それでも僕は君が好き・人物考察②

絵本流青春譚の根底を成す、想い出と悔悛の秘跡

野ブタ野ブタ

青 春の原点。その残影、夙に表裏一体となりて其々の道へと誘う

イメージCV:佐倉 綾音


必 然的に結ばれることのない、恋愛のプライマリー

◆ 確立された絵本流――――野ブタ編の精神、「絵空ひこうき」へ承継す

別冊少年マガジンの2016年第9号に掲載された、絵本氏の読み切り「絵空ひこうき」は、「それでも僕は君が好き」で示されたひとつの絵本流青春譚の確立 により近くなった作品として位置づけられているのではないかと、鷹岑は考えている。野ブタ(第1話より)
さて、その絵本流青春譚の嚆矢である「それでも僕は君が好き」は、主人公・芹澤祐輔が、今回考察する「野ブタ」というヒロインをして開幕し、「サムスン」 に帰趨してゆく物語である。その芹澤祐輔が全編を通じて常に自らの生き様の中心に置き、恋愛に対する考え方や人生の指針と成した想い強きヒロインこそが、 その野ブタである。
鷹岑は彼女についてはこう思っている。「この作品全編の中で一番、現実に近く位置し、そして尤も手の届かない存在である」
初恋は叶わないというジンクスがあるとされるが、もしも物語自体初恋を実らすために描かれるとするならば、読み切りで済ませば良い。まあ、そうなれば恋愛 物語として面白いものが出来たかどうかはまた別の話だが、そんなことよりも、この作品は主に主人公・芹澤祐輔のモノローグで進められる追憶オムニバスなの で、野ブタがメイン・ラスティングヒロインに位置するという可能性は当初から皆無であったと云える。

しかしながら、芹澤祐輔という主人公を形成する上で必要な回想シーンを第一話に運び、彼女への消え残る想いと慚悔の念が核となって、その後の芹澤の様々な 恋愛遍歴の素地となるのだから野ブタは必然的悲恋の宿命を負いながらも、決して敗者ではなく互いの人生において相乗効果を生む、もう一つの主人公だったと 云っても決して過言では無いだろう。

◆ 近くて遠い存在、切なき初恋とその残映

痛悔の時芹澤祐輔のモノローグで語られるこの作品の基盤となる野ブタは、決して彼と結ばれることの無い位置だが、現実に一番 近いキャラクタと述べた根拠はまさにそこにある。
人間、おそらく殆ど誰もが経験したことがあるだろう「初恋」は、切なさとほろ苦さという代名詞的なものだが、芹澤が抱える、誰かを傷つけることへの懼れ は、穿った見方をすれば、自意識過剰とも取れるものであることは間違いではあるまい。と、云うよりも年齢を重ねて行けば遙か昔の出来事を漸く冷静に回顧で きる心の余裕が生まれるというのかも知れない。
自意識過剰とは、初恋が消えた切っ掛けを「自らが傷つけた」とする心裡。思い出を美化してゆくという事があるだろうが、傷つけてしまったと云うことも一つ の美化である事はあながち語弊があるとは云えまい。初恋は良い思い出。或いはなかなか恥ずかしい思い出と人によって様々な感慨があるだろうが、実はその相 手にとってみれば、自分が思っているほど心に残るものであるとはなかなか言い難いものがある。

野ブタはそういう意味において、極めて異例に「初恋の痛み」を主人公・芹澤と同時進行型で抱えている女性として物語の基幹に存在し続けている。ここは非現 実的(女性は男性ほど過去を引き摺らないものとする)と云えるが、本編の中終盤に掛けて彼女と芹澤の再会と、序盤に描かれた芹澤の交通事故を目撃、救助し てくれた女性として描かれた事は、彼女が常に芹澤と紙一重の存在だったという証左である。
芹澤が常に心の中に残映として在り続けていた野ブタだが、彼女にとっても芹澤という存在を胸中の凝りとしてあり、この世界の中で共振していたという事が、 野ブタ編が短くもまた中終盤において芹澤と双曲線上に出会い、過去に逡巡するお互いを昇華させる原動力となれた意味合いは非常に大きく、序盤で鷹岑が言っ た絵本流の青春譚の真髄を見たような心地がするのだ。
不思議なことに、野ブタ編を通してみる絵本流のアトモスフィアは、単純なるラブコメ・恋愛作というものではなく、まさに青春譚。かつてサブカルチャの分野 で多く見受けられた懐かしい様相。2010年代以降廃れつつある切ない青春譚のひとつと云っても、間違いはないと思うのだ。

自己納得の競合から、未来志 向への昇華

自己満足時系列としては事実上、終盤に位置する第一話。「それでも僕は君が好き」というタイトルコンセプトが示されるのは 文字通りエピローグを待つことになる。
そして、芹澤が最終的に帰結するサムスン編の前章として彼女が再登場し、物語の底流に脈脈と流れていた「過去の傷」と向き合うことになる訳だが、非常にド ラマチックで切ない。
「傷つけた」ことを過剰に意識し、力になりたいとアドレスを渡そうとする芹澤を激しく叱責する野ブタだが、ここが彼女もまた同じように芹澤に対して思いを 致す自意識過剰を表現している。
自信のなさ、自省からの逃避を図る事が二人の中で常に引き摺り続けてきた。互いの残念を都合の良いように美化出来ない不器用さが共通しているものの、芹澤 は傷つけたという自意識を謝罪するという自己満足でしか表現出来ず、野ブタもまた、自身の夢叶わぬ不器用な前半生を、芹澤の「変心」の為だと縋り続けてき た。自己満足と言うよりも、そう自己暗示的に納得させていたのであろう。

物語だからこそ為し得た二人の再会だが、例え二度と再会出来なかったとしても、芹澤が一生恋愛的不運に終わるという風には思えない。そして野ブタもまた、 おそらく普通に恋愛をし、幸せになれただろう。この物語で示されたのは、第一話で残心著しい別離を遂げた、基幹を成す二人が中盤で再会し無様さをさらけ出 し、視界が開けた部分を描き、終盤に至って時系列を合わせたところで漸く未来志向へと昇華してゆく、ということであって、二人に視点を据えれば絵本流の 「青春譚」そのものである。
恋愛というものを超越しているのか、恋愛に至らない未熟な心のままでやっと先に進むところを描けるようになったのかはまた議論の余地が大いにあるのだが、 野ブタの視点で芹澤の物語を見ようとすれば、不思議と見渡せるような気がしてならないのである。

駆け抜けた先に得た、二人の未来

止まっちゃだめそ の電話の相手は、芹澤にとっては最後に気づいたかな、という曖昧なものだったが、実は彼こそが一番判っていたと考えるのはあながち間違いとは云えまい。と いうのも、それまで彼は彼なりに多くの人生経験、出会いと別れ、悲喜交々を自ら目の当たりにして成長させてきた。そんな彼が自分に伝えたいことがあると伝 えてきた女性が一体誰なのか、判った上での追想なのかも知れないのである。
それを前提に考えてみれば、やはり表の主人公・芹澤祐輔、もう一つの女性側主人公として存在していたのが、野ブタであった。としてみれば、この作品全体の立体像が完成するような気がするのである。

鷹岑は野ブタをして必然的に結ばれることのない、恋愛のプライマリーと見出しをつけたが、彼女がいなければ芹澤祐輔のこの数奇なる恋愛遍歴は存在すること がなく、そして恋愛譚でありながら、絵本流の青春譚の根幹としてあり続ける事が出来た、野ブタというキャラクタの存在意義は、まさに絵本流のプライマリー として今後の作品の大根本に位置づけられるとみて決して大袈裟ではないのである。