鷹岑昊のTOD的こころ Part.69
舞島可憐(同級生2)
アイドルである私より、あなたの彼女でいたいもの。
舞島 可憐


■血液型/A型
八十八学園の同級生。8歳の時から芸能界にデビューし現在はアイドル歌手をしている。
仕事が忙しいせいか、ほとんど学校に来ない。
(公式紹介より)
実演CV:矢島 晶子・長沢 美樹 他 / 鷹岑的イメージCV:同

タカミネコウのTOD的こころ。第69 回はフリーダムなるわたしの中のもう一つの世界、永遠なる恋愛ゲームのパイオニアでレジェンド。同級生2の世界をか んがえる。
講演、鷹岑昊。原作・注目、同級生2

◆ ベールに包まれていた“個人国民的アイドル”の存在。恋人のために華胄界を棄て「普通人」に帰す

2016 年6月、アイドル活動をしていた女性がファンを称する男に刺傷される事件が発生した事は記憶に新しい。2014年5月には同じような事件が発生したのも忘 れるべくもない。いずれもアイドル、芸能界という存在が一般世界にぐんと近くなったがゆえの光と闇の闇が露呈したとも言える痛ましい事件だった。改めて被 害者の恢復を祈念する。
さて、AKB48が「会いに行けるアイドル」というコンセプトを掲げ颯爽と登場し、それまでの芸能界・アイドルという存在を根本的に変化を齎した瞬間が随 分と昔のような気がするのだが、時系列としてはそれよりもまた10年以上も遡り、芸能界・アイドルという存在が、まだ国民からすれば雲の上の存在で、私生 活すらベールに包まれているとされてきた。
舞島可憐はまさにその雲上人という位置づけであり、また個人として築き上げたトップアイドルというものを具現化した存在で、手に届かない夢の存在を、しが ない一般人が恋人にするという始終がプレイヤーの心を捉えて止まなかったのである。

●山口百恵、江口寿史氏をイ メージしたとされるキャラクタ設定

人 気アイドルの「降嫁」を受けた著名人として、当時は漫画家の江口寿史氏の名前を、舞島可憐について語る記事に載っていたのを鷹岑は記憶しているのだが、主 人公・竜之 介は舞台八十八町では有名とはいえ、有名職業人でもなんでもない、名うての暴れ者程度の存在である。

舞島可憐

舞島可憐のシナリオは、人気アイドルを妻にした江口氏の存在を意識しながらも、人気絶頂期で突然芸能界を引退し、それ以後一切表舞台に出る事のなくなっ た、伝説のアイドル歌手・山口百恵氏を強く彷彿とさせるものであると言えるだろう。
俳優・三浦友和氏の妻であり、芸能界の第一線で活躍する三浦祐太朗・三浦貴大兄弟の母親として今は名を聞くが、おそらく50代以上の人にとっては伝説的な 存在。それが百恵氏と言って過言ではあるまい。
同級生2オリジナル当時(1995年前後)でも既に山口百恵は伝説のスターとして芸能界の封神台に祀られた存在だったが、考えてみれば数十年も経て尚その 短いスターダムの芸能活動で残した功績が語り継がれるというのも、ある意味良き時代の象徴だったと言える。
「ゴミ袋でも可愛く見える」…喩えが非常に シュールだが、主人公の言葉はいわゆる「盲信者」的なものではない。舞島可憐のシナリオで、可憐が主人公を「相手が誰であっても、常にニュートラルな立位 置を保てる人」と感想を述べている。可憐でなくても人が好んでゴミ袋をかぶる訳はないが、言葉の綾を理解しにくい人からすれば、何とも酷い言葉のように聞 こえるだろう。

●死語となった「個人のス ター・アイドル」その存在価値

舞 島可憐は本編では既にトップアイドルとしての位置付けであったので、そこに到る経緯を詳しく語られる事は少ないのだが、現実として名だたるアイドルグルー プのメンバーたちの就学状況には千差万別があるのだろうか。一般の高校よりも、芸能活動に広いマージンを持つ学校も昔からあったと思うのだが、可憐は八十 八学園という一般校に在籍しつつも、学校生活は指折り数える程度しかないとされてきた。
「殆ど学校に来ないのに、3年生になってしまった」と実にシュールな会話を主人公とする場面があるのだが、いかにパラレルワールドとは言え、竜之介にす ら、進学は一浪を覚悟せよ、留年せよ。という注意喚起が濫発されているので、考えられるのは重要試験のみをパスする、私学校だとするならば可憐からの寄付 などが優遇措置に繋がっている、と言えるのだろうが実際はどのようなものなのだろうか。舞島可憐(疲労困憊)

前者が一番考えられるとは思うが、出席日数の不足を指摘されて呼び出された、というイベントがあるので重要試験をパスするだけで良いのならば、芸能専門学 校へ行った方が、言葉では竜之介や川尻あきららが送るような青春を過ごすという事もやぶさかでは無いだろう。
ただ、同級生シリーズの共通事項として、主人公の傍若無人・破天荒な生活学校態度ぶりが、何故か女子生徒や街全体の噂となり広がり、それに様々な尾鰭やら 飾りやらが付いて良くも悪くも竜之介の名声が高まっているとされているので、可憐は殆ど時間に拘束された生活を過ごす籠の鳥から離してくれる存在を探して いた、という事になるのだろう。

今の10代のアイドルたちは学業との両立をどのようにこなしているのか、あまり突出した話は聞かないので無難に成している、と鷹岑自身は考えている(正 直、あまり興味のない話だが)が、少なくともグループ形態でのアイドル活動が主体となっている以上、舞島可憐のような、個人の名前で10代のトップアイド ルという存在に比較すれば、プライベートな部分もそれほどセンシティブなものではないと思われる。
「何も掛けないよりはマシだろう」… 主 人公・竜之介が束の間の休みに居眠りをする可憐に自らの制服の上着を掛ける労りの場面。可憐帰結の大きなターニングポイントとなるのだが、さりげない優し さを示す。というコンセプトながら、現代社会で大きな問題とも言える「ストーカー」という存在がシナリオにはなく、アイドルという存在そのものが手の届か ないものであったと言う事を示しているとも言えよう。
アイドルグループ出身者以外を除く、個人のネームバリューで伸し上がった国民的アイドルは現代社会では極めて少ないと断言出来るだろう。インターネットが 生活の必需ツールとなってからは、国民的と言う言葉そのものが多様化していると言えるので、たとえば数千年に一度の美少女と目された橋本環奈君などは国民 的と言うには語弊があるが、舞島可憐がこの世界においてどのような存在価値があったかと言えば、橋本君のようなイメージと言えばまた想像に易いものではな いだろうか。

●脈脈と続く恋愛禁止・不変な る処女性のロジック

女性アイドルには恋愛はしないもの、永遠なる処女性という概念が今以てあるようで、一度プライベートな部分で男性と並んで歩いているような噂話が立つと激 しく叩かれる事が往々にしてある。
「恋愛禁止」というのは表面的・外聞上の体裁のようなものであるというのは、アイドルというものに殆ど興味の無い鷹岑のような人間からすればよく見えるの だが、人間として極めて当たり前な「恋愛」をしない存在、というのはアイドルは個々のファンにとっての共有財産であって、特定の人間のものではない。これ はアイドルという存在が誕生したときから続く基本理念なのである事は言うまでもない。舞島可憐(馬鹿は私)

可憐が番組の収録で司会者から「好きな人はいるのか」と訊かれ、「いないですよ」と即答しなかった事を詰られた。と、ある。
この部分を見るにつけ時代の較差というのを感じる部分ではある。アイドルのトーク番組などで今現在好きな人はいるのか、などというプライベートな部分を聞 き答えるという生々しさというのがあるのかどうかは分からないが、果たして実際に「いないです」と即答しなかった事で詰られると言うのもまた、非常に極端 な話ではあるだろう。少なくても、今の時代はネットによる情報過多でアイドルといえども恋人の存在の有無はそれほど大きな騒動にはならない。
しかし、舞島可憐は一世のネームバリューとして、芸能事務所が「彼女の存在なければ事務所は傾く」と言わしめるほどの存在だったため、恋愛禁止・永遠の処 女性というものが人一倍求められてきたと言っても過言ではなかった。それを思えば、今のアイドルグループのメンバーの醜聞などとは比較にならない重圧が掛 けられていた。というのはなかなか想像の範疇を超えている。それくらい、かつてのアイドルという存在は個々のファンの厖大なるイメージに支えられてきた、 と言う事が窺えるのだ。

そんな存在だった舞島可憐を、主人公・竜之介は心身ともに我が物とする。その一種の背徳感の甘美さを愉しむ、と言うのがこのシナリオの醍醐味のひとつで あった。

夢満つる先に

舞島可憐・あなたに会えるし可 憐との結実後、物語はエンディングまで殆ど進展を欠く。事実上の打ち止めのようなものであったが、考えてみればそうしたアイドルとの関係以上の展開を望む べくもなかった、と言える。先述したようなストーカーという概念もなく、ただ雲上人を手にする、というある種のサクセスストーリーだった手前、踏み込んだ シナリオともなればまた別作品の世界になる(ホワイトアルバムなど)
可憐は「アイドル、芸能人であるよりも、主人公の恋人でありたい」と吐露するが、夢の見た先にある現実に帰った、実にリアルな選択だったように思える。
多くのアイドルや芸能人がデビューし、また去って行くが、人気の高低は別として恋人のために誰もが射止められない地位を捨て去る事が出来るというのは、人によっては賞賛と同じくらい、非難もあったはずである。

豪邸まで建て(現金即払いという訳ではないだろう)、それでも人気絶頂期で伝説的引退で去って行くのだから大したものだ。しかしながら、そうした現実的問 題と共に、先の見通せない主人公を養うために芸能界に君臨し続ける、という設定もあればまた、リアリティに富んだものになったのではないかとは思う。
いずれにしろ、オリジナルの時から20年以上も経た現代。手の届く存在となった芸能という世界。
冒頭述べた、アイドル刺傷事件を、かつての雲上人・可憐はどのような思いで捉えていたのか、聞けるものならばインタビューをしたいものである。