平等から公平へ~関係性を一歩昇華させた林間学校篇

五等分の花嫁 第4巻

▼五等分の花嫁 第4巻
評価★★★★★

春場氏が描く育成型ラブコメディの第4巻。本誌に於ける2018年第10号から第18号に掲載された第24話~第32話を収録。
異色の全編「林間学校」篇であり、連載第1回の結婚式に連繋する構成へとなっており、相関関係も若干変化する重要な内容となっている。
普段は沈勇で冷酷無比に教鞭を揮う赤貧廉潔の士・上杉風太郎が、珍しくトラベラーズハイになっていることに警戒、また良からぬ妄想を脳裏に過ぎらせる二乃を筆頭とする姉妹達。
林間学校最終日のキャンプ・ファイアーでダンスを踊った男女は必ず結ばれるという都市伝説を廻って、姉妹間の駆け引きも激しくなって行く。
そんな中、二乃は風太郎の生徒手帳で見て一目惚れをした金髪の陳ねた少年と遭遇してしまう。更に、トラブルは続き、三玖と一花の想いの行く先は……という話。

今巻は冬期に行われる林間学校が舞台と言う事で五連星の知的成長は殆ど無く、純粋なラブコメディ色が強くなっている。特に、最初に風太郎に想いを寄せている三玖が、一花の想いに気づき、懊悩し正面から向き合うことになる事。一花もまた抑えきれなくなってきた想いに苦しみながらも三玖の言葉に勇気づけられる場面が今巻の最大の注目点と言える。
それも第1巻から指摘しているように、主人公・上杉風太郎が廉潔の士であり、また立位置を微動だにせずにいることが、この作品人気最大の原動力であるという事だろう。今巻最後の第32話は、時系列を第1話に戻しているが、風太郎の伴侶が誰であるのか、まだはっきりとしない。春場氏の技術力の高さを窺い知ることが出来る。星評価は勿論、5。

『不結実の終極』を指向せよ! 五連星総てを包括する究極の手法。「苺形式」はラブコメ争議の元となる

第4巻を仮に最終刊だったとするならば、実に秀逸なラストであった。それ程、第32話は早出の最終回的章であったと言えるだろう。
複数系ヒロインの恋愛ものは大概は第1話で最終的に結ばれる相手が決まっていて、途中の流れをどう波瀾やコミカルな流れで盛り上げられるのか、ということに掛かっている。そう言う意味では、五等分の花嫁は五つ子という設定で、しかも五人とも個性が傑出し、いずれかが埋没すると言う事もなく文字通り百花繚乱の如く低迷な週刊少年マガジンの恋愛枠を支えていると言えるだろう。
マガジン系ラブコメの大御所・瀬尾公治氏が一時的とは言え退陣し、流石氏や永椎氏、新人・三浦氏らが支えていると言われているが、いずれも最終帰結は予測が付きやすいものとなっている。
作風が若干違うために、単純比較するのもおかしいのではあるが、やはり筆致・構成ともに現状、五等分の花嫁がシェアする部分は相当なものではないだろうか。恋の警報発報

五等分の花嫁と基幹構成的に重なるのは、週刊少年ジャンプの複数系ヒロインの大ヒット作とされる河下水希氏の「いちご100%」がある。しかし、このいちご100%は、本命のメインヒロイン「東城綾」ではないヒロインに主人公をランディングさせて大いにラブコメ争議を起こした過去を持つ。結局、誰とも結ばれることなく、全ヒロインから「追いかけられる」非ハーレムの最終回(これを私的に『不結実の終極』と言っている)であった方が良かったのではないかと、私は思った。個性的な性格を持ち、その全ヒロインが主人公に好意を寄せる。
こういう形式の場合、読者が主人公を見る目は相当に厳しい。一挙手一投足が批判の対象となる事は過去のラブコメ作品を見るに語るに尽きないものがある。それに比較すれば、本作の主人公・上杉風太郎は人物考察でも表現したように、廉潔の士であり、五連星を卒業させるという至上命題を背負い宵衣旰食に勤しむ、冷徹だが優しくヒロイン達の本質を見極めた完全な少年。それよりも第4巻にいたってなお、風太郎は五連星の中心にあって1ミリたりともぶれていないのである。素晴らしいことであろう。

一花推しの鷹岑も求める不結実

私は読切り当時から第一義として一花を推し続けているが、本連載に至って長女姉貴肌の彼女が、風太郎から女優への夢を批判されながらも認めてもらい、また「ちゃんと長女しているな」としっかりと彼女の本質を見つめてくれていることを感じるようになってから、肩肘を張らない風太郎に恋心を寄せる一人の五連星の一星へと落ち着いてきたような気がする。
しかし、だからといって初期の感情のまま花嫁が一花であって然る可きというのはあまりにも短絡というものであると言うことに、読み進めて行けば気がつく。この作品は鷹岑が初期の考察で例を挙げたように、あくまでも『育成型ラブコメディ』である。能力値の低い五人の生徒キャラクタを悪戦苦闘・七転八倒しながら、亀のようでも能力値を上げて行き、全員無事卒業させることがコンセプトであり、至上命題なのである。
三玖の想いを知りながら横恋慕に苦しむ一花、キャンプ・ファイアのダンスを止めるかと呟いた際の一花の涙にグッと来る読者も多々あろうが、風太郎の基本軸は全くぶれておらず正当正論なものである。
一花も判っているからこそ、風太郎に心惹かれて止まないのだろう。
風太郎への「好き」という想いをはっきりと口にしたのは、やはりあの娘なのだが、彼女の心の変化も風太郎のぶれない立位置があるからこそだろう。共産平和主義の「平等」から民主共和主義の「公平」へ。風太郎の立位置は変わることなく、五連星がそのすべてを時には冷たく遇いながらもしっかりと受け止めてくれる風太郎にアプローチを掛けて行く。それが、この作品最大の魅力なのだ。

いちご形式は遠心力が働く

「いちご100%」の終結は賛否もさることながら、恋愛系作品の大争議へと発展した。他誌とはいえ、広義のラブコメという見方として週刊少年ジャンプ屈指の大ラブコメディの背中を窺うことも可能な「五等分の花嫁」だが、今もまた言ったように、第1話の結婚相手が誰であるか。という事は決めなくても良いと私は考えている。夢オチ、という陳腐な結末は論外だが、役所に臙脂紙を提出するような結婚じゃなくても良い。フィクションなのだから、そこは自由気ままに行って良いだろう。ただ、五連星の誰か、と言うことまで最終回やその間近になって言及する必要性はないと私は思う。必ず、失速する。風太郎は、五連星との関係ではあくまで廉潔の士でありつづけるべきであり、緩急ともに誰かに軸を向けることは、はっきり言って鬼門であろう。
誰とも結ばれない(誰とも結婚しないのではなく、特定の人物を明かす必要性はない)、五連星の想いを受け止め続けて行く結末であって良いと、私は思っている。それくらい、五連星はそれぞれに個性が際立ち、埋没していないのである。素晴らしい作品だろう。