五等分の花嫁・人物考察Ⅰ
上杉 風太郎
上杉 風太郎
狷介孤高で赤貧廉潔の秀才、炯眼以て五連星の潜在大器を見出し、中野家の後宮にて宵旰を喞つ

五姉妹美少女の家庭教師を受持つも、赤貧洗うが如き朴念仁、恟然とその責務邁進を誓い

  個々の信頼と無欲の憧憬恋慕を得て、ただ五羽の雛を蒼穹を翔る鳳凰へ成さんとす

蛍雪とは語弊がある恋愛に縁なき秀才少年、愛する妹に推されて虎穴へと身を投ず

ラブコメの主人公というのは概ね、その出自設定が『彼女いない歴=年齢』などと言ったあざといものが多い。要するに『非リア充』という部分を強調したいのだろうが、そもそもラブコメの漫画の主人公が非リア充設定というのはあり得ない話。リア充だからこそ、ラブコメの主人公たり得るのである。現実論として、モテない奴というのは一生モテない。モテ期などと言うものがあるというのも都市伝説に過ぎない。
冒頭いきなり話は逸れたが、何が言いたいかというとこの『五等分の花嫁』における主人公・上杉風太郎は、そう言うモテるモテない、彼女がいるいない、彼女が欲しい要らない、などといった下卑たる範疇からは一線を画した高みにあって、実に飄然とした雰囲気を醸し出すリンゴヘアーとして鈍い光を放つキャラクタとして登場した。
『焼肉定食の焼肉抜き』で味噌汁と新香が付くという学食の裏技を堂々たるモノローグで存在感を示す。自宅は8畳一間の荒屋、夕食の卵料理は豪華食材、父は若いが豪放磊落だけが取り柄。家事全般を切り盛りする妹・らいはに支えられ、日々を過ごす。中華東晋の車胤・孫康ほどではないが、やることがないのか、まさに国家を背負う官僚を目指す為か、成績だけは優秀だが、肝心の色恋どころかお洒落身だしなみには大いに事欠くと言った具合の赤貧ぶりに度肝を抜かれる。

それでも、運命的な出逢いと言われそうな中野五月に対してもけんもほろろに遇うマイペース。「貧すれば鈍する」という言葉もあるが、それを上杉風太郎に宛がうとしたならば恋愛的要素だろう。

美少女に時めかない泰然恐懼の言動

風太郎が何故、並みいるラブコメ主人公とは違ってそれ程悪印象がないのか。答えは実に簡単で、中野五月との食堂での邂逅から、二乃からの痛罵に至る五姉妹との出逢い全てにおいて、ありがちなときめきや懸想と言った疚しいものが一切見られなかったからである。
フータロー、駆けるそう言う部分が作者・春場氏の初期設定なのかも知れないのだが、五人の美少女に十把一絡げならぬ五把一絡げに五月雨打ちされて、なお見惚れもしないというのが実にたいしたものであると私は思った。逆に泰然とした表情や仕草を装いながら、上杉家の経済を背負う家長として、失職してはならじと恐懼にかき立てられるように五姉妹に翻弄される姿の中に、惚れた腫れたなぞは野良に喰わせてしまえ、みたく一蹴してしまっていそうだ。

実は全く動じない風太郎の各ヒロイン達とのファーストコンタクトこそが、この「五等分の花嫁」をラブコメとしてみた場合特に異質で、ストーリー性に比重を置いた今の世に珍しい正統派育成型サクセスストーリーとしているのだ。
つまり、風太郎にこの五姉妹との恋愛モードが解放されていない事で、作品全体が蓋然的に非エロを指向したストーリーになっているとみて過言ではないのである。春場氏の筆致からすれば、ベタベタとしたエロいちゃラブの場面を早く描けという要望もありそうだが、どうもこの主人公・フータローはそう言う色事など似合わない。この作品は他と比較しても珍しく、主人公の廉潔さが支持される作品となっているのだ。

まあ、らいはが伝えてきた家庭教師の仕事というのが破格の収入の仕事と言う事もあって、ままならぬ衣食住を世間並にという目下赤貧の志こそ風太郎の原点であると矜恃を持つのも良いが、一人、二人ではない、五つ子という特異な美少女たちが降臨し、感情交錯、謎の陰キャラが突然竜巻のように割り込んできたかと思えばいきなり風太郎特製の実力テストという大鉈を振り上げる。
今後上杉の家は生きるか滅亡するかの瀬戸際に立たされている時に、暢気に品隲をしている暇なぞないとばかりの大風。春場氏の展開するコマ割りからは、風太郎の疾駆恟恟たる様子を嗤笑して眺める二乃など勝ち誇ったかのような様子に写っているのだが、風太郎は食らいつく。五姉妹を熨斗紙に包み込んでまとめて卒業証書台に置く。それで、中野家の依頼を完遂させ、自身やらいはたち家族も、寒風に晒されながら年の瀬を迎えることもなくなるかも知れないのだ。やるっきゃないとなんですね。

さり気なき気遣いと、欲なき優しき言葉に絆されて行く五姉妹

風太郎が五姉妹に接近、というかこの家庭教師を引き受けたのは実に拠ん所なき事情であって、彼にとっては登校時よりも過酷な放課後生活を送ることになった訳だが、それに見合う報酬額もやんごとなき色が付くほどだったのだが、給料袋を届けに来た五月に対し、風太郎はそれを一度拒否する。「中野家に二度行ったが、何もしていないからだ」清廉潔白の士
ここに上杉風太郎の廉潔ぶりが読み取れる。そこには美人姉妹に囲まれて好意・嫌悪様々な感情に包まれていたとしても決して惑わされず、家庭教師として彼女たちの意欲向上と成績アップに拘る姿である。五月も一度報酬を拒否したその風太郎の姿に一目置いたのではないだろうか。

また風太郎は家庭教師としての信頼の維持に恟然と対しているように見えるのだが、その実はきちんとこの五姉妹個々に正対しようとしている努力に事欠いていない。そう言う部分が非常に好感が持てる。それも風太郎が微動だに疚しい感情を生じさせないゆえに保つことが出来る好感度であろう。
三玖を通して五姉妹の潜在的可能性を見出し、けんもほろろな態度に翻弄されつつも二乃の内心を見抜き、常に五姉妹ワンセットにまとめようと試行錯誤する風太郎の血汗絶ゆる事のない奔走ぶりにはまさにラブコメを超えた五姉妹育成型のサクセスストーリーの主人公かくやとばかり。その最大のメリットは、こう言う作品の男主人公が大きく物語に幅を利かせると言う事ではなく、きちんとヒロイン達の引き立て役に徹していると言うことではないだろうか。
三玖に対しての「100点を取れると信じている」という信じる心や、二乃に対して「(袖を)摑んでいろ。五人で花火を見るんだろう」という男らしさ、一花を探していたゲイの男性演劇家に向かって関係を問われ、毅然と「こいつらのパートナー」と断言し、一花の笑いに「その作り笑いをやめろ」と看破する。
風太郎の突き放しながらも、きちんと五姉妹を見つめているその言動は、無欲に裏打ちされた忠実なる職務励行の姿が未曾有の説得力を与えているのである。

恋愛未満の信頼醸成と、不結実の終極の推奨

上杉風太郎はマガジンのラブコメ(五等分の花嫁がラブコメジャンルに位置付けられるとして)の中ではその様に極めて清廉のキャラクタになる。それが一部読者が期待していると言われているエロさになっていないと言うことで不満もあるようだが、春場氏の筆致でそうした無駄なサービスシーンは似合わないと考えられる。風太郎のキャラクタはむしろ春場氏に最も相応しいものではないかと確信できるのである。父に重なる・・・
女心がわからない、お洒落音痴、女の子が髪型を変えても褒めそやしもできないという朴念仁だが、それは何度も言うようにこのような美少女五人に囲まれた日々を持って過ごしていても、決して彼女らに疚しい感情を持たず、常に廉潔を保ち、中野家という彼からすれば宮中後宮に匹敵する仕事場において、酒色に溺れず宵衣旰食に勤める君主のような存在といって過言ではない。
元々、落第危機という状態で転校をしてきた五姉妹たちだが、果たして転校動機が言葉通り落第危機というだけなのか、という見方も出来よう。家庭教師として赤貧からの脱却を目指す風太郎に対しても心を閉ざすどころか一定の距離を開けようとするなど、男性不信もそこはかとなく匂わせるなど正に一筋縄ではいく連中ではない。
そんな彼女らに対して、風太郎のような廉潔の士は安心できる存在であることは確かなようである。
トラブルらしいトラブル、所謂ラッキースケベと言えるのは今のところ唯一、二乃を落下物から守って押し倒す形になった第5話くらいなもので、それでも風太郎はなお不変の存在である。

花嫁風太郎と五姉妹は友人であり師弟の関係ではあるが、いずれとも恋人と呼ぶには余りにも時期尚早。しかし、その塩梅が非常に心地よく丁度良い。第1話冒頭で風太郎と、五姉妹の誰からしきキャラクタとの結婚式の場面が描かれていたが、ここは敢えてその花嫁が誰であるかと言う事を明らかにせず、読者の想像に任せるというのもひとつの手法ではないだろうか。
斯様な風太郎の性格・性質以上、恋人となって結婚するというプロセスは非常に長い道のりを予想するので、単純に五月か三玖かという判断だけでは余りにも安直である。五姉妹それぞれに個性があり、魅力的な存在なので、最終回は五姉妹に追われながら彼女たちのアタックから逃げる風太郎の構図を描き、第1話の最後の「俺はあの瞬間を、大人になってからも夢に見る……」というフレーズでフェイドアウトすれば良いのではないかと愚考。これを「不結実の終極」と私は定義しているのだが、無理に誰かと結びつける必要は全く無い。ましてや、風太郎のようなキャラならば尚更である。
五等分の花嫁というタイトルだが、風太郎を主軸とした五姉妹育成型サクセスストーリー。風太郎は恋愛的な意味ではなく、現行の通りにそう言った五姉妹との友好信頼関係の醸成とステータス向上を目指した、【卒業~Graduation~】であれば良い。
そして、読み方や感情移入の仕方は人それぞれだが、三玖がいいとか、四葉可愛い、一花の株爆上げ……等といった外野的声援などよりも、上杉風太郎となってこの問題児をどう捌いて行くか考えてみた方が、より面白いのではないだろうか。