「悲劇」のヒロインに裏打ちされた背徳(アバンチュール)への羨望

ホリデイラブ第3集◆ホリデイラブ~夫婦間恋愛~ 第3集

評価★★★★

単行本換算で第19話~第29話を収録。主にメイン主人公・高森杏寿が、夫・純平との離婚に向けて井筒側とのファーストコンタクトが
描かれる。
「登場人物皆クズ」と断じてきたが、一見悲劇のヒロインに見える杏寿の心情心理も一概に同情できるとは到底思えないものを感じる。
謎のイケメン「黒井」との出会いそのものは人生・仕事上の一連の一期一会としてあり得るかも知れないが、杏寿はここまでの流れを通じて
自らを悲劇のヒロインに繕いながら、その内実は純平だけが掴んだ「不倫」という背徳に対する羨望・嫉妬であるように思える。
「黒井」の存在は1つの切っ掛けに過ぎないという設定上のものでありながら、背徳の被害者という立場で、純平や井筒里奈を攻難する姿勢
に、足下を救われそうな危険性を感じてやまない。

ちなみに、今集までで唯一、この一連の不倫事件で正当な被害者である里奈の夫・井筒渡も、里奈が不倫をしても当然(的)な非道い所行を描き出しているが、 喧嘩両成敗ならぬ、不倫全成敗では男側の立つ瀬が無い。
原作・作画がいずれも女性と言うことで女性視点としてのリアリティを描いているのであろうが、その起因が純平の興味本位や、井筒渡の強制的悪役描写ではど うも合点がいかないものがあるのも事実。
まあ、不倫はよろしくない。という正論だけで生きてゆけるほど人生何があるかわからないから面白いし、こういうアバンチュールものの面白さというものの需 要があることを考えれば、鼻をほじりながら「全員クズ」の末路を楽しむのも一興というものだろう。

蓋を開けば堕ちてゆく、不道徳の連鎖

「不倫」というのはある意味結果論であって、多幸感に浸っている当事者同士が「これは不倫だから良くないことだ」と思えるくらいならば、はじめから不倫という行動は取るものではない。
そして不思議なことに、不倫に奔っている者たちは自分なりに正当性を求める事によって反道徳性を打ち消そうと図ってゆくものだからある意味質が悪い。
主人公・高森杏寿に接近を図っている黒井という人物が言う「浮気性の男は一生浮気をする人種」と侮蔑の言葉を掛けるが、彼は必ずしもフェミニストという訳 ではない。女性の琴線を意識し、女性の見方を気取っている時点で、性差別はあると言える。男性が男性を差別するのも立派な性差別であろう。
まあ、男ならば誰しもが一度は女性にモテたいと思うものなのかも知れないが、はっきり言ってしまえばモテる男は何があってもモテるし、モテない男というの は例え金があろうが地位があろうがモテるものではない。生まれながらの性質と一言で断言してしまえば元も子もないが、この場面で黒井が杏寿の歓心を買おう とする場面は非常にあざとい。
後に彼にたなびく一因にもなるが、それもこれも杏寿自身に純平が犯した「不倫」に対する羨望・憧憬(と言ってしまえば語弊はある)みたいな部分は必ずしも否定できないだろう。

高森純平、上司を騙し配属転換を図る

一般社会人が不倫を堂々と公言して憚らないという現象はまず聞いたことがないとして、例えそれが周知の事実となったとしても、会社企業の業績にとって著し い障害となり得るかどうかは甚だ疑問である。まあ、もちろん純平や里奈が婚活支援企業や「出会い系」そのものに従事しているとするならば大きなタブーでは あるのだろうが、不倫はあくまでもプライベートな問題であって、仕事とオフをきちんと区別してさえいれば問題になる部分はあまりないと考える。
社内恋愛、社内不倫は大悪と位置づけるのは、人間個々の嫉妬に起因する大義名分に過ぎず、それ自体を取り上げて大騒ぎするのは誰であれ大愚の極みであろう。

純平は里奈からの遁走を井筒渡からの強要ということにして配属転換を上司に諮るが、結果として純平は会社を騙したと言うことにもなり、同情に値するもので はあるまい。先にも言ったように、人望厚い有能な社員であったとするならば、里奈との出来事を嘘をついてまで隠し通す謂われはない。仮に渡から脅迫じみた 告発を受けたとしても、それは事実のみを認めるだけで辞職や配属転換を図ると言った人生設計の分岐となすにはやや大袈裟ではある。
何が間違っているかと言えば、純平は結局自分を「良い人間」であるというベールを脱ぎ捨てることを躊躇ってしまったのである。本編中、「この恩は、きっちり仕事をして返す」という言葉に強い違和感を抱くに十分だろう。

井筒里奈の指向性の変化

さて、大変な状態になってきたのは井筒の家庭も同義であり、いつの時代も大人の身勝手な行動に不幸のしわ寄せが来るのは子供たちである。渡と里奈の間の二 人の姉弟は渡の激しいDVに異常なほど大泣きをする。彼らが大きくなった際に相当屈折した人生を歩むのであろうと言うことは想像に難くはないが、当事者と もなればそんな容易に客観視し、10年後先の状況をシミュレートする余裕が無いのは道理である。
そして、里奈が犯した不倫の事実と、本質的にそれを反省する素振りもない妻の態度に対する渡の怒りというのも、男として理解は出来るつもりだ。
閑話休題
井筒里奈は初め、高森純平との出会いによって渡との馴初めの時とは違った青春期の回顧を感じたのかも知れないが、純平の家庭回帰の意思を感じるや、目的は 変化する。つまり、今集の帯にも書かれているように、「女として絶対、相手の女に負けたくない」という、闘争心へとウェイトが置かれていった。
現行連載との比較でも良いのだが、里奈は既に純平との恋愛成就という事よりも、杏寿を不幸の淵に叩き落とすと言うことを第一義としている。ここが女性特有 のドライさというか、俗に言う「女の怖さ」というものであろう。それを、未だに「自分への未練」と思い込んでいる純平は、やはり男特有のだらしなさを示し ていると言える。

井筒渡、無理矢理酷い男化される

井筒渡はこの鷹岑家文書でも言っているが、本来ならばこの物語最大の被害者である。しかし、渡はDV癖という欠点を与えられ、里奈が純平との不倫に奔る一 因を背負わされる羽目になったのは、物語進行上の宿命と言わざるを得ない。本編中のように小さな子供もいる家族の食事中にちゃぶ台返しのように食卓を滅茶 苦茶にするなど、純平とは対照的な激高型の二面性を植え付けた。
仮に温厚篤実な設定(裏で何をしているかは別として)であったならば、里奈が純平との不倫に奔る理由づけにはならない。それこそ渡の言うようにただの阿婆擦れ、ビッチ、淫乱という烙印のみが押されてしまう関の山だ。
里奈が純平との不倫に奔るのは、井筒の夫婦間に問題が無ければならなかった。リビング不倫セックスの真っ最中を目撃してしまうまでは、普通に家庭生活を営んでいたはずで、それが強いトラウマになるのはむしろ当然なのである。

相手の言葉を鵜呑みにしてしまう、無意識の大義名分

里奈の言葉をそのまま信用してしまう杏寿や渡の姿には強い違和感がある。杏寿に至っては純平に対して不信感を払拭出来ないと常に感じているというのに、里 奈からの電話の内容に対してはそれをあっさりと信用している。純平に対する不振と憶測に沿った内容を語ったからだとは思うのだが、杏寿が愚かである、とい うよりも鷹岑はそれが杏寿が心裡に燻らせていた背信行為への羨望・憧憬の実現に向けた大義名分にしようとしたと見ていた。
疑似フェミニストである黒井との出会いによって萌芽した不倫の恐怖と羨望への挑戦は、里奈の話す言葉を大義名分とするに十分だったのである。
井筒渡も純平と里奈の弁明を比較して里奈の言い分を取るというところに、人間心理の本質を感じ取れる。
男の言い分よりも、女の言い分の方を信用する。痴漢冤罪事件などでよく見る経緯の真理は、まさにこの物語の高森・井筒両家庭の掛け合いにリアルに表現されている。だから胸くそは悪くはなるが、顛末を見届けるには楽しい舞台であろう。

人は、悪いことをしようとする無意識の中で大義名分を得ようとする。

戦争は誰も侵略のためとは言わない。国を守るためだと言う。不倫は隣の芝生は青いと思えるからこその略奪の快感だけなのだが、本気で好きになったと言う。
社会心理学者の加藤諦三先生曰く、「いわゆる情緒的な(一目惚れ)というのは絶対に長く続かない。必ず冷めるものだ」
後に残るのは、心理的な廃墟である。