La maladie d'amour(ラ・マラディ・ダモール)~五連星の輪舞、華やかに

五等分の花嫁 第10巻

▼五等分の花嫁 第10巻
春場ねぎ氏・著/評価★★★★★

第78話~第86話の「シスターズウォー」篇を完全に収録された。修学旅行篇、風太郎を廻り駆け引きが続く五姉妹。一花の策謀も潰え、三玖を救済せんとする彼女たち。一方、五月は『零奈』の姿に擬してまで、風太郎に大切なものを思い出させようと奮起する。
今巻の実質的なヒロイン格は、三玖であって一花や二乃らの贖罪も姉妹の絆らしい面を見せる。一花の諦念の心情は胸を締め付けられるものがあることも注目。

本編を読み進めて、フランスのミシェル・サルドゥ氏が歌う「ラ・マラディ・ダモール」という曲を想起した。谷村新司氏のカバーで「輪舞-ロンド-」として伝わっているが、風太郎を廻る五人の恋愛感情はまさに輪舞の如し。一人の男性を奪い合う、という血生臭い事ではないが、この五つ子の絆を基軸に朴念仁・狷介孤高の風太郎にも確実に、「最後の男」から「最初の男」への化学変化を齎していると言えるだろう。
風太郎と五つ子の関係に進展はないが、風太郎が自信を「最後の男」という諦念から変化しつつあることは読んでいて解る。『零奈』の正体も明らかにされるが、それは読んでからのお楽しみという事で。本当、恋というのは辛く、また人類普遍のロジックなのだなあと、曲に重ねて思った。

輪舞-ロンド-~林間学校のフォークダンスを思い出しながら

第10巻のシスターズ・ウォー篇を読んで思い起こした楽曲がある。谷村新司氏の名曲「輪舞-ロンド-」。それはフランスの国民的歌手・ミシェル・サルドゥ氏が歌った『La maladie d'amour」』いうもので、男女の恋愛の古今未来の普遍的なロジックを謳っているものである。詳らかに言うよりも一聴された方が納得できるとは思う。
恋に落ちるという感覚は、私自身遙か昔日の事なのでうろ覚えなのだが、多分周囲がガラリと変わって見える程の衝撃なのだと思う。いや、相思相愛と知り、晴れて恋人同士となってからの話なのかも知れない。
確かに、私は思ったかも知れない。彼女にとっての最初の恋人であって欲しい。その相手にとって、恋愛の一里塚であったとしても、自分が最初であって欲しいと言う願望は、たぶん恋愛経験を経てきた男性ならば一度は思ったことであろう。

上杉風太郎はどうだろうか。彼にとって「恋に落ちた」と言うには語弊があるが、想いを寄せていた〝零奈〟に対しては、自分が一番最初の初恋相手であって欲しいと言う想いは必ずあっただろう。
そして、一花から四葉(現時点厳密に言えば、一花から三玖の三人)ら五連星が風太郎に寄せる想いは、風太郎がそれぞれに想いを寄せられていることを知っている前提で、最終的には自分自身を撰んでくれるだろうという、まさに「輪舞」に謳う「最後の女」になろうとしているのである。
しかし、風太郎は実に奇特で、恋愛に対し非常に疎遠で狷介孤高だった。そんな彼は、「恋に落ちた男は、一番目の男に憧れる」ということは全く無く、彼は学業に対しては一番目に憧れてはいるが、恋愛的には無頓着で、五連星も五月が突出して風太郎を忖度し、他の四姉妹への周旋に齷齪している様子が窺える。三玖に自信を齎す二乃
林間学校が実質的に奏功せず、一花もその抜け駆けを窘められ封殺に近い状態に追い込まれた中で、シスターズウォー(姉妹間風太郎争奪戦)も誰か特定の一人に対してクリティカルヒットを成したという事は無い。ただ、五連星個々の風太郎に対する想いの強さを再確認するという一冊になったという事は否定できないだろう。

そんな中で、私は「ラ・マディ・ダモール(輪舞-ロンド-)」という名曲を当て嵌めて林間学校で為し得なかったフォークダンスの残影をこの巻に見出した。
風太郎が積極でなく、一番目の男で無くても良い、という考えの中で、やはり風太郎も五連星の誰かと結ばれることになれば、確実にそう思うだろう。「○○は俺が最初の男だ」 ラ・マディ・ダモールが謳うのは、女性の清楚・処女性であって、多分きっと、令和の御代でそれは古いと言われるかも知れないが、男女の恋愛のロジックで、それを求めるのはおかしいことではないだろう。

五連星は皆、確実に処女。風太郎が、或いは見ず知らずのキャラクタが五連星の誰かと結ばれる可能性

縁ではなく「恋は奇なるもの異なるもの」という言葉を新語として出しても良いくらいだろうが、風太郎の前に現れた〝零奈〟は、白昼夢でも何でも無い、誰かの変装だったという事が今巻で明らかになって行く。しかし、風太郎も恋愛初心者でありながら、それは天性とばかりにいなしている。
考えてみよう。三玖が嚆矢とは言え、二乃・一花、四葉と立て続けに風太郎への好意が発露し、一花は変装してまで風太郎の独占を図った。しかし、風太郎は赤貧廉潔の精神を棄てることはなく、ずっと中心に在り続けていたのである。
恋をする男性は、相手が自分が最初の恋愛相手である事を望むと言う。ロジックだ。しかし、風太郎は恋愛そのものに稀薄で在り続け、〝零奈〟の存在は自分の運命を変えてくれたきっかけを齎した昔日の少女であって、恋と呼ぶにはいささか語弊があった。フータローが好き
風太郎自身が、五連星の恋する風に中てられてさしもの朴念仁も意識し始めて行くのだが、彼は「最初の男」である事を衷心として願ってはいないのだ。五連星を導くものとして、彼女たちにとって最後の男で構わないと思っているだろう。
しかし、五等分の花嫁読者としては、喩え風太郎と、五連星の誰か一人と結ばれたとしても、他の四人が風太郎以外の見知らぬ男性と人生を供に歩んで行くという事は想像したくはないだろう。
だからこそ、私は提唱する、不結実の終極なのである。「彼女なのかな?」と匂わせておいて、最後に答えは暈かす。このような作品はそれが一番ベターなのだ。いちご100%論の轍は決して踏むべきではない。
今巻は、事実上三玖が主役に位置し、一花は無理に主役の座から降りようとしているのが切なくもあり、またようやく叶った想いに、胸を撫で下ろす。面白い事は面白いのだが、少年漫画の面白さなのである。純粋・ピュアという言葉は古臭く聞こえるかも知れないが、輪舞-ロンド-に謳う男女のロジックのように、恋愛はデジタル化できない唯一のものだ。人の感情があれば、それは1万年前も、2000年後の未来も同じなのである。「好き」と伝えられる勇気。それをしっかりと受け止めようと努力するものの、自分は最後の男で良い、と感じる上杉風太郎。やきもきはするが、風太郎に引かれる五連星の心情もまた、必然的なものあると言うことを、この第10巻は改めて知らしめたと言えるだろう。