再燃気運の近親禁忌、押見流が描く、究極破滅の物語

~押見修造氏『血の轍』/ビッグコミックスペリオール


密かなるブーム再来か、母子間恋愛

最近、個人的に注目しているのが近親間。特に母子間での危険な関係といういわゆる禁忌ものが流行気味なものを感じるのだが、間違いであろうか。
ブームというのは必ず火付け役、切っ掛けというものがあるのでそれが何なのか、と言うところまでは正直鷹岑も判らないが、植芝理一氏の「大蜘蛛ちゃんフラッシュ・バック」など、著名作家が総じて母子恋愛の作品を打ち上げてきているのが目を瞠る。

「惡の華」「ハピネス」「僕は麻理のなか」などを手掛けて前衛的なプラトニック漫画の成功者とも言える押見修造氏の最新作は、そうした個人的な予測に適った、母子関係の歪さを描くことになるだろう、「血の轍」である。

惡の華のその先に

この作品は謳い文句が「惡の華の先へ」というものだったことが非常に印象深い。
『惡の華』は、背徳の快感を得た主人公・春日高男が、社会をクソムシと罵倒する仲村佐和に強いシンパシーを重ねて堕落してゆくも、やがてその仲村佐和との 関係の先に自らの生きざまを睨視してゆくというダークポジティヴな物語であった。小さな出来心が、人生を一度狂わせ、それでも自らを見つめて再生して行く という後半の静かな盛り上がりがあった。
そんな「惡の華」を更に進化させるという意味で、「血の轍」はボブ・ディランのアルバムでも、相場英雄氏の小説でもない、押見流の新境地を標榜して颯爽とスペリオールの誌上に登場した。

長部 静子(血の轍)さ て、驚くべきは物語の事実上の主人公である、少年・長部静一とその母親・静子。静一はその「惡の華」の主人公・春日高男で、静子は春日高男が想いを寄せて いた清楚な美少女・佐伯奈々子にオーバーラップされる。鷹岑が血の轍のPRをSNSで初めて見かけた時、思わず「佐伯さん、綺麗になったなあ」と呟いたほ どだ。
実際、本編で描かれる静子は若く、美しい。鷹岑のような年齢に到ればこんな嫁さんがいれば良いなあとは思うが、若年層からすればこんな“オバサン”しかも 主人公の母親がヒロインで良いのか。と言う話である。たしかに、同じヒロインとするならば静一の同級生である吹石がヒロインであってしかるべきだった。
しかし、それでは押見流とは言えない。前作(惡の華)で清楚なる佐伯奈々子を物の見事に堕落させた押見氏が、そんな奈々子や、奈々子クラスタを救済すると いう位置付けで「血の轍」の制作を始めたのかと考えれば妙に生々しい。ただ、そうだとするならば、この作品の登場人物である静一の父、つまり静子の夫とな る人物はどうも息子と似ていない。よもや静一の父親は別であると飛躍した考え方を持った時に、惡の華の佐伯奈々子も、実は春日高男の子を宿していたのでは ないかという、実に荒唐無稽すぎる妄想すら抱いてしまったくらいだから、我ながら面白い。

長部静子~ヒロインと位置付けるにはやや語弊がある、物語最大の主人公格

まあ、仮に佐伯奈々子救済のつもりでこのビジュアルだったとしても、静子は文字通り佐伯奈々子とは比較にならないほどの幽深な心の闇を秘めて登場している。
とりわけ目立つのはその微笑み。静子は第一話冒頭、雑誌表紙から既に微笑を湛えていて惹き込まれるのだが、そこはかとなく恐ろしさのようなものを感じてならなかった。
長部静子(デレモード・血の轍)無 機質な微笑と言うよりも寧ろその逆で、息子に対する愛情。アオリや論評でもあるように、彼女の表情、所作全てが濃密な愛情によって表現されている。押見流 の筆致の成せる技と言ってしまえばそれまでだが、静子の描かれる個々の場面にそこはかとない闇を見ているような気がするというのも、紛れもない事実だ。

現行・第7話時点で言及されてはいないが、彼女の年齢は推定三十代前~中。彼女が18歳で静一を生んでいたと考えても、31歳。まあ、描かれ方次第なんだろうが、読者の端くれとしては、やはりママは若く美しい方が心地よく、また感情移入もひとしおというものだろう。
まあ、余計なことなのかも知れないが、そんな静子を射止めた彼女の夫で、静一の父親たる人物は名前すらまだ明らかにされておらず、外見はしがないサラリー マン然としたお人好し風の男性。何故、こんな男性が、静子のような美人を妻に……などと考えてしまえば実にキリがない。人は見かけによらない、と言うのだ からきっと静子が惚れて二十歳前後の人生を彼に捧げたのだろう。

いずれ語られることになるのかも知れないが、現実として静子は夫ではなく、息子・静一に縋っている。それは既に執着ともいえるものであり、一般的に言う子供に愛情を持てないクラスタをネグレクトとするならば、静子はその正反対である。
言葉は悪いが、実際として彼女の静一に対する愛情表現は、狂気にもサイコパスとも捉えられる。コンプレックス。子離れ云々という範疇をゆうに超えているよ うに思えるのだが、それは彼女の生い立ちによるものか、彼女の両親がどう言う存在だったのかということに繋がるだろう。押見流はそう言った深い部分まで表 現してくれるだろうかと期待している。

吹石~“善玉”仲村佐和、能く長部静一に想いを寄せ、深淵から救う一条の光明となり得るか

そのビジュアルを一見し、すぐに惡の華・仲村佐和と思った読者も多いだろう。鷹岑も御多分に洩れず、その一人である。第7話時点で登場回数は2話、名字の 吹石だけで名前はまだ明かされていないというが、そのビジュアルや静一に対する所作・態度からして准ヒロイン(メインヒロインか)である事は紛れもない。
吹石(血の轍)確かに仲村佐和。押見氏もそれを即行読者が指摘することを判っていてこう言うキャラデザにしたというのならば意地が悪い。だが、彼女の登場回数2話時点では、仲村佐和のようなアクが強く、また闇を抱えている、と言ったような様相はない。
長部静一がクラスで気になる女子がいる。真っ当な思春期男子たる感情よろしく、気兼ねなく冗談を言い合えるという、いわば“異性の友人”
彼女の存在は、一般的なラブコメやこうしたダーク・プラトニックな物語でよく設定されるような、主人公が内気で人見知り、異性に声すら掛けられない。と言ったような設定ではないことを静一に与える意味でも重要だ。
そして、そんな吹石も静一が気になる存在。相思相愛と言えば相当語弊があるが、一般的なラブコメの過程を経てきた関係を、静一と吹石の相関関係に当てはめているというのが味噌と言える。

惡の華の春日高男の初期からすれば、想いを寄せていたのは佐伯奈々子で、静一から見た立ち位置的には吹石もそう言う位置にあるかも知れないのだが、当初は 春日高男を歯牙にも掛けていなかった佐伯奈々子とは違って、吹石は初めから静一に想いを寄せていると言う点で破格の存在感があると言えよう。

まあしかし、仮に「血の轍」のヒロイン・静子を佐伯奈々子に比定したと考えた場合、惡の華で悲劇のヒロインとして終わった奈々子の救済という大義をもってすれば、仲村佐和である吹石は完全なる敗北キャラとなる訳だが、それではあまりにも短絡的すぎて面白くない。
クラスメイトで頭が良く、少しだけ運動が不得意な静一に、普通に好意を寄せている普通の思春期女子が、長部家の闇に触れて穢れてゆき、闇堕ちのようになる と言うのも面白いが胸糞で単なる惡の華パート2となってしまいかねない。「惡の華のその先へ」と謳っている以上は、吹石には善玉仲村に徹し、闇に堕ちかけ の静一を救う菩薩になる、というのもある意味仲村佐和への手向けとなるかも知れない。

今後、吹石がどのように長部家に関わって行くかによるが、巷間囁かれているように、息子溺愛の静子に激しい敵愾心を燃やされ、危害を加えられるキャラとい うのも無味乾燥。しかし案外に静一を軸として“母親バーサス同級生”の対決。というのも単純で判りやすい。実は、意外とかような憶測や深読みを立てていて も、蓋を開けば単純明快だった。と言うのも有りと言えば有りなのである。
逆に、長部家の闇を垣間見たり、静一を通して触れてゆきながら、佐伯奈々子の立位置を逆転させて、善玉吹石が、悪玉吹石となりて闇堕ちする可能性だってある訳だ。
母子関係というものがロジックにある「血の轍」の世界の上で、准ヒロインという立場の“普通のクラスメイト”が、ただで済む訳がない、と言うのは間違いがないのである。

しげる~長部家の“闇”を揶揄した無邪気なる友、深淵に呑み込まれ崩壊の端緒を切る

長部静一の従兄弟として第2話から登場しているが、その言動から当初より不穏な空気を漂わせていたことは今更指摘するまででもない。
キャラクタの立位置としては、惡の華の春日高男の従兄弟であろうか。
しげる(血の轍)読 み進めていてわかるのだが、彼は決して悪意のあるキャラクタではない。かと言ってこれ見よがしな善人という訳でもない。成績や運動についての言及はなかっ たので静一と比較することは困難だが、特に静一に対して思いを致すということもない、ごく普通の少年といった感じだろう。
ただ、彼もまた母親(静一の父親の姉)に影響を受けた言動を取っている。親戚とはいえ、他の家庭にずけずけと介入しようとする母に似てはいるが、その言動 がどれほどの影響をもたらすのか、どう言う意図があってするのか、という部分までに考えが及んでいる様には思えない。しげるは中学生だからまだわかるのだ が、母親の方であろう。

この物語を読み進めていて少し思ったのは、果たして彼が静一の従兄弟でなかったとするならば。また静子と血が繋がっていたとするならば、と言う話である。
もしも静子と血の繋がった「甥」であったとするならば、また話の流れは変わっていたのかなと考えるのだが、いかがなものであっただろうか。
介入したがりは確かにウザい。しかし、それは決して悪意がある訳ではない、性格的なものである上に、親類縁者という身近ながらも特異な人間関係の上にあるが故に、長部家の奥深き秘宝庫に納められた、ある種のパンドラの匣を抉じ開けてしまったのかも知れない。
押見氏の筆致の秀逸さによって、慄然と表現されているが、静一に対する静子の“過保護”を指摘したしげるの母。しげるはその言葉とニュアンスを真似てその まま静一に対する揶揄のネタとして使ってしまう。内に秘められた静子の般若の形相を、一瞬なりに表面化させるに十分な契機となったことは間違いがない。

血縁関係は様々な面で力強いのか、それとも時として憎悪を倍増させる事にもなるのか。赤の他人ならば、はいそれまでよと縁を切れば済む話も、下手に血縁があるとそれが出来ない。押見氏はよもやそうした血縁の柵をこの作品で表現しようとしているのかも知れません。
結局、しげるが静一に深い意味も無くその生活空間だけではなく、個人の感情にまで介入しようとしたことから、長部家の闇の部分を心ならずも覘いてしまい、その闇に呑み込まてしまったとも言える。
そしてそれが濃密な母子愛がもたらす、背徳と悍ましき欲望をさらけ出して行く端緒となってゆくのだろう。

考えてみれば、しげるというキャラクタは、私たちが日常生活の中で考える、尤も普通の人間だったのかも知れません。

今後に期待

さて、そんな「血の轍」は惡の華の嫡流としてスタートした。“ハピネス”・“ぼくは麻理のなか”とは明らかに違う、押見流プラトニック・ハードボイルド・ヒューマンドラマと言っても過言ではない。
ファンタジーな要素はなく、世界中捜せば必ず居そうな世界設定。それが妙なリアリティを感じさせる。成程、惡の華も然りであった。
際疾い闇堕ちすれすれのスリル感が押見流の醍醐味とも言える。くどくどとは申すまい。先行きが楽しみな作品である。