短編恋愛譚の俊英・瀬尾氏が走破した処女作再編による新たな死生観の集約

Half & half 第2集▼Half & half 第2集

総合★★★★★ 構成★★★★ 筆致★★★★★ コンセプト★★★★

「最期の七日間」をコンセプトに、主人公である若い男女2人のどちらかが七日後に死ぬ。という極めてシビアな結末が待っているラブコメ 作家・瀬尾公治氏が新人賞佳作を獲得した事実上の読切処女作のリメイク連載版。
足掛け4年・連載期間約3年を経て完結。第7回~最終回(第13回)と描きお下ろしとして長短編外伝を収録した。
独特の恋愛観や、死生観で知られる瀬尾氏が、本家本流である週刊畑で「君のいる町」から現行「風夏」において、その基本ストーリーの展開が、読者間で極め て明瞭な毀誉褒貶の対象となっている事とは対照的に、当該作(H&h)は、ある意味今述の「君のいる町」・「風夏」で試行した瀬尾氏の死生観の源 流を垣間見ることが出来る。
週刊本誌連載の現行諸作品は、無理強いな設定や展開が悪目立ち、評価は真っ二つに分かれているのだが、H&hは瀬尾流としては極めて異例に、主人 公・永川慎一とヒロイン・真田夕希にほぼ特化し、最後はそのいずれかが死して終幕を迎える。という、『別離こそハッピーエンド』に対する試行錯誤が窺え た。

結末は読後の楽しみだとして敢えて述べないが、主人公・慎一が作中で熟々と話す死生観は、そこはかとなく飄然としていて、最後のイニシエーション(クライ マックス)を迎える頃合になっても、淡淡としてドライな掛け合いをヒロイン・夕希と交わしているのだが、これは瀬尾氏のある意味淡泊とも言える人生観を表 しているのではないだろうか。
また、今集では比較的に夕希に焦点が当てられ、2人が結ばれるまでの過程や、互いを想う心情描写が、これがまた瀬尾流には極めて珍しく滲出されており、本 家本元の連載作とはまるで別物のように切なく惹き込まれるのである。
H&hは、瀬尾氏が試行錯誤を繰り返したとオビ裏でコメントしているように、君のいる町から風夏に跨がる本家連載の創作性の変化と、また諸作での 長所が見られた(慎一と夕希が身体を重ねる場面)など。短編で、かつ登場人物が少数精鋭。コンセプトがしっかりとしていて瀬尾流の良い部分が表現された、 瀬尾氏稀少の良作だったと言える。故に、評価は文句なしの5である。現行本誌連載の「風夏」の方も、H&hなみに頑張って欲しいと願ってやまな い。

●短編読切型ラブコメの名手・瀬尾氏の稀少なる名作

果たして、『君のいる町』・『風夏』と同じ作者が描いた物語なのだろうか。と首を傾げたくなる程、Half&half(以下Hh)は非常に“ストーリーしている”のである。
まず総括的に、このHhは登場人物が非常に少ない。これだけで瀬尾流らしからぬ『奇跡』だと言えよう。
君のいる町や風夏に至るまで、無意味な新キャラクタを投入しては放置プレイや、ひどいときにはフェイドアウトさせてしまう悪しき手法に事欠かない瀬尾氏 が、Hhに関しては読切処女作の再編成という土台があったのかも知れないが、主人公の慎一とヒロインの夕希に主体を置き、メインコンセプトを最後まで保全 した(出来た)という、「物語」というものの基本を忠実に励行した、より本物のファンタジックラブコメディに完成されたのである。
週刊少年マガジンのいわゆる本家本流の瀬尾氏に対する麗句は、「恋愛漫画の旗手」「マガジンラブコメの第一人者」などとしているのだが、皮肉にも瀬尾氏の そうした本領は、全13回という短編に集約されてクオリティの高いものになっているのだから、瀬尾氏を支持している鷹岑としては苦笑してしまう部分であ る。

●週刊誌畑から月刊誌畑への回帰へ

真田夕希Hhは、奇しくも瀬尾流作品の良い部分が余すことなく表現された。と言い切ってしまうと極端なのだが、別の見方をすれば、そう思ってしまうくらい本家本元の「君のいる町」や「風夏」が非常に懐疑的な作品であると言うことの裏返しでもある。
そして何よりも途中の連載休止期間も含めて、月刊誌畑の隔月掲載というロングスパンが、この作品をより完成度の高い作品に仕上げたというのは決して過言ではあるまい。
本家ではこの期間中に「君のいる町」の連載が終結し、現行「風夏」の連載が開始。テレビアニメ化やOAD作品など、Hhにとっては連載の穴が立てつづけに 起こる結果にはなったのだが、瀬尾氏が試行錯誤しつつ完走させた、と述べているようにHhは功罪両面として、君町から風夏に跨がる瀬尾流の集約的作品に なった、という見方が出来ると思うのである。

それは同時に、瀬尾氏が週刊畑ではなく、月刊畑。若しくは青年誌以上の土台で活躍するべき筆致と世界観を持っている作家であることを示しているとも言え、 また長期連載よりも短編や読切型のファンタジー作品にその本領が発揮されると言うことを証明しているとも言えるのである。
そのくらい、君町や風夏とは落差が激しい構成に、週刊畑には無名のゴーストライターがいるのではないかとさえ疑ってしまうほどである。

●永川慎一・真田夕希のその後

「涼風」を端緒として「君のいる町」において話題となった『瀬尾流第200話型』つまり、主人公とヒロインが長いプラトニックからようやく初体験を交わす 場面が、Hhでも後終盤にかけて描かれた。瀬尾氏は元々、秀麗な筆致で著名な作家なので、これに期待を寄せる読者も少なからずであろう。
Hhでは、そういう場面もサービスシーンとして描きながらも、決して無意味な場面では用いず、終始2人の想いの深さを示すミューズとして捉えることが出来る。こう言う部分も、本家の君のいる町では試行することが悉く裏目に出ていたこととはまるで正反対である。

Hhは、当初からコンセプトが明確で、結末も決まっていたのが瀬尾氏にとっては好作用に働いたと言える。主人公・ヒロインのどちらかが必ず最後に死亡し終 結するという「結ばれなきトゥルーエンド(別離こそハッピーエンド)」が、瀬尾氏の悪癖である無計画性の封印に繋がった。悲恋。いわゆるバッドエンドを望 まない瀬尾流にとっては必ずしも紋切り型のラブコメに嵌まらず、慎一・夕希のエンディング後の姿を示した結末になっているところが、いかにも瀬尾氏らしい 演出である。

●風夏にもその良さを…

鷹岑は風夏に関しては表立った考察をしていないが、どうも評判が芳しくない。瀬尾公治氏という漫画家の良い部分と悪い部分が完全分離して、Hhと風夏を描かせているのではないかとさえ勘繰ってしまうのも分かるだろう。
瀬尾氏独特の人生観と死生観は、一部の強い瀬尾氏支持者には常に斬新なインパクトを与え続けているのだが、Hhのクライマックス手法を、風夏では物語中途 に起こしてしまったとされる。君のいる町の風間恭輔や、風夏での話など、瀬尾氏がキャラクタの死亡退場というものに対するある種の拘りや価値観が成せるの だろう。ただし、それは物語に終始影響を、ともすれば主人公達の行動を終始束縛するほど重要な手法なのである。だからこそ、Hhはそれを物語のクライマッ クスにして、トゥルーエンドとしたのである。
Hhは瀬尾氏の約20年以上に及ぶ漫画創作活動の商業連載の中でも、唯一無二と言って良いほどの良作と言って間違いないだろう。

そして、その理由は言わずもがな、ストーリー構成が邪道を進んでいない、基本的な少数精鋭のファンタジー短編だったからだ。風夏ももし続くというのならば、Hhの良い部分を蹈襲してHhに負けない構成を目指して貰いたいものだ。