バイ・スプリング 第15話「僕はバカ」考察

虚飾と支配に彩られたデートをかなぐり捨てて春日橋に駆ける三浦惣太
 乃木春、居場所を求めて彷徨いながら、橋梁下、惣太の面影に触れ、竟に再会を果たす


高崎ゆりの誘惑から逃れ、真実の想いに目掛け駆けてゆく三浦惣太

三浦惣太

ゆり特製のサンドウィッチを頬張りながら、「ありがとう、高崎さん」と純朴な微笑みに中てられたゆりが、頬に食べかすが付いていると言いながら惣太の頬に指を伸ばし、そのままキスをしようとする瞬間、惣太は正気に返った。「お母さんのおまじない!」顔を怪我をした惣太にそう言って指を触れてくれた春の屈託のない笑顔が、惣太の心から離れることはなかったのである。

嘘をついてまでゆりの誘惑を振り切った惣太が駆け出す。その瞬間に流れたのが、徳永英明氏の隠れた名曲「Nostalgia」をモチーフした我が創作詞文「バイ・スプリング~二人の心を包む穏やかな春に~」と、尾崎豊の「OH MY LITTLE GIRL」である。
それは渇いた心、赤貧の束縛された日々の生活の中で彼だけが見つけることが出来た、小さなオアシスだった。春日橋橋梁下。お菓子のダンボールが敷き詰められただけの狭い空間に、人懐こい黒猫と虎縞の猫。春の癒やしだった彼らも、惣太には懐いていたようだ。
しかし、春の姿は見えない。日曜だからか。餌を求めてすり寄る二匹の猫に、申し訳なさそうに頭を撫でる惣太。判っていたはずだ。ゆりにも泣いて謝ったじゃないか。もう関わってはいけない、僕が間違っていた、ゆりが正しかった……。
くじけた男は扱いやすいと、アオリは語った。確かにそうだ。でも、惣太と春が過ごした小銭で繋がるわずかな時間は、飾ることもなく、何もしがらみもない、ありのままの自分をさらけ出せる時間だったんだ。

乃木春、新たな場所を求めて彷徨うも俗欲の視線に耐えかねその場所に還る

春もまた、自らを悔いていた。「お金」の重さを目の当たりにして、惣太が小銭をポケットにどんな思いで春日橋に来ていたのか。思いを致す度に、自分が惣太に向けた数々の言葉が、彼を傷つけていたのではないかという呵責に囚われる。
「もう、あいつ(春日橋の下に)来ないかも知れない……」
最初は、売春の噂を聞きやってきたクズ男と思っていた。二度目に味を占めるなエロガキと追い払った。だが、彼は色欲の視線で春を見ていなかった。次第に春も心を開き、揶揄い甲斐があったのに、と彼が来ない日を寂しがった。

春日橋の格安売春女。江戸で言う夜鷹のような下司な噂を聞きつけて複数人で春の身体を狙いに来た惣太と同じ男子中学生を機転で撃退したときに、春は言った。助けてくれたお礼に、「望むもの、何でも叶えてあげる」それは惣太が望めば、春の肉体を貪ることも出来たかもしれない。もしかすれば試されただけなのかも知れない。しかし、惣太は言った。

三浦惣太「お姉さんの名前が知りたいです」
乃木春「それだけ? 何でもしてあげるって言っているのに」
三浦惣太「だって僕、お姉さんの名前、知らなかったから……」


名前を知りたい。それは一時の肉体の快楽ではない、心の繋がりを惣太が求めたからだった。「乃木春。変な名前でしょ?」と照れたように名乗る春。俗欲のない惣太の想いに、春は惹かれてゆく。だから、お金を持ってこなかった惣太に、冷たく当たってしまったことを、痛悔していた。
自ら求めて惣太に会いにゆく春。しかし、あまりの美人ぶりが人の目を惹き、こっそりと惣太の後を付く。そこで目の当たりにした、惣太の家。今にも崩落しそうな荒ら屋。内職のトラック。一個一円の内職の事実を聞かされた春は、ようやく気がつく。惣太が持ってくる10円、50円は、彼にとって捨身の想いでひねり出し、春と繋がっていたいという想いなのだと。

春も思っていた。義父から万札で頬を叩かれながら、「お前は俺の金で生かされている」
それでも母・咲良は拝金主義の義父との生活を望んでいた。

乃木春「私は良いから、デートして来なよ」乃木春と俗欲のモブ男たち

家族の食事会を夫婦水入らずのデートにすり替えた。義父と相対したくなかったのだろう。
日曜日なのに春は学校の制服を身に纏い、一人アミューズメント施設で遊んでいた。
しかし、春は過敏に捉えていた。一人で遊ぶ自分にナンパをしようとする下心剥き出しの男達の視線を。
折角取れた猫のぬいぐるみを放り、颯然と踵を返す春。

「アイツ(惣太)がいないで、またバカな男達に絡まれたら厄介だ」春は自己防衛するしかなかった。

こんな街にも、私の居場所はない。やっぱりあそこ(春日橋橋梁下)しかない。と感じた春は、久しぶりに居場所に還る。「ただいま~って感じ」手には猫缶。春を癒やし、共再会に午睡を貪る野良の為の食事。

そしてダンボールに置かれた10円銅貨を見つけて春は声を荒げる。「あいつ来たの!?ねえ、あいついつ来た!?」言葉を語らない野良2匹にせがむも虚しく。
その瞬間、奇蹟と運命が重なった。
惣太が春の名前を呼び、姿を見せたのだ。

離れかけていた絆と想いが、再び重なる瞬間。それも想いは以前よりも強く、春の心に安堵と嬉しさ、楽しさが重なってゆく。
「また来ますという意味で」と、10円の意味を語る惣太。しかし、春にとっては、閉ざされたと思っていた少年との時間が失われていなかったことを証左する10円だったのだ。
春に抱きしめられ…
春は惣太の差し出したお金の意味を口にしようとして噤んだ。それを言ってしまえば、彼とのこの一瞬の安らぎさえも失ってしまうのではないか。折角再会できたのに、今度こそ、二度と逢えなくなる。そんな気がした。
だから、今までのように装った。「お金、持ってきた?」
その言葉に嬉しさを感じた惣太は、ポケットから100円玉と、10円玉を2個、出す。合計130円。

ジュースの自動販売機で、缶ジュース1個買える程度のお金だった。正直、私は130円の自販機でジュースを買ったことはない。ケチでも何でもない。高いから買わないのだ。
惣太にとって、私ですら自販機で使うのを躊躇う130円を差し出し、春との再会の喜びを示した。きっと、内職で得た少ない報酬を、貯めて、貯めて出したものだろう。
バカっぽい顔
春は言った。「100円超えたの初めてだね」そう言って、春は惣太をそっとその胸に抱きしめた。ほんの一瞬だった。
サービスしすぎた、と春は言う。でも本音は、「戻ってきてくれて嬉しい」だっただろう。今はまだ、何も知らない私でいようという決意とともに、自分に会いに来るために、身を削る思いの彼に対する、最高の見返りだった。

惣太は春の身体の柔らかさに思わず手を伸ばして、彼女の腰を抱きしめようとしたが、未然に止められた。そこまで許していないよ! でも、春もまた、頬を真っ赤に染めていた。突き飛ばされても未遂ですからと無邪気に笑う惣太。
何故だろう、このプラトニックな純愛は。

最後に流れる曲はやはり尾崎「群衆の中の猫」なのだ。