▼お嬢様の僕 第1巻
田口 ホシノ氏 / 評価★★★★★
WEB漫画サイト『マガジンポケット』の新進気鋭の連載連名の中で、構成技術、筆致共に先行している集団の中のひとつとも言える、田口ホシノ氏の作品。
単行本用の編集で第1話から第9話を収録。
両親が執事・メイドという血筋、自らもハウスキーピング(家事全般)のスペシャリストとしての抜群のスキルを得ている、主人公・近衛養太郎が、深窓の令嬢で超美少女である西園寺翼の世話をするというコンセプト。
メインヒロイン・西園寺翼は下着の着脱は出来るが、制服の着脱は出来ないという実にシュールな設定下で、養太郎はめくるめく色香や裸の誘惑に耐えながら、ハウスキーピング、翼の世話という重責を担うという内容。
宮原るり氏の「僕らはみんな河合荘」のアトモスフィアが色濃く出ているという評判もあるが、比較すれば当該のハーレム感が比較的強いのでより良く読めば完全に違いがわかる内容となっている。
ラブコメディと位置付けるのは第1巻そのものでは時期尚早だが、往年の伝説的育成型シミュレーションゲーム・プリンセスメーカーの装いが感じられる。
ただ、中盤以降、主人公・養太郎を中心としたハーレム漫画として、勝ち・負けのヒロイン争論が起こりそうな雰囲気だが、肝心の主人公・養太郎が恋愛的感情から引いているので、そう言う主人公の立位置も人気の一つのような気がするが、ラブコメとしての基本原則として見た場合は、西園寺翼が先行している。
筆致は非常に秀麗、キャラクタ設定も陳腐さの中に斬新さがまぶされていて読んでいて惹き込まれる魅力を持つ。サービスカットも比率は高いが、主人公の設定上過激さはない。
ショーツは着脱できるが、スカートの着脱が出来ないというシュールな設定のメインヒロイン、その筆致に惹かれる
宮原るり氏の名作『僕らはみんな河井荘』をどこか彷彿とさせる筆致、その上でサービスカットも多いというマガジンポケットの連名陣の中で特に異彩を放っているのがこの作品であると、個人的には思っている。
しかし、これを単純にラブコメと位置付けるのは時期尚早で、主人公の近衛養太郎は、第1巻カバー表紙を飾るメインヒロイン・西園寺翼に対して、恋愛感情というものは今のところは持っていないように映る。ラブコメの設定で必敗の素因である「今までモテたことがない」という設定を宛がう事無く、両親も家政学に精通した執事・メイドで、養太郎もその血を濃く受け継ぎ、ハウスキーピングに天性の資質を見るという設定の上に立って翼や九条みのり、杉野夏帆と言ったヒロイン勢に囲まれて羨ましいほどの懊悩と禁欲的な生活を強いられる様を、ソフトギャグタッチを交えて描かれている。
『まがつき』という作品をシリウスに掲載していた田口氏だが、筆致のみを比較すれば格段に向上しているのが判る。設定や構成も自分好みなのでついつい単行本を繰り返して読んでしまいたくなる程だ。
お嬢様と執事、或いはご主人様とメイドというコンセプトはオーソドックスで使い古された設定ではあるのだが、故に読み手としても入りやすく、この作品は単に美少女の世話をし、その裸を拝む、というだけのものではなく、きちんと主人公の困惑・懊悩ぶりが表現されていて面白い。
メインヒロイン・西園寺翼との関係は濃密に近いものがあるのだが、ラブコメという視点からすれば、第二ヒロインである九条みのりがそこに該当するのが良く思える。
「負けヒロイン」という言葉が近年、ラブコメの要素としてあり、目からウロコという感じだが、九条みのりはこの負けヒロインという位置にあるのだろう。しかし、第1巻を見ている限りでは、養太郎と翼にそう言う感情を認めることはないので、つんのめって負けヒロインとしてしまうのも肯んじがたいものがある。
要は田口ホシノ氏のその相関図の設定が非常に巧みだという事だ。普通ならば養太郎と翼が相思相愛であり、あとはいくら美少女キャラを出しても結局は負けヒロインだろうという事で興醒めしてしまうパターンなのだが、これは違う。養太郎と翼は恋愛関係に発展しない可能性すらある、というのが最も惹き付ける要素なのである。
ショーツは自分で着脱できるよ(何故スカートは履けないのでしょうか)、ブラジャーのフロントホックを前から開けるという大胆さを指摘されるなど、読み手側としても知らなかったことがつぶさにあり、良い知識として捉えることも出来た。陳腐な設定だからこそ、斬新なオリジナリティを入れることが出来る。その強みは決して小さなものではないと言うことを、この作品は示してくれている。
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