に至ることに、少しばかり考える余地があっても良かったのではないかという思いは捨てきれないのも確かである。

アリーシャとロゼ。メインヒロインから弾かれた制作側の失敗

鷹岑はこのTOZに関しては(と言うよりもテイルズオブ全体)事前情報は仕入れず、ただテイルズオブの新作がPS据置型系で発売されるという情報のみで、 それが面白いのかつまらないのかは別として買ってきたわけで、ある意味ニュートラルな立場でその物語を論評出来るのである。

今回、メインヒロイン詐欺とまで言われたアリーシャだが、確かに物語開始5分程度でパーティに加入しチャットも含めてメインヒロインという観念があった。 彼女が離脱するのは別の地域に通じる道が解放されるところであり、彼女なりに懊悩して離脱の決断を成したとする形に描かれている。アリーシャ
それまでのテイルズオブの一般的な流れとしては、中後半に再加入して物語終結まで行動を共にするというのが一種のセオリーなのだが、今作に限っては、一時的な再加入(10分程度で再離脱)を除いて、NPCヒロイン的な立位置というものに終始した。
そのアリーシャをプレイヤーキャラとして追加されたのがダウンロードコンテンツとして配信されたアフターエピソードだったのだが、これに関しても肝心な主 人公スレイは登場せず、殆ど外伝扱い。これではアリーシャをメインヒロインとして認識してきたプレイヤーの立つ瀬が無いままだった。
アリーシャが何故、メインヒロインから外されてしまったのかというのには様々な憶測が飛ぶ。キャラクターデザインが、藤島康介氏のものではなかったとか、 最初から制作陣がアリーシャをメインヒロインとして認識していなかったというものがあるのだが、いずれにしろ制作者側とプレイヤーユーザー側の認識の乖離 は、テイルズオブシリーズだけではなく、多くのメディア作品について回る。

アリーシャは理想論に信を致し、ロゼは現実論を以て矛盾を打破しようとする。まあ、本来ならばテイルズオブらしいヒロインと言えばアリーシャなのだが、エ クシリアシリーズ以降、テイルズオブの制作チームはどうも現実とはかくも厳しいものである。と言った事を追窮してベタベタな理想論、究極の中二病からの脱 却を標榜しているというのが顕著である。
何がテイルズオブシリーズらしいのか。ファンタジアから始まって二十年という節目でゼスティリアは満を持してリリースされたのではあるが、アリーシャをメインヒロインに据えなかった事はやはり「らしくはない」事の方が目立った。と言うことは否定出来まい。
離脱する際に選択肢を与え、アリーシャを選ぶか、ロゼを選ぶかという分岐を設けた方が、今となっては良かったと言えるだろう。
ロゼの強制ルートが、様々な齟齬を生じて結果的に物語の破綻ではないが、歯の奥に物が挟まったような不快さのみが残ってしまったことになる。アリーシャと ロゼ。二人のルートを確立させることで補完するという、物語としての基本を履行してこそのテイルズオブシリーズの良さだったのではないだろうか。

失敗の素因

個人的には普通にプレイしたが、敢えて失敗したと指摘するならば、制作陣の姿勢にこそ根本的な問題があるように思える。
ネット多情報化時代によって、ゲームもネット配信出来るようになり、不具合があった場合などはパッチという形で比較的簡単に修正出来るようになった。
テイルズオブに限らず、そうした双方向社会の中のゲームは、ユーザーの声が玉石混淆に飛び交い、有意義な内容から理不尽なものまでダイレクトに作品の評価に直結する。
嘗てのゲームは、システムのシンプルさもそうだが、不足分はネットのパッチ等で修正すれば良いというような安直な基盤は無かっただけ、より完璧性の高い作 品をじっくりと作り上げなければならないものだった。ところが、このゼスティリアに関してはシナリオによって生じた穴や矛盾を、ダウンロードコンテンツで 補完してゆけば良いのではないか、と言う考え方が窺える部分がある。テイルズオブゼスティリアに限らず、総じて近年のゲーム業界はベースがいささか甘いよ うな気がするのである。