ドラゴンクエストⅪ~過ぎ去りし時を求めて~プレイエッセイ①

イシの村~神の岩

――――中国世界遺産、三江併流・梅里雪山を想起する風景――――

ドラゴンクエスト熱、復活へ~途絶えていたゲーム熱、NDS版DQ5から始まり、DQ11のためPS4導入へ

私がドラゴンクエストⅪ(以下、DQ)を知ったのはそんなに昔ではない。
と言うのも、ドラクエは自身の中ではⅧで終わっていたからである。当時の社長・和田洋一氏のDQⅤのデボラ追加などの改変に猛反発してから、DQから離れていた。私にとってはその後のDQⅨ、DQⅩは完全に別の世界の話であったのである。

DQⅪの制作はネット上の噂には聞いていたが当初は興味がなくスルーする予定であった。しかし、私生活も波瀾や精神的な不安定さも加味して色々ともまれているうちに、そうした過度な反発、原理主義的な考え方で果たして良いのか、と思うようになった。
そうした中で、今年NDS版のDQⅤをある機会を得てプレイすることが出来たのだが、それまで一切情報をシャットアウトしていたせいか、実に新鮮な気持ちでプレイすることが出来た。

◆デボラの良さを理解出来た~ドラクエ熱の静かなる復活

人というのは実に不思議なもので、あれほど食わず嫌い、毛嫌いしていた改変版DQⅤをいざプレイしてみるとハマるものだった。セーブ・データが三つあった ので、御多分に洩れずサラボナの場面で大本をセーブ。私の場合は自身のホームページでDQⅤの創作小説も手掛けている通りフローラ派なので、手始めはフ ローラを進めた。デボラ(DS版ドラゴンクエスト5)そしてエビルマウンテンの直前でセーブし、時系列を戻し今度はビアンカと結婚し、同じくエビルマウンテンまで進めた。
そして最後のデータとして新規追加のデボラを伴侶としたのである。
私はこう言う手法で、究極の選択として選ぶことが出来なかったサラボナの通過儀礼を、疑似ハーレム婚として青年期中後半を楽しんだのである。
その中でデボラというキャラだが、不思議なほどに違和感がない。自然にストーリーに入っているというのが不思議な心地なのである。多分、それまでの私だっ たらキャラクタを見るだけでも嫌だっただろう。自身も丸くなったのか、諦念に達したとでも言うのか、好好爺然と気取っているのかは判らない。
しかし、デボラというDQⅤとしての新キャラを本編中で掘り下げていく内に、私自身も何かを得た。と言うのは間違いがない。DQⅤの中ではフローラ派を気 取りながらも、自身としてはビアンカも好きだし、デボラも驚くほどあっさりと受け容れることが出来た。原理主義的な考え方からの脱却から見えたDQという 世界の持つ根本的な素晴らしさの再発見、と言っても決して過言ではないだろう。
私の冷めていたDQ熱は、こうして静かな再燃を始めたのである。

◆DQⅪのためにPS4購入決定~前夜祭はドラゴンクエストヒーローズ

DQⅪは、職場の上司とのフリートークから感化された。今年の7月に発売されるのだという。いつ出るのか、という話以前に知らなかったので半ば受け流そう と思っていた。正直、DQⅨやDQⅩのような、オンライン系は苦手というか、DQらしくないと考えていた。女優で大のドラクエ好きとして知られた、故・淡 路恵子女史も同様のことを曰っていた記憶がある。
しかし、DQⅪはオフラインであるという話。DQⅧ以来の本格的な引き籠もり世界観に嵌まれる作品だと聞かされ、胸が躍ったのは間違いがない。PS4本体
PS4か、DS版か。という選択だったが、私は携帯型ゲーム機は少し苦手なので、迷うことなく据置型のPS4版を目指した。決して安くはないPS4本体を 買うこと自体、そもそもゲームから遠退いていた自身にとっては沙汰の限りだったのだが、6月中旬、ついに決断した。7月末日にDQⅪの発売を控えて、これ 以上遅疑逡巡する暇はなかったのである。

しかし、本体が届いて約半月は手持ち無沙汰である。これでは折角のPS4の性能も満喫出来ない。と考えた私はPS4デビューの処女作品をどれにしようかと考えた。候補はテイルズオブベルセリア、イースⅧ、そしてドラゴンクエストヒーローズ1(廉価版)である。
2日ほど考えて決断したのは、ドラゴンクエストヒーローズだった。DQⅪへの前夜祭という意味も自身の中で込めて選択した。プレイアトモスフィアの構築としては最高の選択だったと、私自身は思っている。
ヒーローズも賛否両論があったと言う。ノーボイスだったシリーズ作品とは全く違うキャラにCVが付いたことでイメージが違うというファンの声が四方から聞こえたとされる。
しかし、これも私としては全くそんなこともなく、普通に受け容れることが出来た。公式のイメージはこう言うことなのかと、逆に参考になったほどである。
丁度、DQⅪ発売の前日に合わせて、ヒーローズはクリアすることが出来た。アクトのセリフではないが、「カンペキな作戦」だったわけである。

DQⅪ、その景色の美麗さに驚愕~モブの町娘が可愛い(笑)

モブの村娘(DQ11)そして、今日待望のDQⅪが届いた。
DQファンの諸卿はどうかは知らないが、私はゆっくりまったり、じっくりとプレイして行きたいと思っているので(このエッセイ執筆もあるゆえ)、ネタバレの危険性が高い一切のSNSはシャットアウトし、世界に嵌まる予定である。

プロローグの主人公生誕と受難の場面。このシーンを見た私はあるドラマの一場面を想起した。1994年のNHK大河ドラマ「花の乱」である。どの場面かと いうと、それこそ第一話で主人公・日野富子(三田佳子)は、母・日野苗子(平淑恵)が、酒呑童子(九代・松本幸四郎)に強姦された胤だとして、夫である日 野重政(佐々木勝彦)の命令で密かに殺害される危機に直面するのであるが、従者がその赤児を小舟に乗せ、川に流す。小舟は川を下り、一休宗純(奥田瑛二)に拾われ、椿の里に匿われてゆ く……と言ったストーリーである。
思わず、このプロローグで城が炎上し主人公が抱きかかえられ、逃走する場面を見ながら、筒井右門(草薙幸二郎)のセリフ「鬼の子は、浄土に還るしかあるまい」と口調も真似て呟いてしまった。主人公はどうも「鬼の子」なのかも知れない。

そして神の岩への場面。その秀麗な背景は、私がDQⅧで感じていた広大さを遙かに凌駕し、画面の奥に連なる遠巒に魅入った。ある山の稜線を見てまた私が思ったのは、中国雲南に聳える世界遺産・三江併流地域にある名峰・梅里雪山だった。
私は西遊記やロックバンド・ゴダイゴの影響もあって中国西域やチベット、ヒマラヤ山系の情緒や地域が好きなので、こう言う稜線の風景が殊の外好きである。梅里雪山

DQⅪのイグニッション、始まりの里・イシの村の名前。そして神の岩という風景。バックグラウンドビュー。同じ中国の世界遺産、武陵源・張家界の奇岩地帯 も彷彿とさせる圧巻の風景に、DQ好きに中国の風景好きの私からすればとてつもなくたまらない。これから進めて行く世界の風景も楽しみである。まあ、始ま りの村は梅里雪山系と張家界のコラボレーションだったが、世界観からして欧州のアトモスフィアも加えてくるのであろうか。

話は遅れたが、更にキャラクタ。主人公の幼馴染みであるエマも可愛いのは当たり前だが、それよりも私はモブキャラである町娘がタイプである(笑)
DQⅧの時もそうだったが、ストーリーに関わる重要キャラよりも、モブキャラの方が良い意味で力が入っていなくて自然体でより親近感が沸く。モブキャラも 可愛くなければいけない時代か。グラフィックが精緻になればなるほど、おめかし整形もきちんとしなければならないという訳である。

それでは、また次回。