878
・バトランド左近衛少将勾統、宣宗の勅命で西方山嶺の魔族を追捕(勾家史文書)
・テルパドールの女王ゲルダ、摂政岐勢頼貞の逝去に伴って大赦礼を発布(テルパドール正史)
没/岐勢頼貞(45) 赤薔薇信繁(72)
879
・ガーデンブルグ女王遼瓊、灯下義経と結婚(ガーデンブルグ古文書)
・八勇者の遺品が各国で展示
・キングレオ王文宗、太政大臣光神晴経、モンバーバラに下向し故マーニャの舞踊を遊見(キングレオ王室譜)
没/石堂頼光(63) 麗部重胤(46)
880
・ガーデンブルグ大公灯下義経が失政を咎められて失脚(ガーデンブルグ古文書)※8
・前大公左大臣桃井直光が罷免(ガーデンブルグ古文書)
没/研守祜(56) 赤薔薇国繁(23)
881
・ガーデンブルグ女王遼瓊が退位、遼珣践祚、次いで即位する(ガーデンブルグ古文書)
・ガーデンブルグの大公に灯下頼勝を推挙(ガーデンブルグ古文書)
・天空人、ソレッタ王国重臣朝羽重之に訓示(エルヘブン賢者秘記)
・サントハイム王裕宗、第一王子島津忠観の病免を受け入れて、長女ユリエスを皇嗣にする(サントハイム島津家文書)
・エンドール大商司厳越、海外交易の利権を国内の交易商に分配、収益の6割を国庫に納める旨を通達(厳家書録)
没/初瀬義孝(55) 麗部親胤(17)
※8 灯下義経の失脚 …… 灯下義経は、桃井直恒の族弟に当たる千石氏庶流奈美政資の嫡男で、灯下秀政の養子として灯下姓を継承し、女王となった遼瓊と結婚し、大公として権枢機卿にまで陞進した英傑であった。
奇しくも先々年に八勇者最後の一人であるクリフトが他界すると、名実ともに世界の平和が確立され、それまでは魔族の脅威に脅かされて萎縮していた人々の心はようやく解放された。
些少の悪事と呼ばれるものは見逃されてきた時代が変遷し、魔王が滅亡して七十年が経つこの頃には、世界は古の秩序が復調するようになっていた。中でもガー デンブルグは遼倫女王が威厳王として当時としては珍しい法治国家を目指し、女性のみの支配権確立を再興させた中興の英主であった。
しかし、大公となった灯下秀政・桃井直恒は共に政治手腕に長じ、次第に政治的発言権を強めてゆく。中でも桃井直恒は鎖国体制を敷き、女性のみの国家体制の根本を切り崩し、845年に開国。バトランドとの交易を開始する。
その直恒も862年に逝去するが、今度は遼璟の大公となった後嗣桃井直光が実権を掌握する。直光は大公としての政治的実力に伴い、ガーデンブルグ周辺の魔族残党を追討してたために次第に実権は強化された。
桃井氏のワンマン体制に不満を募らせたのは外でもない国民たる女性達であった。直光は決して悪政はしなかったが、女王たる遼瓊の裁断を仰ぐことが少なかったために、国民の間では遼瓊傀儡女王の醜聞まで流れる始末であった。
事態を重く見た直光は、上皇遼璟の取り計らいでブランカ王国の奈美政資の子・義経を灯下秀政の養子として迎え、女王遼瓊との結婚に成功させる。同時に直光は官職を下げたが、これもまた国民の怒りを爆発させてしまう。
ガーデンブルグの内情はもはや名宰相の聞こえ高い桃井直光にも収拾が付かなくなり、新大公灯下義経は、女王遼瓊との蜜月を過ごす間もないまま一年後に大公を辞し、桃井直光も強制的に罷免させられた。
失意の女王遼瓊は日夜義経のことを想うようになり、行政に空白が生ずることもあったという。
結局、遼瓊は翌年に退位し、幼少の遼珣が即位することになるが、ガーデンブルグの政治体制の制度疲労を露呈した形となり、かつての女性国家としての威厳と偉勲は衰退の色を見せ始めてゆくこととなる。