結弦の氷心を溶き解し更に広がり続ける世界
自責を胸 底に刻み、彼女の為に広げる片翼の決意
~近くて果てしなく遠き硝子の笑顔。西宮結弦、将也の信念を識りてその誠心 に報いる


第14回(センターカラー)イメージソング:翼の勇気(徳永英明)


総合評価★★★★★(+5)

一身に護り続けてきた姉の純心、悪童を革め好逑の覚悟に絆された結弦の想い

「聲の形」単行本第1集の発売を目前にしたセンターカラー版。鷹岑もAmazonのカスタマレビューを起草しながら(星評価は当然ながら、最大の5。掲載 は発売日翌日以降になる)、この作品の個別話の考察を書いているわけである。
今回はチャプタータイトルの通りに、結弦の氷解と、久しぶりに登場した将也の親友・永束友宏の絡みが見せ所である。
第14話・センターカラー◀第14話・センターカラー

単行本発売を控えた、センターカラー増ページ。障碍者に対するいじめを描いた異色の構成として既成メディアからも話題の俎上に載せられた問題作であり、現 在も依然として一定の支持があるとされている。
第14話は表紙にメインヒロインである西宮硝子と、センターカラーには妹・結弦と並んだツーショットが掲載。
障碍者に対するいじめ(障碍者であるというわけではないが)から来す人生の奈落と再起。聲の形が提起したコンセプトは奥深く、上手く繙く境地には至ってい ないが、ここに至ってラブコメディの色彩が鮮明になってきた。
それを反映しているのかは定かではないが、センターカラーの西宮姉妹。特に妹・結弦のビジュアルはとかく美少女の筆致が際立つようになってきた。
ただ、聲の形は単純に惚れた腫れたというラブコメではない、近くて遠い互いの世界と言った、極端に言えばメンタル・グローバルイシューとも言うべき問題提 起をしている。

うざったくない永束友宏永束友宏

この話で不思議なのは、うざったいはずの永束の押しの強さが嫌いじゃないところにある。
満身創痍とも言える石田将也にとっては彼の存在は何よりも心強い。冤罪停学の時は狸寝入りを決め込んでいた節もあるという調子の良さも見え隠れはしないで もないが、将也の唯一の友人だと自負して止まない永束にとっては、将也を支えるのは我が胸先三寸。とばかりに、その甲斐甲斐しさが何とも心地よく思えるの である。
また、西宮結弦自身は彼のテンションに圧倒されながらも、不思議と気性が合う部分もあるのだろう。
彼女が男ではなく女だと知った時の永束は「自立するために黙っていた」と咄嗟に言い動揺を誤魔化したが、女だと気づきここで「自立」という言葉を用いたところに、彼が将也に向けるような眼差しを結弦にも向けていたのではないだろうかと思うのである。
まあ、女の子だと解った瞬間に結弦が可愛く見えると言うのも実に現金な感じはするのだが、それはたとえ永束でなくても同じ事を感じるだろう。

少年だと思っていた奴が、実は少女だった。その逆も然り。そういう設定はある意味、漫画やドラマの世界の特権事項であって、現実社会ではそれは殆ど通じな い。たとえそうだとしても、大抵は不細工な人間だったりするわけで、結弦のように実はとんでもない美少女でした。なんていう事例はまずあり得ないだろう。
永束にしてみれば、何だ役得じゃん、俺。みたいな淡い期待のようなものを感じていたとしても不思議ではない。

少年から本来の姿へ~結弦が譲った、硝子の守護役

少年、硝子の恋人であると嘘を貫きながら姉を守護し続けてきた結弦も、銭湯を拒み、無理矢理連れ込まれて男衆の裸を見た瞬間に絶叫し逃亡する。絶叫
やはり何だかんだと言っても結弦も少女なのである。
将也や永束の反応はまた別だが、硝子と再会し、自分が女の子であると気付かされなければ果たして彼女は硝子の彼氏を気取っていたのであろうか。
今となっては憶測の域になってしまうが、遠からず結弦は将也には本当のことを言っていたのではないだろうかと思うのだ。いや、言わずともいずればれるのは時間の問題だろう(ここまで行動言動が不自然ならば)。

まあ、将也が遠くにある硝子という世界へ向かうためのイグニッションのタイミングを計っている中で、気づかないこととは言え、将也と結弦は同じ部屋で一夜 を過ごそうとした仲である(誤解を招く言い方だが)。将也としては硝子が幸福になってくれれば良いと願っていた分、結弦に対する嫉妬や敵愾心というのは欠 片もない。
そうした将也の誠心が、結弦の頑なな心を徐々に氷解させていったことは敬意に値する。

ただ、間違っていないのは、結弦は直接、将也によって氷解したのではない。硝子の妹やはり硝子が見せた怒りの表情が、結弦の氷解を一気に招いたと考えた方が現実的である。
何だかんだと、西宮家からしてみれば、石田将也は硝子の小学時代を奪った張本人。という意識を完全に払拭するというのは土台無理な話であって、やはり西宮と石田を繋ぐ架け橋は、メインヒロインである硝子という相関図が成り立つと言える。

聲の形はラブコメ色を強めていると評判があるようだが、極端な話ラブコメでも良いのである。メインコンセプトを西宮硝子に置き、彼女の存在を基点にした人物相関図がしっかりと奥行きや幅があるのならば、ラブコメであれハードボイルドであれ何でも良い。
さすがに結弦が将也に恋心を持つ、なんてことはこの漫画の世界観からすればなかなか考えにくいので、一般的なラブコメ転化ならば違和感なく読み進めることも可能である。

果てしなく遠き西宮硝子との世界を繋ぐ、結弦の存在

結弦からすれば、少年のように振る舞い肩肘を張る事を続けることに、いつかは疲れ果てる時が来るだろう。謝ることはない
時宜はどうあれ、結弦にとって将也という存在が硝子にとって大きくなってきていると言う事は寂しくもあり、何よりも嬉しい事であると鷹岑は信じたい気持ちである。
結弦という存在が居なければ、将也と硝子の世界は青方変移ですら起こさぬままの存在であったはずだ。限りなく近づき合うふたつの世界には、結弦という存在がその中にあり続けていた。硝子が何故、笑顔を続けることが出来たのか。彼女は将也をひとつも恨んではいなかったのか。

家族・姉妹だから当然である、という理由は至極単純だが、それゆえに硝子にとっても結弦にとっても互いを支えにしてきたから生きてこられたのであろう。
硝子のいる場所に降りてこようとはしない母親ですらも、硝子や結弦にとっては掛け替えのない母親なのである。
硝子の笑顔
硝子の笑顔の源泉、存在感が高まる石田将也

「またね」という言葉ほど、人を勇気づけるシンプルな言葉はない。人と人とを繋ぐ、確かな未来を確約する言葉である。
将也が意識した笑顔の意味について、硝子はおそらく自分でもまだ気づいていないだろう。
一度諦めたものを取り戻す。硝子にとっては、自らも気づかないまま、将也という存在が自分を無意識に笑顔にさせている。自分を一度も差別せずに一個の人間として対峙してくれた将也、そして今なお対等にあろうとしている将也の思い。
恋愛感情を意識していない不思議な感覚。それすら超えた、互いの存在意義はひと言で絆というのも陳腐である。

悔悛の念を懐き続ける将也。忘れてはいけない硝子の笑顔に絆されかけた自分を戒めた。ある意味、過剰とも言える自責の念が時々痛切に思えてくる。
確かに、小学時代に硝子にした仕打ちを一生、背負い続けることを望む人もいるだろうが、鷹岑は硝子の笑顔を守るために将也には何が出来るのか。ただ過去の罪過を悔やみ、自らが幸せになってはいけないのかという自省のみで果たして硝子の笑顔が続くのだろうかと問いたい。

諦めたものを取り戻した。それは将也がいたからである。硝子にとっては過去も今もひっくるめて、自らも気づかないままに石田将也は比翼連理の片側として存在している事を、将也は逃げずに、しっかりと受け止め捉えてゆく勇気が必要だ。
徳永英明の隠された名曲「翼の勇気」は、そうしたただ徒らに自分を責めてばかりの愚かしさを止めて、勇気を振り絞って自分の幸福のために、硝子のことをきっと幸せにするのだという、覚悟を示したものであると思う。
将也は逃げるべきではない。せっかく、心からの笑顔を取り戻しつつある硝子を再び哀しみの奈落に堕としてはならない。

まあ、翼の勇気を聴き返しながら、そう思ったわけである。