五等分の花嫁 人物考察Ⅵ

中野五月

中野 五月

難攻不落なる五連星(小プレアデス)主星。精励恪勤、謹厳実直ながらも無類の硬骨の女士
  『逆』藤崎詩織系の嫡流を標榜し、内攻と自責の爆弾を裡に秘め、廉潔の士を周章狼狽せしめる

中野五連星の主星〝ε星〟風太郎との邂逅に交わした心ならずの言葉が険阻なる峭壁となる


◆恋愛系作品伝説の難攻不落ヒロインの太祖・藤崎詩織の『逆』バージョン。
   物語のメインヒロインにして尤も遐く輝く存在と成す

五月の考察記事を書くに当たって、中野家の五つ子は何て言うかなと少しだけ考えを巡らせてみたのだが、単に「五つ子」や、数字だけで呼ぶのも余りにも味気ない。ゆえに、私は彼女らを夜空にひときわ目立ち輝く連星をイメージしたのだが、今になってようやくわかった。彼女らは日本では古来より六連星(むつらぼし)と呼ばれ親しまれてきたとされる、牡牛座のプレアデス星団。その名の由来、ギリシャ神話に於けるプレアデス七姉妹よりも少ないので、「小プレアデスの五連星(いつらぼし)」と呼ぶことにしよう。既に、他の姉妹の考察記事では、一花をα星に比喩していることから、この記事を読んでいる物好きな人ならば、気づいている人もいるだろう。太るぞ・・・!
春場氏の初期設定では「五希」とされてきたが、読切版では五月となって、メインヒロイン然として上杉風太郎との邂逅を果している。ここまで見れば、ああ五等分の花嫁もまた、筆致頼りの陳腐なラブコメディなのかと思ってしまいかねなかった。
しかし、主人公・上杉風太郎の満点の解答用紙を見て、勉強を教えて欲しいと、まあ本気なのか揶揄い半分なのか判らないような口調で頼み、けんもほろろに断られた挙げ句、注文した昼食用トレイの様々な品数を見て「太るぞ」という暴言まで吐いて去ってしまう。

中野五月はこの作品の、現在のところは実質的なメインヒロインとしての立位置に在り、主人公との関係も険悪であるとされているが、発言を謝罪し、師事するよう説諭しても五月は頑としてそれを拒絶し尽くす。「太るぞ」発言だけで、他の姉妹達が風太郎に心を開き、また一部では恋心すら抱いて言っている中で、五月の頑迷ぶりはメインヒロインとしても特異な分類になる。
90年代の伝説的ゲームでもある「ときめきメモリアル」で、喩えるなら大楠公の赤坂千早城、能登七尾城、美濃稲葉山城、九戸政実の九戸城に匹敵する難攻不落のヒロインとしてその名を恋愛系ゲーム史に太祖として存在する「藤崎詩織」を彷彿とさせる。藤崎詩織は才色兼備で主人公の幼なじみという立位置ながら、その攻略はまさに鬼神もバテるとばかりの難関とされてきた。五月は「才」という部分では違うが、メインヒロインとしての存在感や、風太郎との確執、互いを意識しているという部分で、十分に藤崎系のヒロインとして存在していると言って過言ではないのである。

◆廉潔と謹厳。同極相反し素直になれぬ互いの忸怩たる日々

オヤジギャグではないが、二人が邂逅し開口一番の小さな諍いから、五月と風太郎は互いに反発し合う。似た者同士は反発する、とは良く言うが、別の見方をしてみれば、風太郎が五姉妹の間に入ってきたことによって、幼い少女から多感な高校生への過渡期の中で、価値観の違いのようなものが生じ、少しだけ距離が開いてきていると感じていたのは一花の他には彼女だろう。
五連星の主星として一番真面目で筋道を通そうとする性格は、天性の資質として物事の本質を捉える目を開く可能性すらある。そういうところがメインヒロインとしての立位置として、三玖や一花などの株価が爆上げなどとされている昨今で、不変的なメインヒロインとしての役目なのである。変化を一番感じている五月
それが、彼女が手ずから風太郎に家庭教師の初任給を届けた際に、「あなたは確実に、五人の何かを変えつつある」と語ったのが、実に印象深い。例えば、このセリフをずっと後になって一花や三玖が言ったとしても、どうもすっと読み手側に入ってこない。出会い頭にいがみ合った映し鏡の性格である五月であるからこそ、説得力が生じる。春場氏の神髄の発揮と捉えて良いほどである。
そして、私は五月をときメモの藤崎詩織系の嫡流と位置付けたが、実際の藤崎詩織は、プレイしたことのある御仁ならば判ると思うのだが、少しでもヘマをすると、主人公に対して厳酷苛烈なセリフを吐き、また多攻略性ヒロインたちの好感度を爆下げする「爆弾」と呼ばれるシステムがあり、彼女はまるで自爆テロの様に放っておくと爆弾を連鎖的に発破させる非常に厄介な存在でもある。話は逸れるが、そんな時代に比較すれば、昨今の恋愛系ゲームというのは非常にぬるい。資本主義で金儲けに走る事で、そう言ったキャラクタ同士の掛け合いというのが非常に希薄になってしまった。
閑話休題。
中野五月はそんな藤崎詩織系のヒロインではあるが、内攻的であまり他人のせいにすると言うような性格ではなく、いがみ合いながらも、風太郎が歩み寄ると意外と素直になると言う部分が、太祖藤崎詩織のある意味暴虐無道さとは一線を画す。
赤貧廉潔の士としての上杉風太郎。上流階級に位置しながらも、そのことをあまり鼻にかけず、真面目で根は素直という謹厳実直さの二人。
現状では主人公と、メインヒロインとして第1話の「花嫁」は誰であるかという議論の最大公約数とも言える五月だが、仮にその王道的ストーリーで進み、五月と結ばれる終わり方をしたとしても、「五等分の花嫁」を真剣に応援してきた人々にとってみれば納得できるというものであろう。それくらい、作品そのものの本質としての相関関係は、硬いのである。

◆風太郎の余計なひと言、解っているけど素直になれなくて

素直になれなくて

上杉風太郎も恋愛や色気に興味が稀薄で、四葉に「オシャレ下級者」などと烙印を押される始末。簡単に言えばデリカシーがないと言うことになるのだが、風太郎の指摘は理に適っている。馬鹿を天才、限界の能力を、あと少し努力をすれば~等という〝気休め〟を彼は言わない。
だからこそ、同じクラスとして五月が無遅刻無欠席、予習を欠かさず忘れ物もない一番真面目な子であることを、風太郎は〝見ている〟どんなに邪険にされても、何だかんだ言って気になる存在であることに変わりが無い風太郎に、自分の良さを知って貰うことに対し嫌な気を起こすことはないだろう。「ただ、馬鹿なだけ」という言葉も風太郎は貶したり、無駄なことをしているという悪い意味で言ったことでは決して無い事は、当の五月が一番解っていたはずである。
わかり合っているからこそ素直になれない、認めたくない。良くある人間の真理と言えば、それこそリアリティがあると言えるのだろうか。
そして、啀み合いながらも五月が心底の奥で風太郎へ縁を求めたいという気持ちを隠そうとしている根本は、やはり何度も言うように、風太郎自身に五姉妹に対する疚しい心が、一切無いからである。彼女の言動を一つ一つ考察してゆけばわかるが、悍ましき性欲の塊という見方での男・風太郎というふうに見た事は一度も無いのである。それぞれ一個の人間として捉え、また美少女だからという色眼鏡越しで五姉妹を見ていないという事は、多分五月が一番解っているはずだ。彼女を懐柔し、風太郎の力になることが出来れば千人力なことは間違いが無い。ただ、持ち前の意地っ張りや風太郎との度重なる衝突はこの作品の華のようなものであるので、続けていって欲しい気はする。

◆風太郎の「花嫁」として結ばれるにはどうしたら良いか

一人泣く、報われぬ努力

紛れもなく、中野五月は「五等分の花嫁」のメインヒロインである。一花を読切掲載当初から推してきた私をしても、それは率直に認めざるを得ない事実である。何と言っても風太郎との恋愛関係に至る伸び代が、際限なく広いのが強みである。人気度の高い三玖や、ようやく我が推しの一花の良さを理解してくれた読者諸兄の力で人気投票などでは上位になった二人。しかし、物語の基幹部分そのものとして私情を捨ててこの話を捉えてみれば、五月が花嫁という確率はほぼ7,8割方と言って過言ではないだろう。私は一花か三玖であって欲しいとは思うが、それはあくまで個人的願望に過ぎない。
まあ、第1話の花嫁が「五月」であった場合、どう言う過程を経て――――という話の検証も実に詮なきこと。王道の卒業後に結婚しようというところまで発展したり、一度別れて再会し、そこから再び恋を燃え上げるなど、五月の場合は予想すれば枚挙に遑が無い。
そこで、私は敢えて誰かを選ぶという事ではなく、「不結実の終極」という造語を以てラブコメを語っているのだが、誰とも結ばれない終わり方が、一番ベストなのではないかという話である。
第1話の「花嫁」は五月だとして、扉を開けば、同じくウェディングドレスを纏った4人が風太郎を待っている。婚姻届を出していなくても、結婚式は挙げられるという奇策を用いればの話だ。

「喜怒哀楽も常に五等分だった」と、風太郎の東奔西走で今年も五人揃った花火大会で、彼女たちは再び誓った。その言葉が風太郎の弛まない東奔西走で改めて風太郎との関係も五等分、という事になれば、溜飲が下がる。

ここまで中野五連星の人物考察を述べてきたが、まだまだ語り尽くせない部分も多い。今後の感想・考察記事に機会があればつらつらと書き残していきたいと考えている。ご清覧、誠にかたじけない。