進化したデジタルテロリズムとアナログ ヒューマニズムの愛憎と抗暴力のドラマ

戦渦のカノジョ 第3集戦渦のカノジョ 第3集
評価★★★★

第18 話~第27話を収録。平凡な日常を過ごしていた高校生カップルの優樹・真琴たちは修学旅行先の京都で、突然サイバーテロによる爆撃を受け、一転戦火に包ま れる京都 から逃れようと図る。テロ攻撃で死亡した親友・怜惟にうり二つの妹・陽菜と合流した優樹と真琴達だったが、接近してきた甲斐ら不逞の輩によって強姦されそ うになる。間一髪、彼女たちを助けることに成功した優樹だったが、危険な目に遭わせてしまった事への慚愧と自らの無力さに懊悩する。そして、陽菜はそんな 優樹に惹かれ、真琴に対して複雑な思いを懐くようになってゆく…。
『ウィキテロリズム』という、サイバーテロが軍事中枢にまで及ぶという高度な世界設定で、サイバーテロが現実の世界を一瞬にして崩壊させ、巻き込まれた普 通の高校生の主人公達が数多くの犠牲を乗り越えて故郷に帰る事を目指すという、コンセプトそのものは端的なものだが、優樹をベースにした主要登場人物達の 心的描写や変移・成長過程での苦悩などは一般的なモノローグなどで表現できていると言える。
世界設定の枢要である「ウィキテロリズム」だが、彼らが世界の先進諸国を敵にして戦いを仕掛けるというグローバルな野望を抱いている中で、ヒロイン・真琴に目を付けた狙いは何なのか。二大ヒロインのもう一人・陽菜とのストーリー的ポジションを明確にさせたい部分である。
個人的には、美少女二人が主人公に思いを寄せるという恋愛要素が混交したサバイバル・デッドオアアライブと言うことで途中から嵌まった作品だが、世界設定 が広大でかつ主人公・優樹自身は臆病な性格からの成長という、世界観からすれば本編描写の視点は非常に小さく、舵取りがなかなか至難高度な点が特徴的。
「故郷に生きて帰る」というコンセプトは良いが、ウィキテロリストの目的の広大な面と、優樹を廻る真琴と陽菜の暗闘、登場人物達の絶対的な死亡退場と、全ての線が明瞭な太線によって示されているため、きちとんとしたストーリーの整理が求められる部分が多いと感じた。
第3集ではカバーの左、二大ヒロインの一・陽菜が活躍しているが、そう言う意味で今後も「恋愛的要素」という視点から期待している。総合評価は、星3だが期待値を込めて星4とした。

思ったほど悪い内容ではない~作者・冨澤浩気氏への激励

戦渦のカノジョについてはヤングマガジン誌で連載されているNON氏の「ハレ婚。」の序でに目にしていたというのが当該作品との出会いなんですよね。
始めはそれほど歯牙にも掛けていなかったのですが、何気に目にしていてヒロインの「藤宮真琴」が可愛い。読み始めた頃に危険な目に遭っていた第2ヒロインの陽菜もなかなか良い。この作品が面白いと感じるようになったのは、そんな単純明快な切っ掛けだったのです。
ところが、インターネットの某掲示板サイト漫画板ではすこぶる評判が悪い。何が悪いのかスレッドを読み進めてみても、それほどなものかという疑問の方が先行している。
まあ、鷹岑は漫画を読むときはその漫画の世界設定の上に立って読むようにしているので、そう言ったネットサイトの批判は終始首を傾げるようなものであった。
「書き込まれていることに想像するようなほど悪い内容じゃない」というのが、鷹岑が改めて第一話から読み進めてみた感想である。

まあ眼力が優れ、才知に溢れたネット民の漫画批評家たちからすれば最低最悪の評価が下されている作品というのはこの「戦渦のカノジョ」だけではないのだろ うが、実際になかなか面白いという人間がここに最低一人居ることからすれば、それで良いのではないだろうかと思っているのであります。
鷹岑は「紙媒体」の漫画単行本は電子版への移行を始めてから殆ど買わなくなったが、この「戦渦のカノジョ」は現行3集まで紙媒体として書店から購入している。比較的マイナーな作者・作品への応援と言う意味を込めての事だ。
また、インターネット上での好き放題の匿名書込みでは説得力を失せると考え、鷹岑は敢えてアナログの手紙・ハガキをもって作者に対して激励をすることも厭 わない。52円、82円という切手代を使って送る感想・激励文にこそ意味がある。冨澤氏にはネットの誹謗中傷は気にしない方が良いとした。一方で批判は謙 虚に受け止める度量が大切であるとも。

筆致から入り、また嵌まった世界

藤宮真琴先述したが、鷹岑がこの漫画が良いと思ったのは何よりもその筆致である。
漫画なんだから筆致から嵌まる、というのは単純明瞭なのだろうが、本来の目的であった連載作品の序でに目を通していた作品に惹かれるというのも、ある意味漫画の醍醐味なのかも知れない。
連載の切り売りを望む鷹岑だが、実際に連載の切り売りが始まってしまえば、そうした買い物の序でに新たな出会い……というのも無くなるのかも知れません(笑)

閑話休題

編集部気付に送付した冨澤氏への応援書翰にも記したが、ヒロイン・藤宮真琴が単純に鷹岑好みである。ショートっ娘が良い、二連泣黒子が良い、勝ち気なところが良い。漫画にハマる切っ掛けなんてのはそんなもんだろう。
瀬尾公治君の作品にハマった切っ掛けというのも、広告で見たW'sのヒロインに注目し、涼風のヒロインが単純に可愛いと思ったからだ。そして君のいる町も。
そう考えてみれば、鷹岑はショートっ娘で活発な美少女がツボなんだろうかと再認識させられるわけで(笑)

さて戦渦のカノジョのメインヒロイン・藤宮真琴は第一話から読むと随分と理不尽な目に遭っている。にも拘わらず、明朗快闊で常に前向きだ。いかにもヒロイン然としたキャラである。
そして、単行本第2集から登場の准ヒロイン・一城陽菜は、第一話で出番を終えた、真琴と優樹にとって永劫の親友・一城怜惟の生き写しのようなビジュアルながら、怜悧豪放な怜惟とは違って、ビジュアルが付加価値たる比較的内向的な少女である。

「ウィキテロリズム」という民間人宅に潜むサイバーテロリストによって国の軍事施設がハッキングされるという、非常に高度化されたネット社会にあって、主 人公・松田優樹を廻る藤宮真琴と一城陽菜の二大美少女が、グローバルなデジタルテロに齷齪する社会や自らが置かれた瓦礫と崩壊した秩序の現実の上で、なお アナログな『想い』を向け、また交錯させながら故郷・北海道へと気持ちを向けるという、アナログの強さというものを示しているようにも思える。
藤宮真琴に対するそうしたサイバーテロリストの執心というのも、彼女のある意味古臭くアナログで単純な直向きさ、強さというのが結局のところデジタルなものは及ばない、ということのメタファーのような気がするのである。

第一話からの優樹や真琴は、無邪気な少年少女。秘めたる両想いが怜惟によって具現化しひとつになった。二人とも小心でなかなか前に進まない、と言った心情 を描いてきたが、突然の世界の瓦解という設定によって、二人はそれぞれに化学変化を来してゆく。真琴は親しかった、或いは同性愛的な思慕を向けていた一城 怜惟の急なる退場から。そして、優樹は勇気無きことへの自己嫌悪を重ねた上と、愛する人、守るべき人が遭遇する危難を目の当たりにした心的化学変化。冨澤 氏はそこを表現していることが読み手には解る。
松田優樹はウジウジ、メソメソとした主人公というイメージがあるが、彼の心情変化というのは、世界設定の上に素直に立ち、熟読していれば理解の範疇にあることが良く解るのである。

陽菜にもっと活躍の場を

一城陽菜さ て、二大ヒロインの一「陽菜」が当該第3集では活躍している。姐御肌の姉・怜惟とは容貌・声は酷似しているが、内面はほぼ正反対。悪党・甲斐らによって輪 姦されかけたところを優樹によって避けられた。甲斐を斃し、烈しい自己嫌悪に陥る優樹を優しく抱きしめる陽菜。ひと目で優樹に惹かれたのか、或いは姉・怜 惟から優樹のことを聞いていて親近感を抱いていたのかは想像の余地は多いのだが、優樹の恋人・真琴に対する静かなる嫉妬心の描写は個人的に秀逸だと思って いる。冨澤氏は折角相関図に厚みを与えたこの陽菜の心を活かすべきではないだろうかと提言をしてみたいところだ。

戦渦のカノジョは勿論、恋愛を第一義とした作品ではないが、美少女二人がメインストーリーに絡む以上は恋愛要素は不可避のことであり、またそれがストーリーそのものに厚みを与えることになる。
第二ヒロインは正道では決して報われることがない運命にあるのだが、陽菜と優樹の急接近による波乱というのも、王道ではあるがそれがまた分かっていても面白いものなのである。
いかに世界設定が凝っていても魅力のあるキャラクタが活かされていなければ粗笨なる作品となってしまいかねない。キャラクターの絡みが厚ければ、世界観は自ずと付いてくるものである。当たり前の話ではあるのだが。

試される、作者・冨澤氏の技量

世界を震撼させ、タイトルにもなっている戦渦を巻き起こすサイバーテロ「ウィキテロリスト」と世界先進国の政治・軍事サイドとの“戦争”そして組織の内情。
悲劇に見舞われた高校生達の故郷生還に向けた結束と裏切り。主人公を廻る美少女二人の想いの交錯。戦渦のカノジョは俯瞰すればそうした非常に太くて固い “線”が絡み合った全体図となっていて、捌くのが客観的に見ても非常に高度なものであるように見えてくる。本来ならば週刊連載ベースではそうした重い舵取 り、固く絡まった太い線をどう解してゆくか、ということに多大な労力を費やすところであるが、冨澤氏にもこの作品に置かれたそうした課題を解決してゆかな ければならない。この作品の世界観を一般論として捉えた場合、少なくても「この戦禍は何のために起こしたのか」ということと、主人公たちの最終的な到達地 点の確固たる描写。である。そこに奥行きをもたらすためには前述の恋愛要素が必要不可欠であるのだが、これはなくても物語そのものとしては通じる。ただ、 無味乾燥な内容になることは否めないだろう。

鷹岑はこの作品の描く根本を、「1のアナログデータは、1兆のデジタルデータよりも強し」と言うことではないかと解釈しつつ読み進めている。千言万語を用いても、「あなたが好き」という言葉には適わず、また核ミサイルを放っても、人の心を引き裂くことは出来ない。
戦渦のカノジョに期待するのは、冨澤氏自身が自らの描きたいことを忠実に描き進めること。ネットの瑣末な偏見に囚われず、世界像を完成させることにある。
一読者として、最後まで付き合って行きたいと思っている。