岩手は二〇〇〇年代頃まで、漫画やアニメと言ったサブカルチャーの発信が遅れていたが、震災を契機として郷土出身の作家などの連名で岩手振興の漫画の展開 や、関連イベントなども企画されるなど、ようやく岩手にも中央に引けを取らない文化が根付こうとしているのは喜ばしい。

しかし、その一方で過激な表現規制 などの束縛も底流にあり、強制わいせつ事件に絡み、埼玉県警が漫画家に「配慮」を求めた事も大きな問題となっている。
漫画の表現規制は表現の自由を保証す る憲法に抵触する可能性があるなどと、賛成・反対両者から様々な物議を醸しているが、それはあくまで過激な描写が、架空の設定であることに対する是非であ る訳で、一朝一夕で結論が出る問題ではない。
しかし、架空の設定ではない表現が漫画の読み手側にとって大いに傷つく場合もある事を理解することも大事だ。
とある週刊漫画雑誌のある作品で、作中のコマの一部に先年、岩泉を襲った台風一〇号の進路に酷似した進路図が掲載された。
構成のひとつに台風の表現があっ たと思われるのだが、そこで何故、進路図を使用する必要があるのだろうか、という疑問がある。
何度解釈しても、わざわざ台風一〇号の進路図を使う意図が解 らない。セリフの吹き出し一つで済む場面である。
この作品を読んだ岩手県民や岩泉の住民が、あの恐ろしい天災を想起しないと思っているのだろうか。私には 全く理解出来ないし、それこそ配慮が必要だったのではあるまいか。
このように、今は漫画やアニメの影響力は昔の比ではなく大きい。故に表現規制の是非が甲 論乙駁の議論となって選挙の投票行動にも影響をもたらした。
そうした中で、表現の自由の名の下に、物語は架空だから良い、何をやっても許される。と言うの はやや違うような気がする。
むしろ、その表現で実際に傷ついた人がいる、今も苦しんでいる人たちがいると言う事を想定し、可能な限りその表現は用いないよ うにするというのは当然ではないだろうか。
共謀罪の成立を受けて、こうした表現の自由も大きく制限される危惧も囁かれている。
しかし、自由には責任も生じ る。敢えて批判の矛先に立ってまで過激な描写や禍根を残すような表現を用いることはない。
岩手が官民挙げてサブカルの発展に寄与し、若手のクリエイターが 岩手からも数多く輩出されるだろう近い将来、模範となる存在となることを期待している。


2017年6月29日