甘美と哀切の底流に包含する“おぞましさ”

恋と嘘・第3集恋と嘘 第3集
評価★★★★

国策恋愛管理に翻弄される主人公・根島由佳吏、メインヒロイン・高崎美咲、真田莉々奈、そして真(?)の主役格たるカバービジュアルの仁坂悠介らの、ある意味複雑怪奇な若き人間関係が描かれる第3集。
「政府通知」と称する、自由なき官製カップルを一堂に会した“講習会”を主導する矢嶋・一条ら官僚機構の見せる無機質なる柔和な表情は慄然とさせ、また描かれている内容に、感情なきデジタル・データらしいおぞましさが強調されている。
美咲・莉々奈の二人のヒロインの間でタイトルベースである真贋の恋をそれぞれに昇華されてゆく感情を描いてはいるが、世界設定そのものが無機質でおぞましいものなので、主役級たちのある意味純粋な心情遷移がこの物語の最大の魅力たり得る部分ではある。

国策恋愛で誕生した官製カップルと、自我で熟成された恋愛を比較してどちらかが嘘か誠かという二者択一で収斂できないほどのヒロインや仁坂の心情描写を鑑 みれば、根島由佳吏という主人公は、そうした国策恋愛政策に順応し、いわゆる反権力(レジスタンス)的な高揚感に足らず、ラブコメの王道である、ヒロイン の間を彷徨うヘタレ(クズ)という見方から今のところ脱却は出来ていないと言える。
しかしながら、こうした血も涙もない全体主義の国策恋愛社会の末端の片隅で、自由恋愛の意義を推し量るという見方の上では、根島由佳吏にシンパシーを感じることも可能であると言えるだろう。

真の主人公・仁坂悠介

いきなり飛躍した喩えになるが、鎌倉幕府の実質の最高権力者が執権というのならば、この恋と嘘の征夷大将軍は主人公・根島由佳吏で、執権は仁坂悠介であろう。
それほど、作者ムサヲ氏の思惑はどこにあれども仁坂の人気というのは天を衝く勢いのようなのである。
まあ、かと言って第1集の単行本に収録されている特別編を端緒に沸騰した、一部信者層の持ち上げのようであるが、それを差っ引いても、仁坂は単なる美少年 という領域を超えた中性女性寄りの容貌をしていて、この系統の作品に於いては女性人気の底上げに直結していると言って過言ではあるまい。
作中としても、彼は比較的ドライな思考でこの世界の根幹である国策恋愛政策について捉えている。根島由佳吏や高崎美咲らよりも一番、この「恋と嘘」という物語の本質を語っているキャラであるように思えてならないのだ。

悍ましきデジタルデータ管理の官製カップル。その副産物は国家100年の体系を崩ず

この第3集の巻末には特別編として、ある官製カップルの逸話が掲載されている。全体主義社会の中に作られた身分差の官製恋愛の1つの事例として述べている のだが、そこにはやはり、プロセスというのがない。喜怒哀楽というものもやはりどこか無機質のように思える。不思議な話だ。
本編では厚生労働省の官僚・矢嶋と一条という政府の尖兵がネジたち官製カップルに講習会と称した通過儀礼を求めるのだが、やはりそれに対する矢嶋や一条の所作は感情を抜きにした数値データらしい無機質さである。

仮にこの国策恋愛政策における官製カップルが現実化になったとしたら、社会は一体どうなるのだろうか。作中で言うように、全ての人々が幸福になり得るだろ うか。実はこの作品の基本設定たるそれは、必ずしも非現実的なものではないのかも知れない。行政が出会い系を奨励するというのは実際に一部でもあるようだ し、政府直属の結婚相談所なんてのも存在する。はっきり言って余計なお世話ではある。
閑話休題
しかし、恋と嘘のように、そうしたデータの照合だけでベストカップルを選出し、結びつけたところで、そこに人間特有の感情というものが存在しなければ実に 空虚なものになるだろう。何故、自分はこの人を好きになったのか。それが判らない、プロセスを踏まない恋愛は恋愛にあらず、という言葉が正しいかどうかは ともかくとして、そうした過程で誕生した子供に、人としての感情が備わるかどうかが甚だ疑問である。表面は笑顔明朗なれども、内面は無機質空虚。目の前で 人が危機を迎えたとしても、助けると言うことはしない、相手の痛みを分からない、という人格が増えることは必定である。
そして、この国策恋愛政策が大きな誤りであったと気付いたとしても、それを修正し定着するのに更に数十年の歳月を要するのだ。途方もない計画である。
一番近い喩えならば、最近中国が撤廃した「一人っ子政策」であろう。人1人の人生の通過儀礼に関わる制度設計は、1年や2年で収まるものではない。何十年もかかるものなのだ。
恋と嘘の世界が推奨する恋愛政策が正しいか間違いか。その本質が見えるのは現在本編で活躍するネジや美咲・莉々奈・仁坂らが天寿を全うした後の話である。

作者ムサヲ氏は、自身の漫画の設定だから自分のものという考え方ではなく、きちんとそれが現実社会だったらどういうことになるのか、検証して更にリアリティのある作品作りに勤しんで欲しいものである。